午後、私の住むまちに、大雨警報が出た。
事務所で一人、デスクに向かって、事務作業をしていたところだった。
BGMとして流していた、地元のラジオ番組が、その情報を、ふいに伝えたのだ。
まだ、雨は降り出してはいなかった。
窓から見上げると、ところどころ明るい空も広がっているが、確かに黒い雲が目立つ。
不安な気持ちをかき立てる、不安定な空模様。
仕事に区切りをつけて、早めに家に戻ることにした。
朝は、良い天気だったのだ。
早朝、長男と二男の、布団カバーや、シーツなどの大物を洗濯し、マンションのベランダに干してから出かけてきた。夕方までには、全部乾いて、しまい込めるだろうとの計算のもと。
雨が降っても、直接濡れないであろう位置に、干してはきた。
しかし、折角乾いたシーツが、再び、しけってしまっては口惜しい。
この春、長男と、二男は家を出て独立した。
ようやく、朝の天気の具合で、布団カバーまで洗濯出来るようになったのだ。
昨年までは、私が職場勤めをしていたこともあり、子供たちの寝具を洗濯するタイミングに、いつも困った。
たまに天気が良い休日の朝も、そのまま寝ていたい長男、二男をたたき起こしてシーツなどを引き剥がす、ということまではできなかった。
天気の良い日を見計らって、自分で洗濯するように、と言ってはきた。
しかし。
長男と二男の寝具類。
前回、洗濯したのは、果たしていつだろう。
想像するのも、そら恐ろしい。
案の定、白かったはずのシーツは、不気味な色に変わっていた。
空模様を気にしながら、車で、自宅へと戻る。
すぐにベランダへ。街の様子に、さっと目をやる。
周りに高い建物はなく、盆地の向こうの遠い山並みまで見渡せる。
ダイナミックな雲が、流れていく。
しかし、暗くなっていく、不安な感じが、なぜか、薄い。
シーツは、気持ち良く乾いていた。
布団カバーにタオルケット。とにかく、たたんで取り込んでしまう。
もう一度ベランダに出て、雲の様子に、目をこらす。
南東の方向。
街並みの向こうの山の稜線に、大きな積乱雲がかかっているのが見えた。
入道雲というような、呑気な雰囲気ではない。
「天空の城ラピュタ」に出てくるような、とぐろを巻く、巨大な、円筒形の雲。
黒い雲がそのまま、地面まで接しているように見える。
きっと、下の部分は、大量の雨なのだろう。
しかし。
その黒い雲の柱は、そのまま南東の方向へ、遠ざかっていくように見える。
私のまちを通過する雨雲は、地形上、西側の大陸から流れてきて、東の向こうのその先の、海の方へと抜けていくことが多い。
どうやら、警報につながったその雲は、私のマンションの上空には、直接雨を降らせることなく、そのまま抜けていく様子なのだ。
それなら、それに越したことは無い。
少し、気が抜けた。
その方向。
この数日、ベランダから見下ろす位置にある、電線の上あたりで、盛んに囀っている野鳥がいたことを思い出した。
聞き覚えのある、少し複雑な鳴き声で、ずっと気になっていた。
いつも聞こえてくる電線のあたりに、目をこらしてみたが、気配はない。
残念ながら、今日はいないようだ。
さらに、その目線の下。
マンションの裏口につながる道を、こちらに向かって、歩いてくる親子の姿が見えた。
水色のランドセル。お母さんと、小学生の女の子。
これまで見かけたことはないが、同じマンションの住人だろう。
斜めに、視線をあわせて、何かおしゃべりをしている。ほっこりした雰囲気。
きっと、私のように、大雨警報にせき立てられて、あわてて放課後児童センターに女の子を迎えに行き、その後、一緒に歩いて帰って来たのだ。
雨に降られることなく、家まで辿り着けそう。やれやれ。
若干の緊張のあと、気が緩み、二人は、既に、ほかの雑談に夢中。
と、そんな雰囲気に見えた。
東の空に抜けていきつつある、あの積乱雲。
その女の子に教えてあげられたら、きっと面白がってくれるだろうに。残念だ。
「ほら、見て、見て。あの大きな黒い雲。ラピュタのようでしょ。海の方へ抜けて行きそうだから、もうこの辺は、大丈夫みたい!」
人と人とのコミュニケーションは難しい。こちらが話したい時、丁度、面白がって聞いてくれる相手が、そばにいるとは限らない。いや、大抵の場合、すれ違う。
極端な話し、こちらが良かれと思って、気分良くアドバイス(説教?)しているようなとき。間違いなく、相手は、そのコミュニケーションを苦痛に感じているのだ。
