№67 仲直り(志賀直哉『暗夜行路』)

ちちプロ

休日の夕方。
相撲中継を見ながら、リビングで一人、ブログの作業をしていた。
集中したくて、テレビの音を絞ったまま。

廊下の奥の玄関で、ガチャリと音がした。
誰か帰ってきたようだ。

ただいま、と長男が、玄関でつぶやく声が聞こえた。
すかさず、お帰り、と返す私。

長男は、私と喧嘩した後、家を出ていった。
もっとも、就職して3年目に入り、そろそろ独立しようと、自分で近くのアパートを探し、必要なものを買いそろえた後、というタイミングではあった。

荷物の移動などは、まだ途中だったが、私との言い合いをきっかけに、そのままアパートへと移っていったのだ。そして、そこから、職場へ通う生活に入った。

下駄箱から、自分の靴を持って行こうとしているらしい長男。

「困っていることはないか」と、声をかけてみた。
まともに会話するのも、しばらくぶり、なのだ。

「ない」、との返事。
素っ気なくはあるが、私との和解を受け入れようとの、意を受けた高めのトーン。

これまでも、夜、突然ガチャリとマンションに入ってきて、自分の部屋から必要な物を取り、そのまま帰って行く。そんなことが、何度かあった。
リビングで、夕飯を食べている私達のところへ顔を出すこともなく。

そんな夜は、長女と顔を見合わせて、暗い気持ちになったものだった。

今思えば、その都度、長男は「ただいま」と、言っていたのかもしれない。
テレビの音で、かき消されてしまうくらいの、小さな声で。

「夕飯を食べていくか?」

そう聞こうかとも思ったが、しかし、それは思い直して止めた。

長女と二人分、夕飯の下ごしらえを、既に済ませた後だった。
料理が手戻りとなることを、私が、面倒くさそうな仕草を見せてしまったら、元も子もない。
その気持ちを押し殺して作業したとして、私がストレスをためても、それもまた、良くないこと。
そんなことが、頭に浮かんだからだった。

志賀直哉の「暗夜行路」という小説がある。
家のどこかに、文庫本があったと思ったが、どうしただろうか。

段々と、思い出す。
考えてみれば、30数年前、就職直前のタイミングで、上下、2冊の文庫本の、上巻だけを買って、その後、読み通す時間がなくなり、そのままになったいたはずだ。

志賀直哉の小説には、父親との不和による苦しみと、それを乗り越える道筋が、その根底にあったはず、なのだ。

次の朝、目が覚めて、布団の中で、真っ先に長男のことを、思い出した。

そういえば、長男が家を出るとき、私は「いってらっしゃい」と声をかけた。
我ながら、何だか、へんな挨拶をしたものだな、と急に思い返したのだ。

さらに、記憶が蘇った。

そういえば、私がそう声をかけたのは、そもそも長男が先に「いってきます」と言ったから、その反射として、だったのだ。

「そうか。それが、まだ、自然な気持ちなんだな。」

いつの日か、「じゃあ、また来るね」といった挨拶に、変わっていくのだと思う。
それは、誰かと暮らし始めて、他に自分の「家庭」が、はっきりと出来た時、なのかもしれない。
少し淋しいような気もするが、きっと、早くそうなる方が良いのだ。

安心して帰れる場所を、もう少し、そのまま残しておいてあげないと、いけないな。
そんなことを考えながら、寝床から起き出して、いつもの朝のルーティンを始めた。

長女については、朝食を食べさせ、弁当を持たせ、学校に送り出すという、実務的な作業が、もう少しだけ残っているのだ。

2025年5月某日

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