№31 行き合いの空(『巻雲と積雲』に想う)

ねこプロ

勤務時間終了後すぐのこと。
仕事上の昔の苦労話しを、ふと思い出した。
それを引き合いに、今進んでいる案件のリスクについて、部下に一言話しておきたくなった。

帰る前にと、担当チームのデスクへ向かう。
それは、チームリーダーの目の前の席にいる中堅職員にも聞かせておきたいエピソードだった。
チームリーダーに向かって、少し大きめの声で立ち話を始める。

このところの私の習慣だった。
その中堅職員は、今後リーダーになっていくことが自然と周りからも期待されている人材。
ゆくゆく参考になりそうな話しなら、なるべく彼にも伝えておきたい。
折に触れ、私も心がけてきていた。

しかし、数週間前のこと。
お盆の前後、まとめてとった私の長めの夏季休暇明けのことだった。
重い心と体を引きずって、ようやく職場に出てきた、その朝一番。

そのチームリーダーから、ちょっと相談したいことがあるんですが、と隣の会議室へと促された。

「またきたか」

何かのトラブルが起きたことは間違いない。
こんな思いはもう沢山。
計画通り、早期退職に向けて準備を進めよう。
だから、そこまでは何とか頑張ろう。

自分を励まし励まし、自席から立ち上がる。
もっとも、隣の部屋に移動するまでの短い時間の中でのこと。
心の中でつぶやいたフレーズは、幼稚にもこんなことにすぎないのだが。
「辞めてやる、辞めてやる」

会議室に入ると、その次世代のリーダーと目される職員もいる。
神妙な顔付き。
彼が何かミスをしたのか。

話しが始まる。
それは、意外な展開だった。

その中堅職員は、転職を考えているという。
既に、お盆期間をはさんで次の職場の内定が出ている、との説明。

聞けば、そこでやりたいことがある、自分のスキルを試したい。
そんな前向きな思い。
我々や、今の職場が嫌になって、ということではないらしい。
もはや決意はゆるがない様子だった。

その後、若干の調整を経て、今は彼の希望通り、数か月先の退職を組織として受け入れることで落ち着いている。

チームリーダーへ何か伝達したりする際に、彼の耳にも入るように、少し大きめの声で話してきたこれまでの私の習いぐせ。

もう虚しいな、と少し思いつつ、それでも私が昔、同じような局面で何故苦労したか、その経緯を彼にも聞こえるくらいの声で、チームリーダーへと説明する。
予想できるリスクなら、皆が苦労しないで済むよう、それは避けてほしいから。

職場を後にして、いつものバス停へと向かう。

信号待ちとなる。

見上げると、高い位置の秋のすじ雲と、低く、夏のなごりのモフモフとした雲が重なった空。

数日前、テレビで解説していた。
これがその「行き合いの空」か。

随分と、二つの雲の高さに差がある。
違う方向へ、交錯しているように見える。

調べてみると、すじ雲は巻雲(けんうん)、わた雲の方は積雲(せきうん)というらしい。
巻雲は高度1万メートル以上。
高度1万メートルといってもちょっとピントこないが、巻雲と積雲との距離は10㎞位。
平面で想像すると、10㎞とは随分と遠い。

転職するという彼に、実は自分も早期退職を考えている、とはまだ言えていない。
果たして、この数か月の間に、その機会はあるだろうか。

見上げた、交わらない二つの季節の雲。
何だか似ているな、と思った。

2024年9月某日