4月に入ってまもなくの平日。
長女の大学の入学式だった。
仕事を続けていたら、休暇を取ってまで出席しようとは思わなかっただろう。
しかし、今なら、自分次第。
長男と、二男は、中学生の頃には既に、私が行事に出ることの方を煙たがるようになった。
自分のその頃を思い返せば、そんなものだろうと思う。
妻が亡くなった後の、私のミッション、判断基準は、三人の子供達が精神的に、そして何より経済的にひとり立ちできるようにしてあげること。それに、尽きた。
例えば、少しでも良い大学へ進学してほしい。そういった親の見栄のような感情は、取り敢えず、二の次、三の次。ずっと後ろのものとなった。
学校に、私が顔を出す必要がなくなる程、自立出来たなら、それでなにより。
少しだけ混じる、親の淋しさ。それはひとまず置いておくべき。
大学生になっても長女は、未だに私が行事に出ることを、基本的には歓迎してくれる。
もっとも、それは「車で送り迎えしてくれて楽」という、打算の気持ちの方が、半分以上を占めているようであるものの。
数年前。長女の「小学校」の卒業式。
私自身、出席したかった。出席する必要があった。
しかし、「地方議会」への出席が求められる日にあたってしまい、それは叶わなかった。
議会が終わり、午後、休みをとって、タクシーで駆けつけた時には、もう式は終わっていた。
丁度、校舎から卒業生が三々五々、出てくるところだった。
校庭で、私の代わりに出席してもらった、妹夫婦と落ち合った。
まもなく昇降口から、長女も出てきた。
そして、いつものように、住宅街の裏道を、話しながら、ぶらぶらと長女と二人、歩いて家まで戻った。
行事を終えて、二人とも、ほっとして、歩いて家に戻るのが、いつもの習わしだった。
あの日、それが出来ただけでもありがたいと思っている。
長女の小学校の卒業式に、節目として、是非出たいという気持ちもあったが、もう一つ、大事な役割もあったのだ。
その小学校では、卒業式は、毎年、こんな段取りだった。
一人一人校長先生から、卒業証書を受け取った後、自席に戻るとき。
ぐるりと大回りして、途中の決められた場所で、立って待っている、自分の親に卒業証書を渡して、一言、何か話す。そんな流れ。
多くの家庭では、お父さんとお母さんが二人並んで待つ。一人の場合はお母さん。
そして、子どもから、証書と一緒に「ありがとう」という言葉を受けとる。
親の方も、それなりに目立つ、そのセレモニー。
長男と、二男の時は、休みを取って出席し、私が一人でその役割をこなした。
周囲の視線を、感じながら。
長女の卒業式でも、まだ、その段取りが続いていることは、想像がついた。
仕事の日程が重なったことが分かったあと、すぐに、妹夫婦に、代役をお願いしたのだ。
あれから6年。
長女の、大学の入学式。当日。
駅裏に数年前に新設された、看護科だけの単科大学である。
そもそも土地も限られており、キャンパスも小さい。
規模の小さな単科大学がゆえ、サークル活動の華やかさなどもない。
一方で、近場に、公共の大きなホールや、図書館などは沢山あった。
入学式は、大きな公共施設の、地下にある小ホールで行う、との案内だった。
大ホールの方には、何かと行く機会があった。
しかし、地下のホールは初めてだ。どんな場所だったろう。
1階の受付を済ませ、地下に降りて行くと、そこは、正面にパイプオルガンが設置されている、荘厳な空間だった。
ピアノリサイタルや合唱など、音楽系のイベントを意図した作り。
小ぶりだが、雰囲気が良い。
式が始まる前に、歓迎の演奏です、というアナウンスと共に、女性が一人出てきて、パイプオルガンの演奏が始まった。
式次第に、曲名などは書いていない。
しかし、馴染みのあるメロディー。
後から調べて見ると、すぐに分かった。それは、バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」だった。
丁度同じ日に、地元の、公立の大きな大学の入学式も行われていた。
夕方の、地元のテレビニュース。
