退職後の日々。
小さなビジネスをスタートする準備を進めている。
一人、こつこつと。
両親が残した、郊外の一軒家。
応接間だけでも、事務室風に変えたいと考えている。
炬燵やテレビを、奥の座敷へ移動させ、応接用兼、作業用の大きめのテーブルを一つ置く。
両親がそろって施設に移る直前まで、二人で住んでいたその家。
母親の認知症の大混乱の中で、最後の数年、中は、大変な乱雑さとなっていた。
施設で父親が亡くなった後、妹が、相当に思い切って、残った物の処分をしてくれた。
その後、日常が無くなったままのその家。
未だに意外なところに場違いなものが残っていたり、しばらく手つかずの一角が、蜘蛛の巣まみれになっていたり。
応接間に、大きめのサイドボードが残っている。
コップやウイスキーの瓶などを片付けて、そのまま書類置き場にしようと考えている。
サイドボードの引き出しの中。
見ると、古い雑多な書き付けや、写真などがパンパンになって入っていた。
認知症の母親に加え、病気で衰えた父親も、身近なその場所を、気になる書類などの置き場所として、最後の時間、使っていたものらしい。
プリントした写真などに混じって、家の権利関係などの書類なども、未だに残っていそうな気配。
一つ一つ仕分けしながら、整理するしかない。
暫く作業していると、いくつかまとめて古い手紙が出てきた。
先日、暫くぶりに手紙を出しに行ったら、110円に値上がりしていてびっくりしたばかり。
その古い手紙に貼ってあるのは、なんと10円切手、一枚だけだった。
すべて父親あてのもの。1970年(昭和45年)前後の手紙。
中に、時候の挨拶から始まる、しっかりとした文章の手紙が何通かあって、目を引いた。
達筆だ。書き慣れている人の手紙。
父親のお兄さん、私からみて叔父さんからのものだった。
山あいの町で、大工をし、家族を養った人。
私の父親からの支援もあって、ようやく父親にとっても実家にあたるその家の、建て替えが済んだこと。ぜひ泊まりに来て欲しいことなどが綴られていた。
その後、私も、小さい頃、盆や正月に必ず泊まりに行った家である。
そうか、そんな思いで建てた家だったのか。
そういえば、以前、父親と飲んでいた時、叔父は随分と筆達者な人だった、古い手紙を見つけたのだ、というような事を言っていたな、と思い出す。
叔父は、家族との関係性の中で、不幸な人生の終わり方をした人。
記憶の中では、常に、はにかんだ笑顔。優しい人だった。
なぜ、筆まめな人になったのか。
地方の大工では仕事が限られている。
家族を養うため、しばしば東京の現場へ、出稼ぎに行っていた。
きっと家族へ宛てて、たびたび手紙を書いたのだ。
そうして自分なりのスタイルが出来上がったのだ。
先般、長男と、喧嘩してしまった、
大学生になる長女が、泣いて必死で止めてくれた程だから、口げんかとはいえ、それなりにひどいものだった。
その後、長男は、一人で契約していた、新しいアパートへと移っていった。
布団など最低限のものはそろっていたらしい。
その後も、時折、黙って物をとりに戻るだけ、となっている。
米米CLUBの「手紙」という曲がある。1994年(平成6年)の曲。
ボーカルの、石井竜也さんが、映画のために書き下ろしたもの。
いかにもスクリーンに映えそうな曲。好きだった。
誰のためという理由(わけ)でもなく 愛は自分の中にある」
今頃、一人で、どうしていることやら。楽しくしてるなら、それでよいが。
こちらは、1970年(昭和45年)の曲。丁度、切手10円の時代。
由紀さおりさんには、上品な色気があった。
ドリフターズとのコントの絡みにも品があって、面白かった。
2004年(平成16年)の曲。
夫から妻へあてた歌詞。泣けてくる人も多いと思う。
悲しいけれど少しずつ 忘れていいよボクのこと」
不思議な歌詞がよい。
誰にも、本当のところ、意味は分からないのだろうと思うが。
手紙を書いたなら空に飛ばすんだ 風が運ぶだろう君のところまで
輝いている夜明け前は もう夏だ」
1番は15歳の自分が大人になたった自分へあてた手紙。
Keep on believinng(信じ続けて!)と。
一つには、子供達へのメッセージとして、想いを書き残しておこうと書き始めたもの。
誰がどの広告を見ていたかなど、詳しいことは分からない。
気楽に広告をクリックしてみてほしい。無職となる私の貴重な収入源になるのだから。
そんな言い方で、数か月前に、子供達に、ブログのアドレスをメールで送ってみた。
「ふーん」と、計算通り、あまり抵抗感なく、子供達は、受け入れてくれた。
一方で、期待したほどには目を通しているふうはなく、スルーしている様子。
動画を見たり、ゲームをしたり。
子供達の日々の時間にも、やることが詰まっている。そんなものかもしれない。
いつか必要になった時、きっと届くだろうから。
妻が亡くなった後、二男や長女に比べ、長男の心に過度に負荷をかけていたのではないか。
そんな迷いが、ずっとあった。
どちらかが100パーセント正しかったり、間違っていたりすることは無い。常に相対的なもの。
私も、頭に血が昇りすぎて、心の中に、ついこんな恥ずかしいフレーズが浮かんでいたのだ。
忘れないように、一応、書き留めておこう。