№8 認知症のサザエさん(長谷川町子『サザエさん』)

雑文

コロナ感染症の問題が落ち着きを見せ、ようやく母の入っている施設でも、家族との面会が再開されることになった。
当面、時間や人数は限られる。

休日の午前中、長女と二人で会いに行くことにした。

数か月ぶりの面会。
施設の職員が面会用の個室まで、車椅子を押してきてくれる。
私達だけとなっても、母は静かに座っているだけ。
表情は穏やかだが、こちらの問いかけには何も反応しない。
既にコミュニケーションを取ることは、ほぼ不可能になっていた。

母は、旧家の七人兄弟の末っ子として育った。
私が子供の頃、毎年、盆や正月に、本家に多くの親戚が集まった。
それぞれに個性的で賑やかなおじさんおばさん達であったが、その中でも母の騒がしさは際立っていた。
特に宴席での立ち回りなどは、まるでサザエさんの立ち位置。
ハイテンションなエネルギーを常に周囲に振りまいていた。

三年前に父と二人でその施設で暮らしはじめた頃は、母はまだまだ元気だった。
一方で認知症は相当に進んでいたため、持ち前の元気なおしゃべりと共に、他の人の部屋に入り込んだりする奇行とで、大いにスタッフの手を焼かせてしまった。

更にその直前、施設に移る前は、父と二人暮らしをしていた。
次第に重くなっていった母の認知症の大混乱は、ガンを抱えていた父が全て受け止めた。
近くに住んでいた私や妹も、休日等のたびに足を運んだが、それはまるで小さな台風のようだった。

もしサザエさんが認知症になってしまったら、いったいどういう騒動が起こるのか。

カツオ君を追い回すような、あのハイテンションが、脈絡無く発動する。
そしてリピートし続ける。

母は、常に何かやっていないと気が済まない性分だった。
やる事が無くなると、台所で洗い物をはじめる。
給湯器の使い方も分からなくなっていたので、気付くと、冬でもひたすら水洗いをしている。
それは良いから、という私達周りの言葉は受け付けない。
聞きたいことがあると、同じ話を何度も何度も聞いてくる。
答えを得ても、その後、数秒も我慢できない。また同じ質問を繰り返す。

カツオー、かーさんどこいったの?ふーん、あっそう。
5秒。
カツオー、ところでかーさんどこいったの?ふーん、あっそう。
5秒。
カツオー、ところで・・・

最後は本当にこんな調子だった。

それにしても母の人格は一体どこへ消えてしまったのか。
或いは、そもそもどこに「在った」のか。

その頃、私は一人で良くこんな想像をしていた。

どこかにある司令室ふうの場所。
モニターの画面越しに遠隔操作をしている。
画面の向こうにあるのは騒ぎを起こし続けている認知症の母のボディー。
司令室にいるのは母の本体。

画面には、父や、私の顔が時々映るのだが、機械が老朽化していて、頻繁にノイズが入る。
聞こえる会話も途切れ途切れ。
もしもーし。もしもーし。呼びかけを続ける母の本体。
ようやくつながった瞬間には、それは聞きたい事も沢山あるだろう。
やがて通信も殆ど途絶え、ボディーのコントロールは効かなくなる。
しょうがないね、と諦める母の本体。

長年付き合ってきた母のあのサザエさんのような、みずみずしい人格が、ただの脳の物理的、或いは化学的な物質による反射のようなものに過ぎなかったとはとても信じられない。

確かにこの空間の母の肉体は劣化が進んで、コミュニケーションも取れなくなった。
しかし、それはある種の通信障害のようなもので、本体は別の所に存在し続けているのではないか。

15分と決められた面会時間。
私の名前や、長女の名前を会話に中に入れたりして、何か刺激になればと色々と試みてみるものの全て徒労に終わる。
反応のない相手に話しかけ続けるのは辛い。

長女を指さして説明してみる。
ほら、孫だよ、お陰様でこんなに大きくなったよ、もう高校生だよ、分かる?
この10年、本当に助けてもらったよ、ありがとうね。

以前、死期が迫っていた妻が、病室で、私にこんな事を言っていたことがある。
それは自分自身に言い聞かせているようでもあったが。
大丈夫、おじいちゃんおばあちゃんにも見てもらえれば子供達は愛情不足になることは無いからね。

確かにそうだったと思いたい。
こうして末の娘も高校生までなった。
母親が子育てから離脱したこの10年、近くに住む祖父母、即ち私の両親の支えがあって何とかやってこれた。

車椅子に深く座る母は、それでもやはり無反応。
私の方が、無意味な会話の悔しさと、重ねた自分の言葉につられて蘇る記憶とで、ついつい込み上げてきて目頭が熱くなる。

慌てて何か探す。
そうだ、スマホに取り込んだ昔の写真がある。

ダメでもともと、と見せ続けていると、ついに母が身を乗り出す写真に行き着いた。

それは三人の孫たちの小さな頃の写真。
長男と長女は笑顔。
二男だけ、わざと驚いたような、何とも言えないおどけた変な顔をしている。

つられてやっと笑顔を見せる母。
それは私が長年見慣れた、確かに通信がつながった、向こうに心のある良い顔だった。

2023年7月某日

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