№14 立花隆と実存主義(キルケゴール『死に至る病』)

ちえプロ

珍しく平日に休みが取れた。
年末の用足しの途中、以前から気になっていた自宅近くの公民館に寄ってみた。

その建物の中には市役所の出張所や、会議室などの他に、小さな図書室が併設されている。
早期退職に向けて、少しずつ、あれこれと準備している私にとって、その場所が、退職後の日々のルーティンの一部となりうるか、以前から一度確かめたいと思っていた。
毎日、複数の新聞に目を通せる場所を確保して、一日のリズムをつくりたい。
そんなふうに考えていた。

選挙の際には、地区の投票所にもなる建物である。馴染みはあった。
しかし、図書室に入るのは初めてだ。
そんなスペースがあっただろうか。
案内図を確認し、やや陰になっていた入り口を見つけ、意を決して中に入る。
思ったより広い。
数は多くは無いが、気になる日経新聞も含め、数紙置いてある。
職員も一人常駐しているようだ。

数列、貸し出し用の本を配架する本棚もある。
ジャンルは一通り揃っている。

立花隆さんが、東大生に対して行った講義録をまとめた本が目に留まる。
手に取ってみる。
立花さん自身が大学生になってすぐ、キルケゴールの「死に至る病」を読み始め、最初の一節からガツンとやられた、とある。

人間とは精神である。精神とは何であるか?
精神とは自己である。自己とは何であるか?
自己とは自己自身に関係するところの関係である・・・

分かるような、分からないような。

昔買った「死に至る病」の文庫本が、今もどこかにあるはずだ。
後で探して読み返してみよう。
そこから続く立花さんの講義の方は論旨明快な語り口で、相変わらず面白い。
少し目を通しただけでも満足感がある。
この図書室へ寄ったとき、また立ち読みしてみよう。
そう考えて、ハードカバーはそっと本棚へ戻す。

その後、掃除も兼ねた墓参りのために、車で移動する。
定期的な私の仕事となっている。
私の妻の死をきっかけに、当時、私の父が手配してくれた墓だ。
前後したものの、その後、父もそこに眠っている。

帰り際、位牌堂の階段を降りながら考えた。
キルケゴールは実存主義の哲学者だといわれている。
「現実存在」としての人間を中心に置く思想。
「現、実存、在」すなわち、縮めて「実存」。

亡くなった妻の存在は、私にとっての自分以外の唯一の「実存」だったのではないか。
分かったような、分からないようなながらも、そんなフレーズが心に浮かんだ。

自己を起点として世界を捉えようとする「実存主義」。
私にとって妻は、日々を共にするうち、起点となる自己、つまり私自身とほとんど区別が無くなりつつあった。
ようやく実感できた、自分以外の「現実存在」。
同時に、それを失ってしまった今の現実。喪失感。

一方で、その価値に気付けたのは、それを失ったからこそ、とも思ってはいる。

2023年12月某日

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