№3 ボヘミアン・ラプソディ(クイーン『伝説のチャンピオン』)

雑文

今夜は、新しい職場の歓迎会だった。
少し遅くなって家に帰ると、テレビのロードショーでボヘミアン・ラプソディをやっていた。
ついつい途中から見始めた。
フレディ・マーキュリーが、自分がゲイであることを妻に告白するシーンあたりから。

何でこうも切ないのか。
妻役の女優が魅力的な雰囲気を醸し出している分、余計辛い。
分かり合い、信頼しあっても決して結ばれる事がなくなってしまう関係性。
形を変えたある種の悲恋物語。

例えば、住んでいる世界の階層が突然変わってしまって、決して出会うことができなくなったような状況なのではないか。
少なくとも、性的な恋愛感情としては、そういうことだと思う。
上の階に住んでいることは気配で分かる。
しかし、行き来できる階段がない。

考えてみれば、人の心の中の世界も、これとそう大差ないかもしれない。
心の中で、あれこれと思い悩んでいるときも、心の地平の上で、人は決して他の誰かに出会うことはない。自分の心の中にいるのは常に自分だけだ。

ボヘミアン・ラプソディを見たのは二回目だが、改めてラストシーンの「伝説のチャンピオン」を歌う場面に強く印象を受けた。
私にも環境の変化があったからかもしれない。
私の人生もどこかへ向かって進もうとしている。
We Are The Champions

若者のはやり言葉で、自分が気に入った状況など何でもかんでも強調して、ほめたりしたい時に使う表現がある。私の娘も時々使う。例えばこんな感じになる。
「凄くいいね。全員優勝」

私たちは、心の中でひとりぼっちな分、他の誰かと何かしらつながっている気分を大事にしたいのかもしれない。

2023年4月某日

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