№112 秋天【その3】(キャノンボール・アダレイ『枯葉』)

のりプロ

それで、私は、その古い屋敷のために、何ができるのか、どうすべきなのか。
その後も、ずっと考えていた。

私としては、実は、その石碑を建てた、学者の仕事に興味がわいている。

その学者自体が、ある種の歴史上の人物なのだ。
それだけ大きな仕事をしている。

その人が建てた石碑ということ自体に、興味を持つファンも多いと思う。

私が、都合よく、どんな未来を思い描いていたかといえば、こんなことだ。

公道から、その石碑にたどり着くまでの、最低限の部分だけでも、公園として、整備できないだろうか。(維持管理は行政にやってもらうことにして・・・)

本当は、その旧家に、親戚の誰かが住んでくれれば、それが一番良い。
しかし、そんな時間を巻き戻すようなことは、いまや望むべくもない。

そうであるなら、屋敷の周辺だけでも、草刈りなどの手が、定期的に入るような仕組みが作れないものか。

著名な学者が、屋敷の裏の林の中に、石碑を建てたことは事実。

漢文で、この土地は、自分の先祖がかつて住んでいた館の跡地である。長い月日の中で、風化してしまうのを恐れている、と記している。

そして、20数年前に、地元の教育委員会が調査に入って、その価値を確かめ、史跡であることを示す杭を建てていった。

今も、石碑を目当てに、近くまでやってきて、探しあぐねている歴史好きは多いと思う。

ただし、調べてみれば、どうやら、単に「埋蔵文化財」がある、というだけでは、行政側も、寄付を受けることはないらしい。
コストばかりが増えるからだ。

我々の史跡に、どれくらいの歴史的な価値があるのか。
さらには、そこに絡む大正時代の学者に、どれだけのネームバリューがあるのか。

結局、行政コストと、それらの価値との、相関関係ということになると思う。

館跡の歴史的価値の方は、正直、それ程ではないように思う。
一方、学者の方は(個人的な好みのバイアスがあるかもしれないが)超A級の仕事をした人だと思う。

実際、その学者の業績のPRに、地元の自治体は、近年力を入れている。
数年前には、その生涯を、マンガの単行本としてまとめる事業も行っている。

波は、きている。
その先を想像してみた。

仮に、土地の寄付を受けてもらえたとして。
公園にしましょう、となったとして。
建物を壊してよいなら、工事費の中でやってしまいましょう、とまでなったとして。

維持費がかかる上屋まで建てることはないだろうから、せいぜい、更地にして、芝生公園というような形になるだろう。

目に浮かぶのは、数台の駐車スペースと、何もない芝生広場。
園路の先に、ぽつんと石碑だけ。
と、そんな姿。

これまでは、私は、それで上出来だろうと考えていた。
なにしろ、建物の除却だけでも、何百万円はかかるのだから。

その学者の業績に上手く乗っかって、草刈りなどの手が入り続ける、その土地の環境維持の仕組みが構築できるとするなら、最高ではないか。
それが、スマートで、サスティナブルな取組、というものだ。

しかし。
その公園の意味するところは、何だろう。

歴史が好きだったり、その学者に興味を持つ人が、時々、車で訪れる。
石碑をながめ、学者の仕事、学者のルーツに思いを馳せる。
そして、その学者の子孫で、現在、活躍している有名人のことを思い出したりする。

叔父と叔母の代まで、その場所に、数百年暮らしてきた人たちのことなど、考えるはずもない。
屋敷も井戸も、生活の痕跡が、何も残っていないのだから、あたりまえだ。

かつて確かに、その土地で暮らしていた我々親類の歴史だけが、すっぽりと抜け落ちて、前後がつながり、その先へとつながっていく。

それは、叔父たちが憂慮してきた状況そのもの、なのではないか。

私は、何のために、誰のために、そんな未来を思い描いていたのだろう。
(その学者のファンは喜ぶのだろうけど。)

なんだか、色々なルートを考えて、それぞれ路地も入ってみたが、結局、全部行き止まりだったような、そんな気分だ。

手詰まり。

考えてみれば、本業の方も、相続未了の土地の問題で、困っている。

様々な人から情報を集め、関係者へ、提案もしているが、進まない。
それは、それぞれに、考え方の違いがあり、何より「懐事情」が違うからなのだ。

私がよかれと思う案も、強制はできない。

今や、特に地方で起こる、家族の悩み事には、人口減少などを背景に、多かれ少なかれ、不動産の相続の問題が、絡んでくるもの、なのかもしれない。

ふと、考えた。
旧家の問題にしろ、今の、仕事の問題にしろ、何か、自分なら、スマートな解決策が、思い浮かぶだろうと、どこか、自惚(うぬぼ)れていたかもしれない。

自分に、期待しすぎていた。
それが、思うように進まず、嫌気がさし、憂鬱になっている。

他人の問題、特にお金がからむ問題が、そもそもそんなにスッキリ片付くわけがないのだ。
かっこよく進まなくて当然。

ゆっくり行くしかない。ゆっくり行こう。

その上で。
旧家の問題は、Hさんも時々言うように、やれるところまでやったなら、後は、次の世代に託さざるを得ない。

そうだとするなら。
次の世代が、こんなことがあったんだなと、いつの日か、興味を持って、一歩深く考えてくれるように、我々の「物語」だけは、残しておきたい。

それなら、出来るはずだ。
そのためにも旧家の歴史を、これからも、調べ続けよう。

取り敢えず、今は、ここまで。

パソコンから顔を上げると、窓の向こうには、青空と、広がる街並み。

ベランダの向こうの、手が届きそうな空を、夏の名残の綿雲が一つ、右から左へと流れていく。
遠ざかりつつある台風が、まだ、少し影響しているようだ。

遠くに霞む山のすぐ上には、横に広がる、秋らしい、数本の筋雲。
さらに上は、限りなく薄い、水色の空。

行動していれば、いつか良いこともあるだろう。
きっと、どこかに行きつける。

秋の青空は、確かに、そんな気分には、させてくれる。

2026年9月某日

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