毎朝の、出勤時の道すがら。
バス停まで向かう道の両側に、大きな二本の桜の木がある。
それぞれ10m近いだろうか。
毎日、何かしら目に入り幾分見上げながら通り過ぎる形になる。
向かって右手の桜は、酒屋の駐車場と公道の境目付近。
左手の桜は、アパートの駐車場の敷地の中にあった。
なだらかに、枝が、公道まで伸びていた。
満開の時期には、毎年、大きな桜のアーチができた。
ある朝、衝撃を受けた。
アパートの敷地の方の桜が大きく刈り込まれていたのだ。
よりにもよって満開のピークのさなかに。
『桜切るばか、梅切らぬばか』
そんな言葉があるくらいだが、仮に桜を剪定するとしたら、この時期がベストとでもいうのだろうか。
今年は暖かい日が続き、全国的に開花が早まった。
あるいは、開花の前に剪定しようとしていた予定が、ずれたのかもしれない。
確かに、通行人の頭にかかるくらい枝が伸びていた。
電線にも被っていた。車の通行にも支障があったはず。
仮に、そうだとしても。
満開の桜の枝を刈り込むことを許せる日本人なんて、果たして、いるのだろうか。
切られた太い枝の断面が痛々しい。
円錐形だった樹形が、大きく変わって、筒状になっている。
下の枝が刈り込まれ、残った枝が上から被さっている。
まるで、いま流行りのツーブロックという髪型のようだ。
バス停からも、二本の桜の木の全景がよく見えた。
バスを待ちながら、咲いた桜を眺めるのが、この数日の楽しみだった。
しかし、その日は心のざわつきが静まらない。
まるで事故現場にでもいるような気分。
ぼんやりと眺めているうちに、それでも段々と新たな樹形の立体感に少し馴染んではきた。
確かに、新たな樹形に、ある種の意図のようなものも感じられた。
仕事として、剪定する羽目になった業者の人達も、思うところはあっただろう。
桜が好きな日本人は、儚く散る花びらに人生を重ねたり、夜の怪しい美しさに想像を膨らませたりしてきた。
梶井基次郎は、桜の木の下には、きっと死体が埋まっている、と書いた。
桜の花が散った後、寂しい何日かを過ぎ、急にもりもりと、若葉が茂ってくる様子にも、それはそれで、別の良さがある。
と、毎年感じてきた。
切られた枝の断面が、若葉で覆われるまで待つしかない。
その時は、そう思うことにした。
ところが数日が過ぎ、またもや事件。
花が散り、ようやく若葉が芽吹いて来た頃、今度は反対側の桜も大きく刈り込まれていたのだ。
チュッパチャプスという棒の先に丸い飴が付いたお菓子がある。
ちょうど、そんな感じに、無惨に剪定されている。
アパートの敷地の中の桜だけ、剪定することにしたのかと思っていたが、やはり、そうではなかったようだ。
もともと決まっていたのだろう。
確かに、狭い路地裏では、二本の桜は大きくなり過ぎていた。
円筒形の桜には、やっと慣れてきていた。
螺旋を思わせる枝振りの立体感に、少し面白みも感じ始めていたところだった。
しかしチュッパチャプスの形には、当分どうにも、馴染めそうにない。
2023年4月某日
【追記】
その後、数か月が過ぎ、街中にも雪が舞う季節となった。
ある朝見上げた、くだんの二本の桜。
きれいに「雪の花」が咲いていた。
はっと目を引いた。
濡れて黒く輝く桜の枝と、白い雪とのコントラスト。
枝振りが、整ったのも良かった。
桜の向こうに、青空が、透けて見えている。
混み合った枝では、この良さは出なかっただろう。
そう考えれば、今年は少し得をした、ということかもしれない。
2023年12月某日(追記)
