少し前のテレビのクイズ番組。
こんな問題が出た。
「ブログって何の略?」
若いタレントの答えはこう。それは、ウェブ、ログ。
正解である。
「ウェブ」、即ちインターネット上の情報を閲覧できるようにするシステム。
「ログ」、即ちコンピューター上の記録。
つまり「ブログ」は、個人的な記録などを簡便な方法で作成し、公開しているウェブサイトの総称のこと、なのである。
私が今、こうして書いている、一つの文章のまとまり。
文学的なジャンルとしては、一応「エッセイ」ということになると思う。
もっとかたく言えば「随筆」。
これが、ブログの目線になると、「記事」ということになる。
ネットの空間に、無数にちらばる言葉、文章。
その中から検索し、探し出して、読んでもらってこそ、その文章は、始めて意味をもってくる。
では、検索する人は、なぜそうするのか。
何か調べたいことがあるからこそ、検索エンジンにキーワードを打ち込みもする。
その疑問、ニーズに応えるための文章。
即ち、意味を持つ文章となるためには、それに答え、解説する「記事」でなければならないのだ。
この私の拙い文章。
まがりなりにも、公開と同時に、それは世界に向けて発信されるものとなる。
もともと、こういうITの世界に詳しかった訳でもなんでもない。
私の場合、投資の話しを調べているうちに、ここまで行き着いたのだ。
YouTubeで流れてくる動画の、資産形成から発展する話題。
副業を考えていくうえで、ブログは外せない。パソコン一つあれば良い。
設備投資のリスクもないのだから。
まずは無料で利用できるWordPress(ワードプレス)の利用から始めれば良い。
WordPressはブログやウエブサイトを作成・管理するためのプラットフォームのことである・・・
と、そんな情報を辿っていった次第。
特にプログラミンの知識も無い、文系のサラリーマンである。
お金もかけず、一人でこれくらいのことは出来る時代になってきている。
本当に、年間1万数千円のサーバー利用料だけである。
ムツゴロウさんこと、畑正憲さん。
亡くなられたのは、いつだったろうと、調べてみると、1年半ほど前の、2023年4月5日。
享年87歳。
その死を、ニュースで知ったときは、少しショックだった。
仲の良かった、親戚の叔父さんが、不意に亡くなったような気分。
盆や正月、時々、会ったとき、気さくに色々と面白い話しをしてくれる。
いつもニコニコとしているが、実は甘くは無い。
こちらが迷っているときは、さりげなく、遠回しのアドバイスもくれる。
そんなタフで、苦労人の優しい叔父さん。
とうとう逝ってしまったか。
そんな感慨。
若い頃、随分と、ムツゴロウさんの文庫本を読んだ。
多くの人は、動物番組でのテレビの姿で記憶しているだろう。
私の子供達もそうである。
猛獣をも手なずける変なおじさん。文章も書くようだが、きっと動物学者か何かだろう。
そんな理解なのではないか。
実は、文筆家として世に出たいと強烈に、悪戦苦闘した挙げ句、動物王国などの事業をするに至った人なのだ。
東京大学理学部で動物学を学んではいた。
研究室を急に辞め、物書きとしてやっていこうともがく経緯は、「ムツゴロウの放浪記」に興味深く、また面白おかしく綴られている。
今、どうしてムツゴロウさんを持ち出したくなったのかというと、昔読んだエッセイの中のエピソードを一つ、引用したかったからである。
確か、「ムツゴロウの放浪記」の中の話しだったろうと思い、実家の本棚の奥から、その文庫本を見つけ出し、何度も頁を手繰ったが、肝心の話題は見つけられなかった。
死去のニュースを聞いた後、少し淋しくなり、手元にあった「ムツゴロウの動物王国」は、既に読み返している。そこに目当ての記述が無いことは記憶に新しい。
それは、こんなエピソードである。
「かすあがり」という表現だったと思うが、どうも怪しくもある。
ギャンブル好きのムツゴロウさん。
