№9 ニモと黒縁眼鏡(映画『ファインディング・ニモ』)

雑文

今夜のテレビのロードショーはファインディングニモだった。
夕食を終え、子供達はそれぞれ自分の部屋へ引き取り、一人リビングに残った一番下の娘にリモコンの操作権が残った。
私は隣の和室で寝る準備をしながら、半分閉めた襖越しに映画の音だけ聞いていた。
私自身はこれまで何度か見る機会があった映画である。探せばどこかにDVDもあったと思う。

我が家にとっては冒頭のシーンが辛い。
改めて聞いていても、愛情深く、優しく可愛いお母さんに描かれていることがわかる。
今日はこのまま見るのだろうかと娘の様子を気にしていると、ニモのお父さんが気を失うあたりで、やはりぷつりとスイッチを切ってしまった。
そして何やら鼻唄を歌っている。

そういえば娘の気分を変えてあげられそうなネタがあることを思い出した。
この前、実家のタンスの奥のアルバムを引っ張り出して、私の子供の頃の写真を何枚か、スマホで写してきてあった。私の両親、つまり娘の祖父母や親戚などの昔の写真である。
若かりし頃のおじいちゃんの黒縁の眼鏡やおばあちゃんの短いワンピースがやけに昭和を感じさせて少し笑える。
娘に見せると、それなりに食い付いて、しばらく見ていた。

何でこんな写真をスマホに収めてきたかと言えば、施設に入っているおばあちゃん、すなわち私の母に見せるためだ。
認知症の母とはもはやほとんどコミュニケーションは取れない。しかし、この前、会話に困ったあげく、思いつきで見せた孫達の写真には反応し、少し明るい笑顔を見せていた。
それならば、母の若い頃、そして私が小学生の頃の写真なら何か反応が期待できるのではないか。
そう考えて次の面会用にスマホに取り込んでいたものである。

もう一つ、孫の写真の他に、母が笑顔になった写真がある。
それは父の壮年の頃の写真だ。
お爺さんぜんとした、亡くなる直前の写真にはまったく無反応だったのに、たまたまスマホに一枚あったスーツ姿の現役時代の写真には、なぜか身を乗り出して見入っていた。
それならばもっと若い頃、黒縁フレーム眼鏡の昭和の時代の写真なら、あるいはさらに反応があるのではないか。異性として心惹かれたであろう頃の姿、二人で人生を創り上げつつあるエネルギーに満ちた当時の姿になら。そんなことを考えた次第である。

ところでニモだが、上の息子二人はずっと見ることを避けている。
少し興味がありそうだった高校生の娘も、やはりまだ駄目なようだ。
冒頭のシーンを過ぎればその先の物語はスピード感もあって面白い。
いや、冒頭の出来事があるからこそ魅力的な物語なのだ。
ずっと先でよいから、子供達にも見てほしいと思っている。
そこにあるのはユーモアやドタバタも含めて親の想いそのものなのだから。

2023年8月某日

 

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