岩波文庫版の、「ソクラテスの弁明」。
初版は、1927年(昭和2年)7月3日。
手元にある本は、1991年(平成3年)9月発行の、その時点で第65刷のものである。
(この前、本屋で見たら、今はもう100刷を超えていて驚いた。)
私が就職したのは、1992年(平成4年)4月。
つまり、この薄い文庫本は、学生時代、就職する直前に買ったもの、ということになる。
当時は、結局、読めないまま、働き始めた。
その後、思い出すこともなかった。
実家の本棚で見つけ、ようやく目を通したのは、昨年、仕事を辞めた後。
つい数か月前のことである。
その日、車で用足しをしていたら、途中、雨が降り出した。
少し予定が狂い、公共施設の、広々とした駐車場に車を停めて、とりあえず休憩することにした。コンビニで買った、食べ物もあったので、車の中で、昼ご飯にした。
その時、鞄に入れていた、この文庫本を取り出した。
そして、ついつい、最後まで読んでしまった。
こんなにも、するりと読み通せる文章だったのか、と驚いた。
読み終えて直ぐ、長男の顔が思い浮かんだ。
これくらいの労力で済むなら、長男あたりは、ぜひ一度読んだほうがよい。
読書に要する時間に比べ、社会人の知識として、得られるメリットの方が、どう考えても大きい。混乱しがちな「ソクラテス」と「プラトン」の関係性もすっきりと頭に入る。
社会に出て数年がたつ長男になら、この気分が伝わるのではないか。
と、そんなことを考えたのだ。
紀元前399年、ソクラテスは、公開の(民主的な)裁判の結果、死刑を言い渡される。
死刑執行までの間に、いくらでも脱獄するチャンスがあったのに(当時は、牢番にいくばくかのお金を渡して逃亡・亡命することが普通だったのに)後日、裁判通り毒杯を仰ぎ、死んでしまう。
その裁判で、陪審員(任意に選ばれた約500名のアテナイ市民)に対して行った、ソクラテスの演説の様子を描いたのが、「ソクラテスの弁明」なのだ。
「国家が信じる神々とは異なる神々を信じ、若者を堕落させた」というのが罪状。
ソクラテスは、裁判の時点で、70歳位だった。
その年齢まで、ソクラテスは、どんな活動をしてきたのか。
政治家や、詩人などの有名人を次々に訪ね、公開の場で議論し(結果的に)やり込める、ということを続けてきたのだ。
世間で、優れた人だと評判で、自分でも、そう思っているような人達も、ソクラテスが質問を繰り返していくと、やがて答えに窮した。
ソクラテスは、自分自身の知恵が、不完全であることを、十分に認識していた。
しかし、知者ぶっていながら、本質的には、何も分かってはいない、そんな偉そうな人たちより、その点(不知)に気付いている分、自分の方がよっぽでましではないか。
やがて、そんな理屈にたどりつく。(「無知の知」「不知の自覚」)
一方、人前で、そんなパフォーマンスをやられては、有名人達は、たまったものではない。
みな怒った。ついには、ソクラテスを裁判にかける、という騒ぎになった。
この岩波文庫の表題は、正確には、「ソクラテスの弁明・クリトン、プラトン著」となっている。情報量が多くて、この表紙をながめただけで、嫌になる人も多いかもしれない。
ソクラテスの裁判の様子を描いたのが、「ソクラテスの弁明」という読物。
それを書いた人が、こちらも大哲学者のプラトン。ソクラテスの弟子だった人。
(ついでに、さらに次の世代、プラトンの弟子が、アリストテレス。)
岩波文庫には、もう一遍、プラトンの作品が収められていて、それが「クリトン」。
クリトンというのも人の名前(ソクラテスの友人)なので、益々ちょっと、ややこしい。
「西洋哲学は、この人から始った」とまでいわれる、ソクラテス。
日本では、ソクラテス、キリスト、釈迦、孔子の四人をまとめて、四聖と言ってきたりした。
みな、人類の偉大な先生だ。
ソクラテス自身は、何も書き物を残さなかった。
会話や、問答を重ねることを大事にしていたかららしい。
現在の我々は、弟子であるプラトンの著作から、ようやくソクラテスを知る事になる。
彼らが生きたのは、およそ2400年前。
まだ、紙はもちろん印刷技術もなかった時代。
「パピルス」と呼ばれる、植物で作ったシートに、一つ一つ書き写して、ようやくその著作が広まった。私たちが今、目にしているのは、そうやって、長い時間を越えてきた文章だ。
しかし、そんな歴史が信じられないくらい「ソクラテスの弁明」や、それに続く「クリトン」は読みやすい。
現代の短編小説を読む感覚と、ほとんど何も変わらない。
これは、何と言ってもプラトンの物書きとしての力量が、卓越したものだったからだと思う。
もう一つの驚き。
それは、ソクラテスの言葉が、現代の感覚に、余りにも、そのまま馴染むという点だ。
自分の死刑を前に、ソクラテスは、こんなことを陪審員へ語りかける。
『また、次のように考えて見ても、死は一種の幸福であるという希望には有力な理由があることが分かるであろう。けだし死は次の二つの中のいずれかでなければならない。すなわち死ぬとは全然たる虚無に帰することを意味し、また死者は何ものについても何らかの感覚をも持たないか、それとも、人の言う如く、それは一種の更生であり、この世からあの世への霊魂の移転であるか。またもしそれがすべての感覚の消失であり、夢一つさえ見ない眠りに等しいものならば、死は驚嘆すべき利得といえるであろう・・・』
結局、死が何かは分からないという議論だ。
ただの虚無かもしれないし、宗教的な霊魂の移転かもしれないし、自分には、知る術がない。
でも仮に、夢一つ見ない眠りのようなものなら、それは、さぞやすっきりすることだろう、とそんな話しに続いている。
びっくりするくらい、今も誰かが言いそうな理屈。
その後、2400年という長い時間が過ぎたのに。
今年の、正月。
関東に住む従兄弟のKと合流して、一晩、二人で飲んだ。
回転寿司のボックスで、気兼ねなく、話しをした。
Kの両親も、年をとり、数年前に、相次いで亡くなっている。
そんな話しの流れの中で、Kは、さっぱり親孝行出来なくてね、とぽつりと言った。
その時私は、少し前にラジオで聞いた、ある会話を思い出した。
その意図するところを、Kに説明しようか迷ったが、上手く伝わらないような気もして、結局、その時は、そのまま他の話題に移ってしまった。
思い出していたのは、こんな話しである。
親を亡くし、悲しんでいるリスナーのハガキに対し、男性のパーソナリティが、こんなことを言ったのだ。
親孝行にも色々な形がある。
実は、亡くなった後に、できる親孝行だってある。
それは、『親を理解してあげる』ということなのだ。
私もこうして、両親のエピソードを思い出し、ブログの文章に書いてみたりしている。
気持ちや、伝えたかったことを、改めて考えてみることは、確かに、ある種の親孝行になるのかもしれない。
また、こんなことも考えている。
私の子供達が、いつか『しまった、もっとお父さんに親孝行しておけばよかった』と、悔やむような時がきたとして。
大丈夫。
ここに、考えたことを整理して(なるべく簡潔に!)書いておく。
思い立ったときに読んで、存分に、親孝行するとよい。
とりあえず、今伝えたいのは、こんなことです。
「ソクラテスの弁明」は、タイパ(タイムパフォーマンス)抜群だから、一度、読んでみて!
それから、もう一つ。
千年、二千年という長い時間が過ぎたとしても、どうやら人の営みって、案外、変わらないようだよ!
2026年6月某日
