№35 砥石とナマズ(高村光太郎『鯰』に想う)
№41 「ルビコン川を渡る」或いは「賽は投げられた」(塩野七海『ローマ人の物語』)
私の早期退職の件。 いよいよ人事当局の耳に入る段となった。 気持ちを確認するための、ヒアリングなども始まった。 どうなることか。 どこへ行き着くのか。 「賽は投げられた」という表現がある。 並んで「ルビコン川を渡る」という慣用句も良く聞く。...
№40 「旅をする本」と「働かない二人」(星野道夫『旅をする木』)
私の記憶には「旅をする『本』」としてインプットされているその文庫本の題名。 しかし、毎度よく見返せば、本当は「旅をする『木』」なのだ。 静かにファンの多い本だと思う。 この文庫本自体が、私の中で、ある種のスピリチュアルな存在となっている。 ...
№39 苦役列車と銀河鉄道(西村賢太『苦役列車』に想う)
私が西村賢太さんを知ったのは、その死亡の報道によってである。 思い返せば、記憶の片隅に、芥川賞受賞後の、記者会見の様子がぼんやりと蘇ってもくる。 そうか、あのときの作家か。 突然の死に至る経緯はこうである。 夜、タクシーに乗って帰ろうとした...
№38 馬鈴薯の煮え具合(『カレーライス』に想う)
日曜の午後。 早めにカレー作りを始めた。 朝食作りや弁当作りなどのプレッシャーに加え、月曜の朝は、自分の出勤の憂鬱も加わる。 早め早めに家事を進め、体の負担を減らし、その後のストレスに耐えられるようにしなければ。 日曜日の夕飯作りに早く取り...
№37 アトムとかたつむり(浦沢直樹『PLUTO(プルートゥ)』)
マンションの駐車場に着き、車から降りようとドアに手をかけた時のこと。 ちょうど目が行く、ドアミラーの付け根のあたり。 小さなカタツムリと目があった。 いつからそこに、ひっついていたものか。 数年前、施設に移った私の両親が残した郊外の家。 今...
№36 オラオラデ(若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』)
少し前のこと。 「おらおらでひとりいぐも」 この作品で芥川賞作家となった若竹千佐子さん。 その半生をたどる番組を、NHKでやっていた。 ついつい通して最後まで見た。 若い頃の挫折。 家庭を得た安らぎ。文学への思い。 専業主婦として日々が過ぎ...
№35 砥石とナマズ(高村光太郎『鯰』に想う)
いつも使っている包丁の刃先に、小さな錆びが浮かぶようになった。 この夏も、随分と湿度が高かった。 そのせいもあったと思う。 ひどい時は、砥石で研いだ後、ちょっと目を離した小一時間くらいの間に、再び錆びが出ていることがあった。 暫く前。 父と...
№34 風船とレモン(梶井基次郎『檸檬』に想う)
むかし梶井基次郎の文章が頭から離れなかった時期がある。 短編の「檸檬」に、少しかぶれていたと言ったほうがよいかもしれない。 何かにつけ、その空気感を思い出し、浸っていることがあった。 一つ思い出がある。 二度目の大学受験も思うようにいかず、...
№33 トチの実と梅酒(高村光太郎『智恵子抄』)
朝、通勤バスを降りた後。 職場へと向かう途中、信号待ちとなる。 砕けたトチの実が散乱し、かなり歩道が汚れている。 この時期、こんな看板が立つ。 「注意、トチの実が落ちます」 そっと上を見上げ、街路樹の枝が頭の上にかかっていないか確認する。 ...
№32 ピーマンと「ねこプロ」(佐野洋子『100万回生きたねこ』)
憂鬱な雨の月曜日。 職場へ向かう、いつもの朝のバスの中。 また同じことを考えている。 自分は、何時までこの繰り返しを続けるつもりなのかと。 次に進む準備は続けている。 後は決断だ。 小さい頃、ピーマンの味が苦手だった。 残すことはしなかった...