経済的にも苦労していた若い頃、こんなことを考えていた、という。
手元に残っても、決して高い点数にはならない、カス札。
しかし、カス札を一定の数以上集めると、それは、急に高い手にばける。一発逆転。
上手くいかない事だらけの自分。
しかし、そんなマイナスも集めれば、カス札のようにいつか逆転できるのではないか。
そんな話しの流れだったと思う。麻雀の役の話しとして記憶していたが、少し、調べて見ると、符合しそうなのは、花札の「こいこい」のようでもある。
私自身、人生に迷い、思うようにいかず不安だった若い頃。その文章は心に残った。
そして、ずっと記憶の奥にあった。
何故、最近、それを思い出していたのか。
それは、ブログが、やりようによっては「カス札上がり」になる、と思ったからである。
例えば、今、私は転職ということを考えている。
どうなるか不安でもある。
予想と違って、失敗だった。或いは、そんな後悔も起こるかもしれない。
しかし、それならそれで、その顛末をブログに書けば良い。
昔の辛い思い出も、これから起こるすったもんだも、ブログで吐き出せば良いのだ。
麻雀の話しだったか、花札だったか。
「かすあがり」だったか、他の言い方だったか。
気になって、近所の大きな本屋へも行ってみた。
文庫本のコーナーでパラパラ立ち読みしてみようと思ったのである。
きっと、「○○記」シリーズのどれかだったはず。
また一つ、小さなショック。
もはや、文庫本のコーナーには「畑正憲」の仕切りはないのである。
昔は、例えば新潮文庫の、畑正憲さんの本に割り当てられた青い背表紙が、数冊の塊として、どの本屋でも、探せば直ぐに、目に留まったものなのに。
心がざわついて、昔馴染んだ他の作家がどうなっているのか、扱いを確認してみる。
例えば、ドストエフスキーやトルストイは、変わらず一角を占めている。
日本でも、夏目漱石や、太宰治はちゃんとある。
なるほど、こんなふうに時間は進んでいくものなのか。
時代を乗り越えていくものと、そうでないものと。
その本屋では、在庫の状況を、自分で検索できるパソコンのコーナーもある。
調べて見る。
やはり、文庫本は置いていないようだ。
しかし、新しく刊行された、単行本なら、数冊配架されている。
そちらのコーナーへと回る。
見つけた一冊を、手に取ってみる。
最近まで、週刊誌で連載していた、短めのエッセイをまとめたものの様子。
途中の頁を開くと、私も馴染みのある、ヒグマとの昔のエピソードが綴られている。
最後の数年はずっと、入退院を繰り返す闘病生活だったはず。
流石に、もう新たなエピソードが追加されたということではないのだろう。
そんなことを思って、その本は、配架棚へと戻した。
「かすあがり」を探そうとして、今回、何度もひっくり返した「ムツゴロウの放浪記」。
その中のエピソード。
お金に困り、また、文筆業でも芽が出ず、子供がお腹にいる奥さんを残し、冬の阿武隈川の河原で、一晩、自殺を考えるところまで追い込まれたムツゴロウさん。
その後、野を越え山を越え、87歳まで生きたわけだ。
或いは、ごく近年。
テレビのレポート中に、ライオンに指を噛みちぎられながらも、ライオンが射殺されないようにと、動じる素振りを見せなかったムツゴロウさん。
その胆力は流石だった。しかし、その後、テレビでは中々、見かけなくもなった。
今般、その先をおそるおそる調べてみた。ずっと、気になってもいた。
すると、ライオンに噛まれて、少し短くなった右手中指をカメラに見せながら、雑誌の記者に面白そうにその時のことを話す、最晩年の取材の様子が、笑顔の写真と共に出てきた。
相変わらずの様子。ほっとした。
ムツゴロウさんは、最後の時間をどんな気持ちで過ごしていたのだろうか。
これからの私の晩年に必要な、さりげないアドバイスが、その行間にはあるはず。
新刊が、文庫本になったら、きっとまた手に取ってみよう。
2024年12月某日