その後、少し、手持ち無沙汰もあり、ダイニングテーブルの上に、ノートパソコンを広げ、調べ物をする。いつものあの、野鳥の鳴き声。どの鳥だろう。
映像は無いが、いくつかの野鳥の声を、載せてくれているサイトに行き着いた。
ツツピ、ツツピという、あの鳴き声。
確信は持てないが、どうやらシジュウカラの様子。
そのサイトでは、他の野鳥の声も聞けた。
セキレイは、チチ、チチ、チチと、単調な繰り返し。
郊外の事務所の庭で、時々、見かけるオナガ。
長い尾羽と、水色の羽根が綺麗なのだが、鳴き声は、案外と、がさつなようだ。
動画には、カラスの鳴き声もあった。
ちゃんと、ハシブトガラスとハシボソガラスを分けている。
昔、誰かのエッセイで読んだ。
単にカラスと呼ぶのではなく、「ハシボソガラス」と「ハシブトガラス」と区別したほうがよい。くちばしが細い方がハシボソで、太い方がハシブト。その方が、まちでみかけるカラスにも、少し愛着がわくものだ、といった文章だった。
そのウンチクは、その後、私もそのまま時々、子供たちに、話して聞かせるネタにした。
全体に、見た目がシュッとしているハシボソガラス。
その声は、いかにもカラス、という雰囲気の、あのガーガーというダミ声だった。
一方、ハシブトガラスは、意外にも澄んだ声。
夕日の中、空高く、巣に向かって帰るカラスの、叙情たっぷりの、あのカーカーという鳴き声。
そうか。あれは、ハシブトガラスの方だったのか。
童謡「七つの子」が、頭に浮かんだ。
野口雨情の詩。
作曲家の方は、はて、誰だったろう。
気になって、そのままネットで調べると、本居長世(もとおりながよ)という人。知らなかった。
本居(もとおり)という特徴的な名前。
まさか、と予感しつつ記述を追うと、やはり、江戸時代の国学者、本居宣長(もとおりのりなが)の子孫の一人であるという。
本居長世は、父親も、育ての親となった祖父も、ともに国学者だったのに、期待に背いて音楽家になった人らしい。
源氏物語を研究し、「もののあはれ」の文学論を唱えた本居宣長。
国学者の道を拒んだ本居長世ではあるが、今に遺る「七つの子」が、いかにもしみじみと日本的なのが面白い。
私と同じ世代の人なら、「七つの子」のメロディーや、歌詞、或いは夕日の中のカラスの映像から、おそらく共通して受け取るであろう、情緒的な雰囲気。
ふと、私の子供たちにも、同じように、伝わっているのだろうか、と気になってきた。
共感する、しないは別としても、知っておいてほしい、日本の原風景のようなもの。
「志村けん」さんについては、私の子供たちとも、動物番組を通して、共通理解があった。
コロナ禍で亡くなった時の寂しさは、共有できたと思う。
しかし、志村さんの、若い頃の「七つの子」のパロディーのギャグ。
「カラスなぜ鳴くの、カラスの勝手でしょ」は、子供たちには、既に全く、馴染みはない様子。
少し、ネットを辿るうち、私の子供たちも小さい頃から見てきて大好きな、アニメ「名探偵コナン」の話題に行き着いた。「七つの子」のメロディーが、今も、あの敵の組織につながる重要な鍵として、時々登場するのだという。
なるほど。
心配せずとも、飛び石のように、奇妙なところをジャンプしつつ、日本の情緒は、ちゃんとつながっていくのかもしれない。
私が子供たちに、分かっておいてほしい、と思う雰囲気。
結局、「七つの子」の歌詞が、一番ストレートに伝えてくれるのかもしれない。
著作権も切れているらしい。安心して、書いておく。
『からす、なぜ鳴くの?
からすは山に、かわいい七つの、子があるからよ。
かわいい、かわいいと、からすは鳴くの。
かわいい、かわいいと、鳴くんだよ。
山の古巣(ふるす)へ、行ってみてごらん。
丸い眼をした、いい子だよ。』
夕焼けの空。
ハシブトガラスの、澄んだ鳴き声。「七つの子」のメロディー。
「かわいい、かわいいと、鳴くんだよ」という、しみじみと語りかけるリフレイン。
親の気持ちを語っているようなこの歌詞に、昔、子供の私が、どうしてあんなに共感できたのか。
少し、不思議だった。こうして書き出してみて、気が付いた。
それは、きっと「あなたも大事に育てられてきたんだよ」という、上の世代の想いを感じ取ったからなのだ。
そしてまた同時に、そこに連なっていく自分を含めた『循環』のようなものを、漠然とながらも理解できたから・・・なのだと、思う。
2025年8月某日