№18 バリアフリーと命日

雑文

高校の修学旅行でカナダまで行っていた長女が、予定通りに夜の十時過ぎ、地元の駅までたどり着くという。
私が、車で迎えに出る約束となっていた。
早めに出て、閑散とした夜の立体駐車場の一階に車を停めて、そこでそのまま長女を待つことにした。

私にとっても大変な一日だった。
午後、生まれて初めて謝罪会見なるものを行った。
私が責任者を務めるチームの、昔の担当者のミスによるものである。
集まった地元のテレビカメラや新聞記者に囲まれて、ソファーから立ち上がり、まずは深く頭を下げる儀式をこなす。
その後、座って矢継ぎ早の質問を受ける。
一つ一つ順に答えていく。
虚心坦懐、誠実実直のスタンスで。

記者達も、どうやら一通り質疑応答に満足し、まずは全体の記者会見が終了。
その後、立ち話で、個別に確認したい記者達に周りを囲まれる流れとなる。

それもようやく終わったと思われた頃、少し離れた下の方向から誰かに声をかけられた。
ちょっとこちらも良いですか、と。

見ると、車椅子の若い女性の記者だった。
ソファーと乱雑に置かれた椅子とに阻まれて、他の記者達のように、私が立っている位置まで詰め寄れないでいる。
自分が聞きたいことを聞き終えた他の記者達は、背を向けて既に自分の作業に気忙しく動き始めている。
夕方のニュースや朝刊に向けた時間勝負の仕事ではあろう。
しかし、彼女のために椅子やテーブルの向きなど少し動かしてあげて車椅子の通りみちを作ってあげたらいいのに。
記者といっても私より年下の若者達がほとんどである。
ちょっと注意して椅子を動かす手伝いをさせたい衝動にかられる。

その部屋には、新聞社やテレビ局などから派遣された担当記者が常駐している。
こうして臨時の会見も出来るようなソファーなども常設されている。
いわゆる記者クラブと呼ばれる空間である。

テレビカメラが回っているとはいっても、一義的に私が頭を下げる相手は、そこにいる若い彼らということになる。
奇妙な構図である。
いつからこうなったのか。
今や、社会が求める画面上の絵づらを提供しないことには、途端にネットを中心に騒ぎとなってしまう。

新たに加わった車椅子の同僚に対し、同じプロとして敢えて世話を焼いたりしないことにしよう。
もしかしたら、そんな申し合わせのようなことが、記者クラブの中であったのかもしれない。
そんなことも一瞬、想像された。

すぐに私の方から近づいて、椅子に腰掛けて、同じ目線で質問を受ける。
彼女は、メモ用らしきタブレットを膝に置き、この点は理解したが、この点が分からない、と理論立てて聞いてくる。
私も話を受け止めて、必要なことを、必要な分だけ簡潔に答えを返す。

かなり若い。新採用かもしれない。
私の子供達とほぼ同じ世代であろう。
彼女も受け答えに満足し、ようやく全てが終了となった。

それにしても。
ソファーひとつに阻まれて、取材対象に近付けない大変さ。
まだまだ多くのバリアーが、決してフリーにはなっていない。
彼女の社会人人生に幸あらんことを、と思わずにはいられない。

人通りの絶えた夜の駅前の歩道。
ゴロゴロとスーツケースのタイヤの音を派手に響かせながら、ようやく長女が姿を見せた。

思ったよりずっと元気そうだ。
長女より一回り小柄な、こちらも明るい笑顔を見せている友達と、何やら話しながら歩いてくる。

今日はもうひとつ、三年前に亡くなった父の命日でもあった。
こういう孫達の行事の後の迎えなども、何度も何度も助けてもらった。

可愛がっていた孫の初めての海外旅行である。
きっと心配で、ずっと見守っていてくれたことだろう。
それからもちろん、私の下げた頭の角度の具合なども。

2024年2月某日

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