№17 「テルーの唄」と修学旅行(手嶌葵『テルーの唄』)

雑文

その日私は、部下の運転する車で、朝から、県内のいくつかの市町村を回り、打ち合わせをこなすというような仕事をしていた。
ようやく最後の訪問地であるM市を後にし、帰途に付いた頃には夕方になっていた。

沿岸部のM市は、大きな川の河口沿いに広がったまちである。

県央部まで戻るためには、その川沿いの道路を、上流へ上流へと進む形になる。
広い県土である。
ゆうに二時間近いドライブとなる。

M市を出発してすぐは緩やかに蛇行する、広い河川敷沿いの道が続く。
冬晴れの穏やかな一日だった。
斜めの日差しが川面に反射して、オレンジ色にキラキラと輝いていた。

その川沿いの道、加えて丁度同じ時間帯には、忘れられない思い出がある。

M市は亡くなった妻の故郷であった。
十数年前、私と妻と三人の子供とで、車で、妻の母親のお見舞いに駆けつけたことがあった。
ガンを患っていた義母は、まもなく最後の時を迎えようとしていた。

お見舞いの後、妻はそのまま付き添いのため、病院に残ることになった。
夕方、妻を残し、私と三人の子供達だけ、県央部の自宅へ向けて、車で出発した。

夕日を反射して赤く輝く川沿いの道を走り出した頃、母親が一緒に家に戻らないことに気付いた一番下の娘が、車の中で大泣きし出した。

「お母さんがいい、お母さんがいい」
そう何度も叫びながら。

三人の子供達は、それぞれチャイルドシートに座らせていた。暴れる危険はない。
私は黙って運転を続けた。
小学生の長男と、二男も何も言わなかった。
その時点で、妻の病気も既に深刻な状況だった。
近い将来に家族に起こることを、想像せずにはいられなかった。

当時、子供達のために車のCDプレーヤーで、よくジブリの曲をかけていた。
その時私は、手嶌葵の「テルーの唄」に曲順を合わせた。
静かな気持ちになって、娘が落ち着くのではないかと思ったような気がする。
しかし、その歌声は、あまりにも周りの景色と、私たち家族の心情とに合い過ぎた。
残酷なまでに。

娘にとっては相当に古い記憶だと思う。
しかし、たまたま車でそのジブリの曲が流れたりすると、今でもその時の気持が蘇るらしい。

昨年末から、私のチームは、厄介な仕事上のトラブルを抱えていた。
いよいよ、その問題のケリを付けなければならない。
その日の車中でも、ほとんどその事で、私の頭はいっぱいだった。
仕事の疲労もあった。
川の流れを見ながら、ぼんやりとした頭で、あることを思い出した。

「そういえば・・・」

高校生になった娘が、今どうしているか。
何とカナダにいる。
わずか数日間の学校の修学旅行ではある。
しかし、ホームスティも体験するプログラムとなっている。
きっと得難い経験となるはずだ。

川面の夕日の反射に目をやりながら、二つの姿が重なって思い出された。
不安にかられて大泣きしていた四歳の姿と、数日前、ああ緊張する緊張する、と言いながらも、どこか自信ありげに、いそいそと旅支度をしていた大人びた彼女の顔付きと。

2024年1月某日

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