長女の大学の入学式の様子と並んで、郊外の大きな会場での、そちらの大学の入学式の様子も、ニュースで流れた。
長女と一緒に、テレビを見ていた。
そちらの大学の方は、サークルの勧誘の様子やら、学生達のコメントやら、いかにも大学生活の始まりという華やかな雰囲気。
「楽しそう」と、自分の入学式に比べ、長女も羨ましげな様子。
大学の開放感や、アカデミックな雰囲気を味合わせたくて、規模の大きな大学に進学出来るように、長女にも、中学、高校と、もっと勉強するように、と促してきた。
とうとう、心の奥底に、灯がともるというようなタイミングは訪れず、成績もぱっとしないまま、ここまできてしまった。
ただし、高校まで、だらだら遊んでしまったのだから、自業自得、これから頑張るしかない、という小言を言うために、こうして書いているわけではないのだ。
大事な意味を、長女に、何とか伝えたいと思って、こうして文章をひねり出している。
ひとことで言うなら、それはあの「パイプオルガンの響き」が象徴している、と思う。
少人数だからこそ、小ホールでの入学式となったのだ。
目的のはっきりしている若者達の門出だからこそ、「主よ、人の望みの喜びよ」が相応しいのだ。
若い時代の、折角のエネルギー。
正しい方向に向かって、燃焼させることは、実はとても難しいことなのだ。
それは、多くの人達が、苦しんできたこと。
部活動もせず、勉強に打ち込むでもなく。
そのもどかしさは、長女自身、高校時代、十分、味わってきたことだろう。
これからの大学生活。
実習なども多く、きっと、苦労もするだろう。
しかし、仲間と一緒に、励まし合ったり、愚痴を言い合ったりしながらも、同じ目的地を目指すと言うその環境。それは、本当に得難いものなのだ。
この不条理な世の中。
これだけ努力と成果が見合う「青春」も、珍しいくらいだと思った方がよい。
受験から解放されて、一見楽しそうな、各地の大学の新入生達。
しかし、多くの若者達にとって、これから自分のエネルギーをぶつける先に、戸惑い、思い悩む日々がまっている。
それは、質が違うだけの苦しみ。
同情こそすれ、うらやむ必要は、本当は、何も無いのだ。
そんなことが、「お父さん」が伝えたいメッセージです。
もっとも長女が、この文章を、落ち着いて、意味を理解しながら読む日が、いつ訪れることやら、それは心許ないことなのだけれど。
因みに、今回調べたことを、もう少し、書いておくとしよう。
バッハは、その子孫も活躍したことから、区別するため「大バッハ」と表現したり、或いは、J.Sバッハ(Johann Sebastian Bach、ヨハン・セバスティアン・バッハ)と表記したりするらしい。
それから、「主よ、人の望みの喜びよ」 は、コラール、つまり賛美歌の曲。
大バッハによって、合唱曲として作られたもの。
後年、イギリスの女流ピアニスト、マイラ・ヘスが 「Jesus, joy of man’s desiring」というタイトルの ピアノ独奏曲に編曲してから、有名になったもの。
この英語の題名を、日本語に直訳したために、「主よ、人の望みの喜びよ」という奇妙な言い回しになったらしい。
それから、もう一つ。
亡くなった妻、「お母さん」から、長女に伝えてほしいという、メッセージがあったことを思い出した。
いつか、病院で治療の入院をしていて、面会に行ったときのこと。
薬が効いて、気持ちが元気な時間も、沢山あった。
周りに人がいないとき、気兼ねなく、よく色々な話しをした。そんなあるとき。
病気の体質が、遺伝してはいまいかと、本当はシビアな問題でもあり「お父さん」は、内心、今でも気になっている。一方で、いやいや医療が急速に進んでいるのだから、気にする方がナンセンス、と自分を励ましているような話しの文脈の、そんな中での話しとして。
その時「お母さん」は明るく、そしていつもの「お母さん」流に軽く、こう言っていたのだ。
大きくなったら伝えてほしいと。
だから、そのまま書いておく。きっと、そのまま受け取れば良いのだと思う。
こう伝えてね。早く結婚して、そして早く子どもを産むように、と。
2025年4月某日