№51 光の中の細雪(トルストイ『光あるうち光の中を歩め』)

ちえプロ

一日の仕事を終え、職場を出る。
帰りのバス停へと向かう。

この時期の、その時間帯。
日は落ち、すっかり辺りは暗くなっている。

微かに明るさの残る、深く濃い赤紫の曇り空。
見上げると、ちらちらと細かい雪が降っている。
風があるのだろう。早いテンポで雪片が動いている。

夜に向かうその時間帯。
ふいに降り始める雪は、北国に住む人間に、ざわざわとした感情を呼び起こす。

それは様々な気持ち。
心細さであったり、郷愁であったり、もの寂しさであったり。
或いは、現実問題としての寒さであったり。

翌日の朝の大変さを思うことも多い。
早く起きて、家の周りの雪かきをしなければと考える気苦労。
普段より混み合う通勤、通学を想像する憂鬱。

バス停まで辿り着き、立ち位置を決め、改めて夜空を見上げる。
今夜の雪の降り方。はたしてどの程度になるだろう。

街路灯の灯りが、所々、雪景色をぼんやりと幻想的に照らし出している。

車の強いライトに照らされた部分だけ、細かく舞う雪が一瞬光って姿を現し、すぐにまた夜の闇に紛れて見えなくなる。次から次と雪片が通り過ぎていく。

忘れられない場面がある。

その時、私は病院の階段の踊り場にいた。

大きな窓から外の雪景色を眺めていた。
入院中の妻に、面会するまでの時間調整のため。

日は落ち、既に闇が濃かった。
右上の方向に、建物に設置された街路灯があって、丸い光の空間を作っていた。
その光の中を、細かい雪が、素早く次々に通り過ぎていった。

妻は、私の職場の直ぐ裏手の総合病院に入院していた。
その頃の、私の日課。
仕事を終えた後、妻の病室に必ず立ち寄ってから、子供達の待つ家へと戻った。

いつものように顔を出すと、主治医の回診が、これから行われるとの看護師さんの説明。

普段は、もっと早い時間帯に行われていたが、その日は、何かの都合で遅れたらしい。
若手の医師などを数名引き連れて、ほぼ毎日行われる入院患者への声かけ。
その場で、治療自体は行わない。

看護師さんから、回診が終わるまで、少しそのへんで待っていてほしいと言われた。

病室を出て、直ぐ目の前に、建物の上から下まで続く、階段があった。
下の階との間の踊り場で、回診が終わるのを待つことにした。

大きな窓があって、外が見渡せた。
斜め上方向に、妻の病室があって、開けたままの入り口の気配も感じられた。静かな会話なども聞こえてきた。

その踊り場から見ていた景色。
夜の闇の中、光の届く範囲だけ、キラキラと輝いては、次々に消えていく雪片の幻想的な美しさ。

その映像をモチーフにして、短い小説でも書けないものか。
その後、ずっと考え続けてきた。

全国の、文学賞の募集要項などを雑誌で調べては、趣味のように、よく眺めてもきた。

そうまでして、私はいったい何を書きたかったのか。

今、改めて気が付いた。

私が書きたかったのは、雪そのものの美しさ、という訳ではなかったのだ。

私が書きたかったのは、あの時、あの時間、あの空間の印象そのもの。
妻がそこに存在していた、その感覚。その手応え。

病室をのぞいた感じでは、その夜も、妻に大きな変化はないようだった。落ち着いた状態。
医師とも穏やかにやり取りしている様子。
回診が終われば、いつものように横に腰掛けて、私も話しを交わすことができるだろう。
悲しみの中の、束の間のやすらぎ。

その建物の一番はじの、階段そばの、その病室。
それは、事実上、もはや治療をあきらめたガン患者が集まる病室だった。

患者同士、見舞いに来る家族同士。
その病室での会話は、お互いに慈しみのこもった静かなものだった。
女性患者さん達特有の、ユーモアもあった。

今思えば、その時の印象は、一つ一つがあまりにも、エッジの効いた対極にあるものばかり。

真っ暗な闇の中、街路灯の灯りの届く範囲だけ切り取られたように照らし出された空間。
そこを通り過ぎる、一瞬だけ白く輝き、直ぐに再び闇に紛れて消えていく「雪の華」。

窓の外の寒さ。
一方で、薄着で過ごす患者達にあわせた、暖かい、こちら側の空間。

時々、静かな笑い声さえ聞こえる、医師と患者達との話し声の響く穏やかな病室。
しかし、患者達一人一人には、この先変えようがない、厳しすぎる現実が待っているのだ。

窓の外の、次々に暗闇に吸い込まれていく雪を眺めながら「この印象は永遠だ」。
確かにそんなことを、その時、私は考えていたのである。

今。
米国の大統領が替わり、世界のざわつきが止まらない。
トルストイとドストエフスキー。
個人的に、世界最高の小説家だと思っている。
この二人の国がはじめた戦争も、未だに終わりが見えていない。

こんな不確かな世界の中。
私が何を思っているか。

ネットの大海に、私まで、批判や毒を流してもしかたがない。
せめて、優しさや、ぬくもりのある、小さな一口話しを書き継いでいこう。
そんなことを、大真面目で考えているのである。

あの雪の夜、病院の階段で、妻の回診が終わるのをまっていた私。
階段の踊り場で、妻のことを想っていたその気持ち。今でもはっきり思い出すことができる。
生まれた時には、何の縁もゆかりもなかった私と妻である。
しかし、時に、人と人とは、こんなにも深く結びつくことができるのだ。

「光あるうち光の中を歩め」というトルストイの晩年の作品がある。
キリスト生誕百年後のローマ帝国の時代を舞台にした物語。

俗世間から逃れられない豪商のユリウスと、古代キリスト教の世界に生きるパンフィリウス。
パンフィリウスに度々諭されて、俗世と信仰の世界とを、いったり来たりするユリウス。
長い心の彷徨の末、ようやく神の道にた辿り着き、やすらかに一生を終えることとなるユリウス。

何度か読み返している。
タイトルそのものも、時々、呪文のように心に浮かぶ。

闇があるからこそ、光の美しさが際立つのだ。闇なしには、光もない。
そんな理屈もよく耳にする。

確かに、あの病院の踊り場の外の雪の妖しい美しさも、闇に消えるコントラストがあってこそ。
悲しい闘病期間の中だからこそ、束の間、ベッドの横の丸椅子に腰掛けての、とりとめのない話しにも喜びが得られたのかもしれない。
退職後、家で四六時中、顔を付き合わせるようになった夫婦が、いがみ合って喧嘩ばかりという話しもよく聞くところである。

だとしたら。
この話しの着地はいったいどこなのだろう。

人生は、所詮は虚しいもの。そんな諦観だろうか。
或いは、だからこそ良い時には、それを存分に味わい、享受して楽しんで波に乗るべきなのだ。
そうした達観か。

相変わらず、この先が、よく分からない。

しかし、一言でまとめるとすれば、この言葉だと思う。
安易な達観でもなく、まして、諦観に流されず、素直に行動していくべきなのだ。
なにより、自分自身に向けて、こう書き留めておきたい。

光あるうち、光の中を歩め。

2025年2月某日

 

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