評論家で、編集者の山田五郎さん。
先般、67歳で、亡くなった。
定期的に通院している、内科の待合室で、私は、それを知った。
つけっぱなしのテレビに、短いニュースが流れたのだ。
午後のまちの病院は、混雑していた。
前の席の、元気な、おじいさんが一人、「えっ」と声に出して驚いていた。
他の人達は皆、無反応だった。
ニュースでは、亡くなる数日前、鼻に管を通した状態で、それでも椅子に座って、コメントする五郎さんの映像が流れた。
YouTubeで配信されたものらしい。
五郎さんは、自分で、自分の状況を、こんなふうに、淡々と説明していた。
「人間、立って歩いて飯(めし)食えてるうちは、死なないって思ってたけど、もう、死ぬよ。立って歩くことも、飯食うこともできねえ。そんな状態です。」
そのニュースでも、評論家で編集者、という肩書で、紹介されていた五郎さん。
しかし。
考えてみると、そもそも、いったい、どんな背景の人だったのだろう。
昔、タモリさんと、深夜の番組に出ていて、その存在を知った。
その後も、時々テレビで見かけた。
話しぶりが面白くて、好きだった。
ふと手を止めて、耳を傾けたくなるような、話し方をする人だった。
調べてみれば、その経歴はこう。
上智大学文学部に進学した後、西洋美術史を学びたくて、1年間、海外留学までしている。
しかし、家庭の事情もあり、卒業後は講談社へ就職。
美術書に携わりたいとの期待もむなしく、配属先は、情報雑誌の編集部。
若者ファッションの情報雑誌『ホットドッグ・プレス』を担当。
後年、この雑誌の編集長も務めている。
テレビに出始めたのは、どうやらタモリさんの、その番組から、だったようだ。
(1991年(令和3年)に「タモリ倶楽部」に「お尻評論家」として出演。)
2004年(平成16年)に講談社を退社して独立。
その後、フリーランスの編集者や評論家、タレント、コラムニストという形で活動。
2021年(令和3年)1月に、『山田五郎 オトナの教養講座』というタイトルで、主に美術をテーマに、YouTubeの動画配信を開始。
この仕事が評価されて、2025年(令和7年)には、伊丹十三賞を受賞している。
いくつか、この配信動画を見て、ようやく得心することができた。
これが山田五郎という人の、本当の土俵だったんだな、と。
病気が重くなってからの、最近の動画を見るのは、ちょっと辛い。
あの本来の語り口の、良さげな動画はないだろうか、と暫く探してみた。
ぴったりの、短い動画が見つかった。
動画の配信を始めた直後。
登録者数が伸びだして、そのお礼の動画、ということらしい。
ギターも得意な五郎さんが、弾き語りで替え歌を歌うという企画。
冒頭、作曲家のパッフェルベルが作ったカノンの、いわゆる「カノン進行(コード進行)」について、うんちくを語る。
カノン進行による、名曲は多い。
そのメロディーに乗せて、ゴッホの生涯を歌う、というのだ。
かなりの、ブラック・ユーモアが効いている。
この動画だけを見ると、或いは、ゴッホを茶化しているだけ、と感じる人もいるかもしれない。
しかし、何本かある、ゴッホの生涯を語る、本編動画の方を見れば、五郎さんが、如何にゴッホの人生を、深く見つめているかが、良く分かる。(つまりは、相当に好きなのだろう。)
ゴッホは、手紙魔だったという。
あらゆることを手紙に書いて、みんなに送るから、プライベートが丸わかり。
ところが、二つだけ、どうにも経緯が不明な事件がある。
それが、耳切り事件と、自殺の経緯、なのだ。
耳切り事件の方は、ゴーギャンとの仲違いで錯乱したゴッホが、自ら自分の耳を切ったと言われている。(切った耳を娼婦へ届ける。よりにもよってクリスマスに。)
また、拳銃で、自分を撃ち、その二日後、亡くなったとされている。
それぞれ、それが定説となっている。
五郎さんは、こんな異説もある、と紹介してくれた。
耳切りの方は、フェンシングが得意だったゴーギャンがやったものではないか。
(事件後、ゴーギャンの剣が、急に無くなっているらしい。)
自殺の方も、本当は、当時ゴッホにまとわりついて、悪さをしていた少年たちが、誤って撃ったのではないか。
(弾は貫通せず、胸の中で止まっていた。至近距離で撃って貫通しないのはおかしい。自殺しようという人間が、体を撃つのも不自然。)
この話の真相。
今後、これ以上に何か証拠が出て、はっきりする可能性は、低いだろう。
ポイントは、それが本当か、嘘か、ということではないと思う。
一通り、解説した後、五郎さんは、いつも声だけ動画に登場する、若い女性スタッフに、説明用のフリップボードを片付けながら、こんなことを語りかけていた。
ゴッホは、めちゃくちゃな人で、困ったちゃんだったけど、他人のためにどこまでも尽くすような人でもあった。耳切り事件では、ゴーギャンを、自殺の件では、少年たちをかばったのかもしれない。そうして、黙って死んでいったのかもしれない。ゴッホとは、いかにも、そんなことをしそうな人、だったのだ。
『もし、そうだったとしたら、どうよ。どう思うよ。』
死ぬまでの間、ゴッホは、警察や周囲の人に、自分がやったのだ、と説明し、同時に、こんなことを言っていたという。
「誰も、責めないでください。」
五郎さんの講義のおかげで、ゴッホの人生と、そしてその死を、もう一段深く、感じ取れるようになった。
これから先、ゴッホの絵を目にするときは、嫌でも、教えてもらったエピソードが、必ず頭に蘇るだろう。
五郎さんの、少し舌足らずの、あの軽妙な語り口と、必ずセットで。
2026年7月某日
