№74 葬式のあれこれ(トルストイ『人生論』)

のりプロ

主治医から死亡診断書を書いてもらい、葬儀に向けた、段取りが始まった。

もし、病院で亡くなると、遺体を、数時間で移動してほしい、と迫られることになる。
私の母親は、老人施設で亡くなったから、病院よりは、多少融通が利く。

しかし、ぐずぐずしてはいられない。
周りの人達へ、早く日常を返してあげなければならない。
病院も、施設も、死者のいるべき場所ではないのだ。

辛いところだが、遺族は、遺体を横目に、葬儀会社へ電話をかける、という一仕事が、まずは必要になってくる。

今は、自分の家で、葬式を出す人はいなくなった。
その分、かなり細かいエリア毎に、いわゆるセレモニーホールが建設されるようになった。
まるで、コンビニが増えた時のような勢いで。

自分の家の近くか、亡くなった人の家の近くのセレモニーホールに、電話をかければよい。
もし、意図したところが一杯だったとしても、系列の施設を案内してくれるから、心配は不要。

自分(喪主)の家の近くなら、物を取りに戻ったりするのに便利だろうし、亡くなった人の家の近くなら、近所の人達が、通夜の前後に、拝みに来るのに都合が良い。

葬儀会社へ電話すれば、後は進んでいくから、その流れに乗るだけだ。

蛇足ながら、主治医に書いてもらう、死亡診断書が重要だから、注意が必要。
遺体を運ぶ行為に始まり、その手続の正当性を証明する書類になっていくからだ。

我が子供達よ。
へとへとに疲れるとは思うが、私のとき。よろしく頼む。

トルストイの「人生論」。
死んだ、トルストイのお兄さんに対する想いを綴る文章がある。
記憶が残るから、死んだことにはならない。そんな意味のことを書いている。

昔、テレビドラマで、よくこんなシーンを見かけた。
悲しみに暮れる主人公に対して、年上の脇役が「胸に手をあてれば、死んだ人は、そこに生きているから悲しむことはない」といった慰めの言葉をかける。主人公は、はっと気が付いて立ち直る。

どうにも安直な気がして、いつも、納得出来なかった。

トルストイは、最高の小説家の一人だと思っている。
しかし、「人生論」に関しては、腑に落ちない部分が、残った。
昔見た、テレビドラマの、その慰めの展開などが、思い返されたからだった。

ただ、その後も、気になっていはいた。
「人生論」の文庫本は、直ぐ手の届く、本棚に置いていた。

今、ところどころ読み返してみた。
確かに、少し、染みてくる。

「わたしには、親友や兄の思い出があるのだ。そしてこの思い出は、わたしの親友や兄の『生命』が理性の法則に合致していればいるほど、そしてまたその『生命』が愛のうちにあらわれたことが多ければ多いほど、ますます生きいきしたものになる。この思い出はただの観念ではなく、何かわたしに作用するものである。それも、地上の生存の間を通じて兄の『生命』がわたしに作用していたのと、まったく同じように作用するのだ。」

「この思い出はわたしにとって、生前よりも死後のほうが、いっそう義務的なものとなる。わたしの兄のうちにあった『生命』の力は、消えも減りもしなかったばかりか、そのまま残ったのでさえもなく、むしろ増大して、以前よりいっそう強くわたしに作用するのである。」

ここで使われている「生命」という単語は、日本語訳で読む我々にとって、やや特殊な意味合いを持ってくる。

訳者の原卓也さんによれば、日本語では、生命、生活、人生、一生と言葉がいくつもあるが、ロシア語ではこれらすべての意味が「ジーズニ」という一語になってしまうらしい。

訳者の主観を押しつけないように、日本語の文章として、あまりにも違和感をおぼえるごく少数の例外的な場合を除いて、すべて「生命」という訳語で統一することにしたのだという。

確かに「生命」をもう少し広くとらえて、人生や、いのち、或いはいっそ「Life」などと置き換えて眺めれば、もっと素直に読めるのかもしれない・・・

葬式の朝。
いよいよ、火葬場へ向けて、セレモニーホールを出発する時間が近付いていた。

担当者から、最後のお別れです。皆で、棺の中を花で飾り、おしゃべりして、お別れして下さいと、集まった数名の人々に声がかかった。

棺の周りを囲む人達の中には、微妙な距離感の親類などもいて、喪主である私としては、それらしく、エピソードトークなどで、場をつながなければならない時間ともなる。

花を飾り終え、少し、間があいた。
ちょっとした一口話を思いついた。

その時、私自身、ふと頭にうかんだことだった。
葬儀の段取りに追われている間、妙に、母親の声が、頭に聞こえるようになっていた。

思えば、認知症が重くなり、少なくともこの5年ほど、母親とはまともな会話は成立しなかった。
意味のある声を聞かなくなって久しい。

最近、思い出す母親の姿といえば、当然のことながら、車椅子に座るしゃべらない姿だった。
しかし、母親が亡くなってから、その奇妙ながんじがらめから解き放たれた。

もともと、母親はおしゃべりな人だったのだ。
今、私の記憶の中で母親は、ようやく、その本来の声で話すようになった。

棺の周りでお別れをする人達に、それを説明しようとした。
「死んだ後の方が、よっぽど声が聞こえるようになってきたんだよね。どうしてか、今、気付いたんだけどね・・・」

そこまで言って、言葉をのんだ。
込み上げてきて、最後まで説明出来なくなる気配が、自分で分かったからだった。
唐突に、別の話題に変えてしまった。

さあ、出発です、と担当者の声。
火葬場へ向かう時点で、セレモニーホールは引き払わなければならない。
数晩、夜を明かした空間。忘れ物はないか。急に、慌ただしくなる。

一晩だけ妹夫婦にお願いしたものの、結局三晩、長女を付き合わせて、二人で、いや三人で夜を過ごした。古風な慣習を守り、線香も絶やさなかった。

聞けば、コロナ禍後は、夜は家に帰る家族が多くなったという。
長時間持つ、渦巻き型の線香なども駆使して、交代しながら数時間、寝ることは寝た。
しかし、長女も疲れたと思う。

火葬し、葬儀をし、その日のうちに納骨も済ませた。
役場へ行ったり、年金機構に電話をしたり。
今は、その後の手続を、日々、少しずつ進めている。

喪主として、葬儀の段取りを進めていた、そのあいだ中。
頻繁に、こんな母親の声が、頭に響いていたのだ。

私が人前に立つような時。
鬱々として、猫背になる癖のある、私の見栄えを気にして、昔、よくこんなふうに気合いをかけられたのだ。

「ほら、もっと、背筋を伸ばしなさい!」

張りのある、あの声を、思い出す度に。
今この瞬間も、反射的に背筋が伸びる。

トルストイが書いた、この文章。

『生命』の力は、消えも減りもしなかったばかりか、そのまま残ったのでさえもなく、むしろ増大して、以前よりいっそう強くわたしに作用するのである。

ああ、なるほど。確かにその通り。
今は、そう素直に、受け取ることが、できるのだ。

2025年7月某日

 

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