№104 父の日(山本直純『男はつらいよ』)

ちちプロ

昭和の作曲家、山本 直純(やまもと なおずみ)さん。

深夜のラジオで、その作った曲をまとめて流す、番組をやっていた。

黒々とした長髪に口ひげ。黒縁眼鏡。
小柄で、少しずんぐりとした体型。

子どもの頃、テレビの音楽番組などで、よく見かけた人だ。

ちょっと得体の知れない感じもあったが、昭和のテレビの思い出とともに、その風貌と話しぶりが、今も、ありありとよみがえってくる。

調べてみると、音楽一家に生まれた、れっきとした芸術家だったようだ。

小さな頃から、音楽の英才教育を受けて育った。
あの世界的指揮者、小澤征爾さんとも、一時期、ともに学んだらしい。

童謡の『歌えバンバン』や『一年生になったら』も作曲。
加えて、♪こぶた・・・たぬき・・・きつね・・・ねーこ、と続く、あの『こぶたぬきつねこ』も、山本さんの曲(作詞も)。

小学生の頃、毎週土曜の夜、夢中になって見ていた、ザ・ドリフターズの「8時だョ!全員集合」。

この番組で使われていた曲も、山本さんの仕事だったらしい。
今でも耳に残っている、場面転換のときのメロディーなども、全て作ったのだと思う。

TBSラジオで、長く続いた『小沢昭一の小沢昭一的こころ』という番組。
この番組のテーマ曲や、話しの区切りで使われていた、印象的な音楽なども、山本さんの仕事。
そういえば、劇中音楽のことを「お囃子(おはやし)」と言っていた。

深い、音楽的素養を背景に、誰にも分かりやすく、心に残る曲を作り出す、というのが真骨頂だったのだと思う。

小澤征爾さんは、山本さんから、昔、こんなふうに言われたという。
「自分は日本で、音楽の底辺を広げる。お前は、世界の頂点を目指せ。」

映画「男はつらいよ」の主題歌。
冒頭、渥美清さんが歌うあの曲も、加えて映画の中の音楽も、山本さんの仕事だったようだ。
確かに、映画のオープニングで、毎度、山本さんの名前が、大きくクレジットされる。

最近、週末の夜、BSで、「男はつらいよ」が放映されている。

普段、あまりテレビを見ないのだが、このところ、毎週、この映画を見るサイクルになっている。

それは、長女の夕飯作りを、何となく(晩酌をしながら)待つ時間に重なっているからなのだ。

昨年、仕事を辞めた後、車中泊も挟みながら、数日間、車で遠出をし、家を空ける、ということをしている。

それは、(他に立ち上げている)ブログに書く記事のネタを集めることと、気儘に旅行したいという、いわば趣味と実益を兼ねて、というのが主旨。

実は、もう一つ、密かな目的もある。

それは、長女との距離感を、段々コントロールしないといけないな、と考えてのもの、なのだ。

昨年、私が仕事を辞め、長女が自宅から大学に通い始めた後も、引き続き家事全般は、私の役割となっている。

実習の多い大学ということもあり、長女が、日々の生活リズムを守り、学校に通い、社会で生きるスキルを身につけることが、まずは最優先、と考えている。

だから、当面、私が朝夕、食事を作ったりすること自体に、異存は無い。
しかし、長女が、このまま、料理などを覚える機会がない、というのも気になるところ。

そこで考えた。
私が、数日、家を空けるような小旅行を繰り返していれば、さすがにその間、長女も、自分の食事の在り方など、ちゃんと考えるようになるだろう。

ところが、昨年来、小旅行の後、長女に何を食べていたか、尋ねると。

冷凍して、ストックしてるご飯をレンジで温めて、お茶漬け。或いは、ソーメンを茹でて、めんつゆで食べるだけ。その時、気に入ったそんな食事を、連続して何度も食べ続ける。

と、そんな過ごし方を繰り返しているだけ、らしいのだ。

考えてみれば、私だって、一人の時は、夕飯であっても簡単に済ませようとする。
誰かに、作る必要があってこそ、味噌汁やサラダなど、手間をかけるもの、かもしれない。

そこで考え直し、長女と相談した。

結果、週に一度だけ、長女が、私の分と二人分、ご飯を用意し、片付けまでする。負担の少ない、土曜の夜がよい、となったのだ。

毎週、YouTubeで、人気の料理人の動画を見ながらの、長女の作業が終わるまで。
手間取りながら、それでもどうにか仕上がるのを、私は、寅さんを見ながら(口は出さないことにして)静かに待っている、という訳なのだ。

先般の、父の日、こんなことがあった。

夕方、長女が、ちょっと取ってつけたように「そういえば父の日だったね。父の日おめでとう」と言った。

その時私は、誕生日なら、おめでとうということもあるだろうが、長男と二男も、無反応だったし、何も、めでたくない。そもそも、そんな日ではない、とつい、ぼやいてしまった。

少し、気まずい感じで、話しはそれで終わりとなった。

私も、心の中では、十分、納得はしていたのだ。
そもそも我が家で、長年、父の日をスルーするように仕向けてきたのは、私自身なのだから。

それは、母の日とバランスを取るためだった。

妻が亡くなった後、残された私と、小さな三人の子供達。
母の日だけは、どうにも工夫の余地のない、イベントだった。

子供達の気持ちを、他に持って行く先も、思い浮かばなかった。
平気なふうで、ただやり過ごすしか、なかった。

父の日の前に、子供達に、お父さんに何でも良いから、プレゼントするんだぞ、とか、家事を手伝うんだぞとか、冗談にまぎれて、言い聞かせる、ということも十分、可能ではあった。

しかし、そんな気持ちには、なれなかった。
母の日を、意識させたくなかったからだ。

我が家では、母の日も、父の日も、特になにもしない日、関係ない日、となった。

もし妻が生きていたら、我が家でも、父の日には、妻がスポンサーになって、子供達に、私へのプレゼントを買わせたことだろう。

そんな、妻だった。

随分と、遅れてしまったが、これから家庭を作る、我が家の子供達に、考え方だけは、ここで説明しておきたい。

まず、母の日には、お父さんが、子供達に、お母さんに感謝する気持ちが大事であることを教え、その表現方法として、何かプレゼントを選ばせる。それを、毎年、繰り返す。

そして、父の日には、逆に、お母さんが、同じ役割をする。
きっと、それが、円満な家庭の作り方、なのだと思う。

父の日の、二日後の夜。

思いがけず、長女から、ムーミンのイラスト入りのマグカップを、もらった。
父の日のプレゼントだという。お礼を言い、ありがたく受け取った。

長女は、私が、ムーミンの文庫本を集めたりして、その物語が、好きなことを知っている。
どうやら、私の変な態度のせいで、気を使わせてしまったようだ。

プレゼントを選ぶ時間をつくってくれたこと、その気持ち自体が、嬉しい。
人間関係の上で、形で示す、ということが、時に、大事なことも、教えたいことの一つ。

ただ、乏しい小遣いを使わせたいわけでは、なかったのだ。
そんなつもりでは、なかった。

とても真似できなし、この先、直接、長女に言うつもりはないのだが、渥美清さんだったら、寅さんのあの口調で、こんなふうに、しんみり、諭してくれる場面、なのかもしれない。

『嬢ちゃん、まあ良く聞きな。「父の日」ってえのはね、来る日も来る日も、汗水流して働いて、家族を養ってくれたおとっつあんに、心の底から一言、ありがとう・・・っていう日なんだよ。それで十分なのさ。』

ああ、何だかまた、寅さんのあの歌が、聞きたくなってきた。

2026年6月某日

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