№107 退職その後の一里塚(孔子『論語』)

ねこプロ

最近、いくつかの方法で「論語」を読んでいる。

昔買った、講談社+α文庫の、マンガで読むシリーズの「論語」も眺めているが、寝る前の時間、暫く読んでいたのは、貝塚茂樹、訳注による、中公文庫の「論語」。

元々は、亡くなった、私の父親が買った、文庫本である。

訳者の貝塚博士は、京都大学名誉教授。
親や、兄弟、子供も含め、みな学者一家の人である。

何と、日本人初のノーベル賞受賞者の、湯川秀樹博士は、実の弟らしい。

貝塚博士も、湯川博士も、それぞれ婿に入って、姓が変わっているから(二人とも旧姓、小川)気付く人は少ないと思う。

父親から、私が、この文庫本を借りた時のことを、今も、時々思い出す。
両親が、そろって施設へ移る、その一年位前の話しだったと思う。

父親の書斎で、立ち話をしていたときに、本棚にあったこの本を、ふと見つけたのだ。

論語は、機会があれば、一度ちゃんと目を通したい、と思っていた。
借りても良いかと聞くと、父親はこんなことを言った。

自分もオーソドックスな論語を読みたくて買ったのだが、どうやらこの本は、訳者の、独自の見解も多いようだ。それでも良ければもっていけ。

その後、読んでみると、直ぐに、これは自分の新訳である、という率直な解説が目についた。

なにより「子曰く(し、いわく)」というリズムで馴染んでいる冒頭のフレーズも、「し、のたまわく」という読み仮名になっていて、調子が狂った。

(この点は、孔子の言葉として、敬語で丁寧に、のたまわく、と読むのが伝統的な姿、ではあるらしい。昔、寺子屋で、ちびっこたちは「し、のたまわく」と、素読していたのだ。)

癖を感じ、読み進める気持ちが失せ、その本は、その後、本棚の奥に、収まったままとなった。

当時、どうして私が、論語に目を通したいと思っていたか。
それは、日常の仕事の中で、一定の必要性を感じていたからだった。

ビジネスの場面でも、論語にルーツを持つ話やキーワードが、時々不意に、顔を出す。
社会人として、あった方が良い教養。
ベーシックな解釈や読み下し方を、自分も、押さえておきたい、と思ったのだ。

そんな現役時代の呪縛から解放されて、今般、その分厚い文庫本を、気楽に読み進めた。

貝塚博士の、幅広い知識を背景にした、ざっくばらんな解説を読んで、ようやく分かってきた。

論語には、人それぞれ、色々な解釈、受け取り方が、存在しうる。
そして、それ自体が、論語の世界である、ということが。

ところで、その時、父親の書斎に、私と父親が、どうして二人そろって居合わせたのか。
説明したいことがあるから、一緒に来てほしいと、父親が、私を書斎に呼んだのだ。

書斎で、父親は、こんな話しをした。

この引き出しに、茶封筒が入っている。中に、自分にかけた死亡保険の証書を入れてある。
おまえを受取人にした。その時が来たら葬式代にしてほしい。
それから、この棚に、自分が、校長を務めていた学校の卒業アルバムがある。遺影には、冒頭の、校長室で写した写真を使ってほしい。(少し若すぎるけどな。)
それから、若い頃から、時々研究発表してきた成果物をまとめた冊子を、自費で印刷したのだが、ここに何冊か残っている。一部、持って行って欲しい・・・

私は、了解した、任せてほしいということを言った。
父親は、よかった、よかった。ちゃんと話しておきたくてな、ということを言った。

父親の気持ちを受けとめたあと、一息、置いてから「おっ、良い本があるね」と、私が、話題を変えたのだ。

私が退職して、そろそろ1年半になる。
本業の仕事を、開業してから数えれば、ほぼ1年。

一里塚のように、ちょっと、振り返っておくべきタイミングなんだろうな、と考えていた。

というのも、いよいよ本格的な仕事の案件が入り始めた。
その分、重苦しい責任も生じ、何となく迷いも感じ出している。

元来のまじめさが、頭をもたげはじめ、気が付くと、個人的な楽しみは後回しにして、まずは責任を果たさなければ、というような思考になっている。プライベートの時間に、仕事上のリスクを、ふと考えていたりもする。

大事な事を、その優先順位を、何かまた、間違えては、いないだろうか・・・・

人間も、生物である以上、その根本の欲求は、命をつなげていくこと、ではないかと思う。
そのために、ものを食べ(食欲)、眠って体を休める(睡眠欲)。

自分の命が最優先、と見えて、その実、その上位の本能は、子孫や次の世代に命をつなげていくこと、なのではないか。その「ひと仕事」を成し遂げるため、自分の命をつなごうともがく。

