№33 トチの実と梅酒(高村光太郎『智恵子抄』)

ちえプロ

朝、通勤バスを降りた後。
職場へと向かう途中、信号待ちとなる。
砕けたトチの実が散乱し、かなり歩道が汚れている。

この時期、こんな看板が立つ。
「注意、トチの実が落ちます」

そっと上を見上げ、街路樹の枝が頭の上にかかっていないか確認する。
信号待ちの立ち位置を少し変える。

その実は「栗」を、より丸く、より硬くしたような感じである。
頭に当たると相当に痛いと思う。

以前はよく残業になった。
深夜、一人でバスを待つことも多かった。

車の通りが途絶えたその一瞬。
不意に「バチリ」と、びっくりするくらいに大きな音が、夜の歩道に響き渡ることがあった。
それは、トチの実が歩道を叩いた音なのだ。

美味しそうにも見えるのだが、簡単に食べることは出来ないらしい。

そういえば昔、亡くなった義母が、トチの実の焼酎漬けを作っていたな、と思い出す。

熟成するまで暫くかかる、と仕込んだばかりの透明な瓶を見せてくれたことがあった。
ニコニコと嬉しそうな、いつもの笑顔で。

梅酒のように飲むためのもの、と思い込んでいた。

しかし、ネットで調べてみると、トチの実の焼酎漬けは、打撲や虫刺されなどに塗り薬として使うための民間常備薬として、昔から作られていたものらしい。

義母との会話の中にも、そんな単語も出来てきたような気もする。
私の中では、飲む方がメインで、薬はおまけとの理解だった。
もしかしたら始めて作ったらしい、義母自体、少し勘違いしていた可能性もある。

ユニークな義母だった。
とぼけた面白みもあった。

当時、孫達のためにと、義母達が買ってくれたおもちゃのひとつに、プラスチック製の、大ぶりのブロックが沢山入ったセットがあった。
カラフルな色合い。
漢字の「井」のような形を組み合わせて遊ぶ玩具。

セットに、ブロックをとんとんして組み立てるための、プラスチック製のハンマーも入っていた。

私の妻に、義母が、そのハンマーを指さして言った言葉。
「ちょっと、そのトンチンカン取って。トンチンカン。」

「とんかち」と言いたかったらしい。

その後、何度か聞かされた、妻のお気に入りのネタだった。

高村光太郎に「梅酒」という詩がある。
若い頃、その一節が心に残り、時々、心の中で思い出してきた。

厨(くりや)に見つけたこの梅酒の芳りある甘さを
わたしはしずかにしずかに味わふ。
疾風怒濤の世界の叫びも
この一瞬を犯しがたい。
あはれな一個の生命を正視するとき
世界はただこれを遠巻きにする。
夜風も絶えた。

詩のおかげで「智恵子」さんの存在が、私の心にまで、深く刻みついている。

義母を受け継ぎ、妻も個性的だった。
「智恵子抄」で、智恵子さんのキャラクターが世に残ったように、私も妻の愛すべき人柄を文章に残せないものか。
ずっと、考えてきた。

今、一言で表現すれば、それが、私の「智恵子抄プロジェクト」なのだ。

昔は、とにかくビールをガバガバ飲みたい、という感じだった。
時を経て、随分と嗜好も、体の状況も変わった。
お酒も量はいらなくなった。

今は、トロリとしたお酒を、静かに味わいたいという気持ちがよく分かる。

「今度、梅酒でも漬けてみようか。」

そんなことを考えながら、青信号の歩道を渡った。
トチの実のかけらを踏まないように気をつけながら。

2024年9月某日