№113 大人になれなかった弟たち(宮沢賢治『注文の多い料理店』)

ちちプロ

俳優の米倉 斉加年(よねくら まさかね)さん。
今、この名前を聞いて、顔が思い浮かぶ人は、どれ位、いるのだろう。

米倉さんは、1934年(昭和9年)生れ。
2014年(平成26年)に、80歳で亡くなっている。

出演した映画やドラマなどを調べているうち、ふと、あることに気が付いた。

肩書が、俳優・絵本作家となっている。
私自身は、絵本の仕事のことは、知らなかった。

「おとなになれなかった弟たちに…」という絵本がある。
米倉さんが、文章を書き、絵も描いたという。

なんとこの作品は、1987年(昭和62年)から、もう40年近く、中学一年の教科書に掲載され続けている。

国語の教科書は、その出版社が、ほとんどのシェアを占めているらしい。
とすると、米倉さんを説明したいなら、この作品を持ち出せば、多くの世代の人達が、直ぐにピンとくる、ということかもしれない。

ひもじさと、何より甘い物ほしさに、幼い弟(ヒロユキ)の粉ミルクを盗み飲みしてしまう「僕」。
やがて弟は、栄養失調で亡くなってしまう。

終戦の頃、10歳だった米倉さんの体験をもとにした話し、なのである。

私が、米倉さんについて、調べ始めたのは、子供の頃に聞いた、ある『朗読』を、もう一度聞きたい、と思い続けてきたからだ。

昔、米倉さんは、宮沢賢治の『注文の多い料理店』を朗読したレコードを作った。
それを、小学校の先生をしていた、私の叔母が持っていた。
当時私は、カセットテープに録音してもらって、何度も聞いていたのだ。

今思えば、私が、宮沢賢治の世界に、より深く入り込むようになったのは、この朗読を聞いたことが、きっかけだったかもしれない。

賢治の表現と、米倉さんの朗読が好きだった。

『風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、
木はごとんごとんと鳴りました。』

実は、私自身(顔と声は覚えているのに)、米倉さんの名前を記憶していなかった。
そのため、ずっとネットで調べることも出来なかった。

先般、テレビで「男はつらいよ」を見ていたら、初期の作品に、米倉さんが、警官役で出ていることに気が付いた。

そうか、この方法がある。
「寅さん、警官役」で検索して、ようやく情報がつながったのだ。

(権利関係は定かではないものの)YouTubeで見つけ、朗読を、また聞くことができた。

ところで、「おとなになれなかった弟たちに…」のことを、ネットで調べていたら、不思議なことに気が付いた。

この作品を語る、塾の講師の、ショート動画などが沢山アップされているのだ。
それも、新しいものが、次々に。
授業の進め方を説明する資料なども出てくる。

どうやら、入試対策として、今や定番の教材らしい。
「このとき、〇〇はどんな気持ちでしたか」という問題なども作りやすいのだ。

それにしても、動画では、根掘り葉掘り、一つひとつの文章や、単語が考察され、テスト問題になったりしている。

もし、こんな動画を見たら、米倉さんはどんな気分になっただろう。

ある夜。
長女が、台所で、夕飯の洗い物をしてくれていた。

一つ、聞きたいことがあった。
長女の中学の教科書にも、米倉さんの話しは、載っていたのか。

こんな返事だった。

自分は、あまり覚えていない。
そう言われてみれば、そんな気もする。
それより、今、ぞわっとした。
実は、今日、大学の授業で、こんなことがあった。
先生が「ほら昔、教科書に、こんな話があったでしょう」と同じことを言ったのだ。

なんか、それ、今はやってるの?

宮沢賢治の物語の方は、入試の問題などにはなりにくいだろう、と思う。
解釈の幅が、広がっていくからだ。

すすきの中の、西洋造りの料理店。
葉が落ち、吸い込まれてしまいそうな、静かな、初冬の木々。

米倉さんの朗読のおかげで、私も、そんな風景が見えてきた。
賢治の文章を、どんなリズムで味わえばよいのかも教えてもらった。

長女にも、いつか、この気分が、伝わればよいのだが、と思う。

今、口に出せば、きっと、こんな言葉になってしまう。
テストの答えなら、とても点数は期待できない。

『賢治の文章と、米倉さんの朗読があいまって、なんか、ざわざわした気持ちになるんだよね。
ホント、なんか、いいんだよね。』

伝えきれない、もどかしさだけが残ってしまう。

2026年10月某日

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