長年使い続けた冷蔵庫が、いよいよ駄目になった。
どうにも冷えなくなってしまったのだ。
なにしろ長寿の冷蔵庫である。
少なくとも35年は、使っている。
妻が一人暮らしを始めた時に、買ったものである。
私と妻との二人暮らしも、その冷蔵庫で、始めた。
その後、今のマンションへ引っ越し、子供三人となった後も、そのまま使った。
故障とは無縁だったが、子供も大きくなり、流石に買い替えようと、妻も、言い出していた。
しかし、妻の病気が分かった後、生活は一変した。
家電の買い替えを、考える余裕は、なくなった。
治療中心の生活になっていたある時、妻が、冷蔵庫を眺めながら、こんなことなら早く新しいのに替えればよかったと、つぶやいたことがあった。
その後、私一人の、子育てが始った。
相変わらず、その冷蔵庫が相棒だった。
食材がだぶつかないように、上手く回せば、朝夕の食事、加えて弁当まで、十分まかなえることが、分かってきたからでもあった。
数年たち、冷凍食品をもっとストックしたい。自動製氷機の機能もほしい。だから買い替えようと、子供達も、主張するようになった。
しかし、サラリーマン勤めの頃は、買い替えの手間が億劫(おっくう)だった。
どうにも時間が惜しかった。
妻の、一人暮らし時代の冷蔵庫で、どうして、ここまでこれたのか。
それは、そもそもが、大き過ぎるサイズだったからだ。
スリードアの冷蔵庫だった。
高さこそ控えめの150センチ程だったが、幅60センチ、奥行き60センチ。
大人の二人暮らしにも余裕の大きさだった。
結婚前、私が、妻のアパートに遊びに行ったとき。
随分、立派な冷蔵庫だねと、驚いて、つい言ってしまったことがある。
その時、妻は、照れ笑いしながら、こんな言い訳をした。早口で。
「わたしもね、大きすぎるかも、って思ったんだけど、お父さんも、長く使える方がいいって、いうし。野菜室が真ん中で、しゃがまなくい良いのが気に入ってんのよ。色も薄いグリーンで、ちょっと他にないし。」
妻は、私より一つ、年下だった。
高校を出た後、実家にほど近い市内の病院で、住み込みで働き始めた。
働きながら、准看護師養成学校へ通う、というスキームで。
その学校自体、地元の医師会が設立したものだった。
同い年の女の子との相部屋、だったようだ。
住み込みの、最初の日の、夕食を食べた後。
妻は、緊張で具合が悪くなり、食べたものを、全部吐いてしまったという。
夜、母親へ、電話をかけた。
どうにもやっていけない。家にもどっても良いか、と。
すると、呑気な義母は、大丈夫、大丈夫。よくあること。三日もすれば慣れる。じゃあね。
と、直ぐに電話を切ったらしい。
「すぐ切られてさー」と、あきれたように、面白おかしく話してくれた、妻の声の調子を、今もそのまま、覚えている。
妻は、その後、正看護師になった。
市内の、県立病院の採用試験にも受かり、実家近くのアパートで一人暮らしを始めた。
その際、家具や家電など、一通り、自分好みのものを買いそろえたのだ。
義父と義母、それから仲の良かったお姉さんと一緒に、選んだと思う。
四人で、あーだこーだ言いながら。
頑張った我が子。
晴れて一人立ちのための道具選び。
家電好きの義父にとっても、きっと楽しい時間だったと思う。
私の子育てまで、長年支えてくれた、その薄緑色の冷蔵庫。
昨年あたりから、いよいよ冷蔵室の、扉の閉まり方も、あやしくなっていた。
くっつく手応えが、時々、急に心細くなった。
完全に壊れたら、氷などが、一気に溶け出して、大騒ぎになる。
その前に、手を打たないと。
もう何年も、そう思い続けてはきたのだ。
ついに、数週間前。
一番上の、冷蔵室の冷え方が、弱くなった。
冷気が感じられなくなった。
真ん中の野菜室もあやしかった。
下の、冷凍室だけは、変わらなかった。
氷が溶けることもなかった。
とりあえず、中の食材を、消費していった。
最低限、冷凍食品だけ買い足して、当座の食事をやりくりしつつ。
何日か、そんなふうに、それでも、ぐずぐずしていた。
義兄の相続手続など、やるべき仕事に、日々追われてもいたからだった。
ある日の深夜。
ふと目が覚めた。
デジタル時計を見ると、ちょうど午前2時22分。
少し、頭がさえた。
今、優先すべきことは何だろうと、考えた。
直ぐに、冷蔵庫の買い換えが、浮んだ。
数日前、義兄と飲んで、妻の最後の様子を話題にしたことも、思い出した。
死の直前、私が仕事場に戻っていた短い間、苦しがったという妻。
私がそこにいて、ありがとう、もう十分だよ、とでも声をかけたなら、妻も、すっと向こうへ逝けたのではないか。
今の冷蔵庫の状況も、どこか似ているのではないか。
電気系統が、とっくに限界を超えていることは明らかだ。
それなのに、冷凍庫の方だけは、動かし続けてくれている。
おかげで、野菜やマヨネーズなど、使い切ることができた。
随分と長い時間、支えてもらったのだ。
もう、解放してあげないと。
夜が明けたら、腹を決めて電気屋を回り、配送の日まで決めてしまおう。
そんなことを考えながら、再び、眠りについた。
その後、今。
長年、薄緑色の冷蔵庫があった、その場所には、一回りスリムで、その分少し、背が高い、白い冷蔵庫が収まっている。
搬入までの数日、ねじを巻いて、掃除などもした。
二十年前、冷蔵庫を、引っ越し業者に設置してもらったときに、妻が、悔しそうに、下に敷く、専用のシートを買っておけばよかったと、言っていたことを思い出したりもした。
おかげで、搬入の日の早朝、近所のホームセンターに行って、サイズの合うシートを買って、入れ替えのタイミングで、無事、下に敷くことができた。
前の冷蔵庫の扉には、沢山のマグネットをくっつけていた。
メモを貼るための事務用の丸い物もあったが、キャラクターの形や、業者の電話番号が印刷された、広告用の四角いマグネットなどもあった。
それは最初、子供の学校のプリントを貼るために、妻がつけたものだった。
妻が使うことがなくなった後は、長女のおもちゃになった。
保育園の頃、長女は、そのマグネットで、よく遊んでいた。
私がカウンター式の台所に向かって水仕事をしているような時。
斜め後ろの冷蔵庫の前にしゃがみこんで、黙々とマグネットを並び替えている、長女の小さな背中に、ふと気が付くことがあった。
きれいに貼れたね、と声をかけると、えへへ、といつも嬉しそうだった。
何となく、忘れがたい記憶として残っていて、いつしか、長女がそんな遊びをすることがなくなった後も、マグネットは、そのままにしていた。
今回、業者が来る前に、そのマグネットも、ようやく片づけた。
多くは直ぐ、はがれたが、質の悪いシート状のものが、破れて、一部がこびりついて、どうしても取れくなったりした。
流れた時間に、驚いた。
こうして、ついつい古い冷蔵庫の、追悼の文章を書いてしまった。
不思議と、満足感もある。
立ち止まって、文章にできて、良かったと思う。
あやうく、通り過ぎてしまうところだった。
冷蔵庫の前で、日々繰り広げられる、なにげない家族の日常。
考えてみれば、それは、どこの家庭にもありながら、同時に、ついつい流れ去って見えなくなる、大事な時間、なのかもしれない。
これから家庭を作る、私の子供たちにも、この気分が伝わればよいな、と思う。
2026年4月某日