実際、生殖行動の後、ダイレクトに命がつきるサイクルになっている生物も、いたりする。
産卵後のサケだとか、カマキリの雄だとか・・・

私の場合、三人の子供達の人生を、先につなげてやることが「ひと仕事」なんだと思う。

長男と二男は独立した。
長女に対しては、もう数年は、ご飯を作ったりする、直接的な仕事が必要になる。

ただ、その後は、私自身の心身の状況が、彼らの生活に、なるべく不可をかけないようにすることこそが肝要ではないか。(子供達の「命」が健全に、先に進めるように。)

体の方の病気は、時間の経過とともに、避けがたい。
しかし、心の方は、なるべく長持ちさせたい。

実は、そんな考え方が、早期退職を実行に移した、一つの大きな理由になっている。

心身に不可の大きい仕事を続け、メンタル不調に陥ってしまったら、子供達のこれからの生活に、余りにも大きな負荷になってしまう。

そうなる前に、早期退職しよう、と考えた。

同時に、その後の、生活の設計も、重用だ。
楽しみながら、自分の命を働かせ続ける、仕組みの工夫が必須。

自分の性質を考えれば、趣味だとか、ボランティア活動だとかを生活の柱にしたのでは、早晩、行き詰まることは明白だと考えた。

それだけでは、人間関係上のわだかまりだとか、付き合いの億劫さだとかで、ちょっとした段差が乗り越えられなくなる。引きこもりのような状況に陥る危険がある。

回避するヒントは、小さくとも何か、ビジネスを手掛けることではないか。
僅かでも、お金が入る活動なら、きっと、やる気が続くはず。

なにより、仕事なんだから、もう少しだけ我慢して頑張ろう、と自分を納得させるエネルギーを生み出せるのではないか。

そんな仮説の下、進んできた先に、今がある。

どうやら、作戦通り、一定の収入につながりそうな、仕事も入ってきた。
しかし、その分、拘束も増え、気も重くなってきた。

辿り着いた、この一里塚。
見渡してみれば、思っていた景色と、少し、違うような気もしてくる。

しかし、確かに、目指していた場所には違いない。
ルート自体は、間違ってはいない。

或いは、ポイントは、この先の進み方、なのかもしれない。
今更、急ぐ必要は無い。

心身の休息をちゃんと取りながら、進んでいこう。
行けるところまで。

『論語』について、手短に整理しておこう。

論語は、孔子とその高弟との会話が、まとめられた書物である。
「子、曰く・・・」と続く文章は、「ある時、孔先生が、こんなことを言いました・・・」といったニュアンスの文章である。

孔子の死後に、弟子達がまとめたものであるが、どの弟子がどうかかわったか、実は、はっきりしていない。

全10巻、20篇の中に、およそ500に区切られる文章が、収まっている。
篇の名称は、「子曰」の次の、二文字(又は三文字)がそのまま使われている。

例えば、冒頭の第一巻、第一篇は、「学而篇」(がくじへん)。

最初の文章の『子曰く、学びて時に習う、亦(また)よろこばしからずや・・・』(子曰、学而時習之、不亦説乎・・・)の冒頭の、子曰くの次の「学而」の二文字が篇名になっているのだ。

具体的な文章について、一つだけ。

第四篇、理仁(りじん)篇の中の、この有名な文章。
映画の中で、寅さんも、受け売りでしゃべっていた。

『子曰く、朝(あした)に道を聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり。』
(子曰、朝聞道、夕死可矣)

朝、人として生きるべき正しい真理だとか、道理を悟ることができたなら、その日の夕暮れに死んだとしても、思い残すことはないだろう、というような意味。

昔、確か予備校で、この文章のことを話している講師がいた。
一生懸命、勉強して、真理がつかめたなら、死んでも構わないような境地になれる。逆に言えば、それくらい、必死で、勉強しなければ、だめなのだ。

その時は、なるほど、何となくその考え方は、格好良い。しかし、死んでも構わないなんて、自分には、絶対に無理。そう考えて、終わった。

この言葉。
今は、少し、違う感じ方をしている。

私が、一人考えているのは、こんな理屈だ。

死んだ後、人はどうなるのか、その先が分からない。永遠のなぞ。
人間、情報がないから、あれこれ考えて怖くなる。
仮に、そこがちゃんと理解できたのなら、もう怖くなくなるのではないか。

つまり、私の訳は、こんな具合になってくる。

『朝に道を聞かば(もし、死んだ先のルートを、誰かにレクチャーしてもらえるなら)、
夕べに死すとも可なり(たぶん、死んでもだいじょうぶ)。』

論語は、自分自身を映す鏡、ともいわれる。
様々な読み方が出来ることが、魅力の一つになっている。

この言葉の意味も、私自身、もう少し違うバージョンも思い浮かぶ。
こっそり、こんなことも考えている。

『朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』
(私訳:死ぬとはどういうことか、その反対として生きるとはどういうことか、そこが心底、理解できたのなら、きっと、自分の死だって、受け入れられるんだろうけどな・・・)

2026年8月某日

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