№25 せきれい(椎名誠『雨がやんだら』)

雑文

夕飯の買い物袋を両手にさげ、スーパーから家に戻る道すがら。
路上駐車しているSUVの車の高い屋根の上。
ひょっこり、小さな鳥が顔を出した。
かなり近いが、飛び立つでもなく、人懐こいような仕草でこちらを気にしている。

細いくちばし、まだらなグレー。
見慣れない鳥かと思って暫く見ていると、馴染みの尾っぽがぴょんと現れた。

マンションの駐車場でもよく見かけるセキレイである。
ハクセキレイだと思う。
しかし、白と黒とのコントラストが、まだはっきりしていない。
きっと幼鳥なのだろう。

不意に飛び立つ。
遠くに行くわけでも無く、どこからか現れたもう一羽と、じゃれながら飛んで、すぐ目の前の平屋の建物の屋根に降りたりしている。

セキレイは、地面にいるとき、長い尾っぽが上下に動く。
河原などでも、よく見かける。
尾が石を打つような仕草になることから、別名「石打ち」というらしい。

昔、誰かのエッセイでそう読んだ。
街中で、不意に現れるセキレイをみかけるたび、子供達に話してきかせた私のネタでもある。

改めてネットで検索してみると、「イシタタキ」や「ニワタタキ」といった様々な別名がある、と出てくる。しかし「石打ち」という表現には行きあたらない。
私の記憶違いか、或いは、その作家の言葉の選択だったのか。

昔、妻の病気が分かって、私達家族が、どうにも意気消沈していた数ヶ月の間、不思議と、小さな生き物が我が家にやってきた。
マンションの駐車場で不意にコカマキリを見つけたり、共用廊下に小さなカブトムシがいたり。
子供と遠足に行った妻が、思いがけずたくさん採れたメダカをペットボトルで持ち帰ってきたこともあった。

その頃、家族五人の寝室としていた部屋の出窓の外側は、小さなベランダとなっている。
普段出入りすることはない北側のベランダ。
当時、出窓の真下の位置に、壊れた木製のテレビ台を置きっぱなしにしていた。

あるとき、テレビ台の陰に、鳥の巣があるのを見つけた。
よく見ると、既に幾つか卵もある。

そのまま数日が過ぎた。
やがて窓の外から、朝、小さくピーピーとなく声が聞こえるのようになった。

窓を細くあけ、静かに覗くと、ぴたりと声はやむ。
暫く眺めていると、段々目が慣れてきて、グレーと黒のまだら模様の中に、数羽の雛を判別できるようになった。いじらしい位、雛たちはじっとして動かない。

妻と子供達に声をかけ、順番に、細くあけた窓から、静かに眺めさせた。
暫くぶりに、みんなが少し元気になったのがわかった。

レースのカーテン越しに、息を殺して、親鳥がかわるがわる餌を運ぶ様子も観察した。
ピーピーとなくタイミングも、次第に分かるようになった。
それは親が餌を運んできて、近くに戻ってきた時なのである。

巣立ちの朝も、家族で静かに応援した。

ベランダの手すりや、近くの建物の屋根などを行き来しながら、親鳥が盛んに鳴いている。
呼んでいるのだ。
ひな鳥たちは、巣から出て、ベランダの床までは出ている様子。
しかし、なかなか飛び立てないでいる。

「あ、飛んだ。」

妻が小さく言った。
数羽が全て飛び立ったことを確認してから、急いで妻とベランダに出る。
青空の下、見下ろす近くの建物の屋根。

セキレイ達は、屋根に降りたり、また別の建物へ飛んで行ったり。
親鳥も含め、数羽でくるくると、いつまでも近所の空を行き来していた。

数年間、巣はそのままにしていたが、二度と同じ場所に卵を見かけることはなかった。
あの年だけ、我々の側で子育てをしてくれたのだ。

若い頃、椎名誠さんの本を夢中で読んだ時期がある。

「せきれい」という題名の短編があったはずだと思いこんできた。
しかし、今回、ネットで色々と検索してみるものの、中々行き当たらない。

ストーリーは心に残っている。
椎名誠流の、面白おかしさと、もの悲しさと、そして美しさがあったはず。

考えてみれば、最近も、かなり頻繁にその短編のことを思い出していた。
それは、なかば無意識に。
例えば、通勤のためバス停へ向かう朝の街角などで。

もし、あのカラスが妻だったとしたらどうだろう。
頭が良いから、案外、楽しく暮らせているのかもしれない。
或いは、良くみかけるセキレイだったらどうだろう。
素直に近付いてくる感じはそっくりだ。
しかし、きっと餌さがしには苦労しているのだろうな、などと。

読んだことのある文庫本のタイトルを思いだし思いだし、検索を続けるうち、ようやく記憶と符号する情報に行き着いた。

どうやら「雨がやんだら」という短編集の中の「いそしぎ」という作品のことだったようだ。
何時からか、私の中で「いそしぎ」が「せきれい」に置き換わってしまっていたのだ。

調べてみると「いそしぎ」もかわいらしい小鳥である。
私も、郊外で見かけたことがあるように思う。

なにより「いそしぎ」という言葉自体に哀愁がある。

映画音楽の印象が強いからかもしれない。
作家の言葉の選択としては、確かに「せきれい」より「いそしぎ」が正解なのかもしれない。

しかし、私の中では、その短編の世界観と、日々見かけるセキレイの仕草とが、もはや切り離せないものとなっている。

私が推薦するまでもなく、椎名誠さんは今も人気作家の一人だと思っていた。
しかし、色々とネットで検索した感触では、確実に一つ時代は進んでいるようだ。

もはや、若い人には馴染みがなくなりつつあるのかもしれない。
「雨がやんだら」の文庫本を手に入れるのも、段々難しくなる可能性もある。

まだ見ぬ我が子孫達へ。

短い時間で、面白おかしく読めるから、いつか「いそしぎ」だけでも目を通してみて欲しい。
私が伝えたい、静かな気持ちを、きっと感じてもらえると思うから。

2024年5月某日

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