№2 桜の花の向こうには(梶井基次郎『桜の樹の下には』)

雑文

毎朝の出勤時、バス停まで向かう途中の道の両側に大きな二本の桜の木がある。

それぞれ10m近いだろうか。
毎日、何かしら目に入り幾分見上げながら通り過ぎる形になる。
向かって右手の桜は酒屋の駐車場と公道の境目付近にあり、左手の桜はアパートの駐車場の敷地の中にある。
なだらかな枝を私が歩く公道まで伸ばし、満開の時期には、毎年、二本の桜が大きなアーチを作った。

ある朝、衝撃を受けた。
アパートの敷地の方の桜が大きく刈り込まれていたのだ。
よりにもよって満開のピークのときに。

「桜きるばか、梅切らぬばか」

そんな言葉があるくらいだが、仮に桜を剪定するとしたらこの時期がベストとでもいうのだろうか。
今年は暖かい日が続き全国的に開花が早まった。あるいは開花の前に剪定しようとしていた予定がずれたのか。
確かに通行人の頭にかかるくらい枝が伸びていた。車の通行にも影響が出ていたであろう。電線にも相当に被ってもいた。

それにしてもよりにもよって満開の桜を刈り込むという発想をできる日本人がいるものだろうか。

切られた太い枝の断面が痛々しい。
なだらかな円錐形だった樹形が大きく変わって筒状になっている。下側が刈り込まれて残った枝が上から幾分被さっている。まるでいま流行りのダブルブロックという髪型のようだ。

バス停からも二本の桜の木の全景がよく見えるので、バスが来るまで振り返って眺めるのが常なのだが、その日はなかなか心のざわつきが収まらない。まるで事故現場にでもいるような気分。

ぼんやりと眺めているうちに、それでも段々と新たな樹形の立体感に少し馴染んではくる。
確かに、形にある種の意図のようなものも感じられる。
剪定することになった業者の人達も、相当に思うところはあっただろう。

桜の木が大好きな日本人は、儚く散る花びらに人生を重ねたり、夜の怪しい美しさに様々な想像を膨らませたりしてきた。梶井基次郎は桜の木の下にはきっと死体が埋まっていると書いた。

桜は、花はもちろんだが、花が散った後の寂しい数日を過ぎ、その後、若葉が急にもりもりと勢いづいたように茂ってくる様子もまた趣がある。
切られた枝の断面が若葉で覆われるまで待つしかない。その時は、そう思うことにした。

ところが数日が過ぎ、またもや事件。
花が散り、ようやく若葉が芽吹いて来た頃、今度は反対側の桜も大きく刈り込まれていたのだ。

チュッパチャプスという棒の先に丸い飴が付いたお菓子があるが、そんな感じに無惨に剪定されている。アパートの敷地の中の桜だけ剪定することにしたのかと思っていたが、そうではなかったようだ。もともと決まっていたことなのだろう。
確かに、狭い路地裏では、二本の桜は大きくなり過ぎていた。

円筒形の桜にはようやく慣れてきていた。
螺旋を思わせる枝振りの立体感に少し面白みも感じ始めていたところだ。
しかしチュッパチャプスの形には当分どうにも馴染めそうにない。

2023年4月某日

【追記】
その後、数ヶ月が過ぎ、街中にも雪が舞う季節となった。
ある朝見上げた、くだんの二本の桜には、きれいに雪の花が咲いていた。

はっと目を引きつけられ、強い印象を受けたのは、もともと黒い桜の枝と白い雪とのコントラストが際立っていることに加え、やはり枝振りがバランス良くなったからだろう。
桜の向こうに青空も透けて見えている。

自然に混み合ったままの枝では、あるいはこの面白さは出なかったかもしれない。
そう考えると、もしかしたら、今年は少し得をしたのかもしれない。

2023年12月某日(追記)

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