№20 風邪と冷麺(『盛岡冷麺』に想う)

雑文

長男の誕生日のお祝いに家族で焼き肉を食べに行くことになった。
お酒を飲むことを好まない二男の運転で、郊外の湖沿いの店へと出かけた。
妻が生きていた頃、ドライブがてら家族五人で休日の夕方などによく食べに行っていた店である。
妻に運転してもらいビールを飲めることも私にとっては楽しみの一つだった。

その店には、いくつか堀炬燵式の個室もあった。
子供が小さかった当時、私達は、必ず周りを気にしないで済む個室の方を選んだ。

ある時、いつものように注文も済ませた後で、妻が腹痛を訴え出した。
やがて焼肉やビールがテーブルに並んだものの、妻はとても食べられる状態では無いと、座敷の隅で横になっていた。
私は、あわてて冷麺をかき込み、子供達にも食べさせた。
届いた大ジョッキには手を付けず、私の運転で家に戻った。

後から思えば、既にガンの影響だったのだろう。
あの時我慢せず、救急車で病院へ行き検査すれば、或いはその時点で発見できたのではないか。
後から妻と、一度だけ、その後悔を話し合ったことがあった。
病室の片隅で、二人、ささやくように。

子供達は、いくつか他に支店もある、その店の冷麺の味を気に入っていた。
その時のことは、あまり記憶に残っていないらしく、単純にその郊外の店に行きたがった。

昼ご飯どきに、座敷の部屋を避け、テーブル席の方で食べるだけならどうかと思い、恐る恐る行ってみたのは、ごく最近になってからのことだ。
座敷側と異なり、大きな窓に面したテーブル席の方は、外の景色も見渡せて、癒やされもした。

さて、今回。
長男が座敷が良いというので、意を決して受付で聞いて見る。
しかし、混んでいて結局テーブル席の方に案内された。
正直、内心ほっとした。

まだ夕飯どきには少し早い時間帯だった。
遠くの湖を背景に、段々色が濃くなっていく、青紫色の夕暮れの空が美しかった。

子供達もそれぞれ自分の食べたいものを食べ、追加注文の皿なども片付き、大方満足した頃、長男がやっぱり自分も冷麺を食べたいと言いだした。
一人追加注文する。

間が開き、私もサワーを追加注文する。
丁度良いチャンスだと思い、ずっとこの店に来づらかった経緯や、特に座敷の方には、あれ以来、まだ一度も行っていない事を、子供達に説明することにした。

果たして、どこまで伝わったか。

途中、思いのほか込み上げてきて、すぐに言葉に詰まってしまった。
ただならぬ苦しいことを言おうとしていることに気付いた二男の、いつになく真剣な、妻ゆずりのキリリとした眉毛。

それが目に留まった途端、ちょっと面白くて気が緩み、思わずぼろりと涙が出た。
慌ててトイレで気を取り直す羽目となり、話しはそれで終わりとなってしまった。

お腹を痛がっている妻の横のテーブルにある、欲張って頼んだビールの大ジョッキ。
その記憶が、映像としてくっきりと残っている。
飲めなくなったことに加えて、無駄になってしまったことを恨めしく思っているその時の私の感情と一緒に。
それを思い出すのがつらいのだ。

看護師だった妻である。救急車を呼ぶタイミングは妻の判断に委ねていた。
少し休んだら大丈夫だと思うと言う妻の言葉のまま、私はその時、考えることを止めてしまった。

もしかしたら、あの時はまだ、ガンが体にばらまかれる前だったのではないか。
そんな思いが、今も行ったり来たりしている。

涙に紛れた私の話では、子供達もほとんど何のことやら、意味がつかめなかったと思う。
いつかこの文章が目に留まり、くすぶり続ける私の気持ちをくみ取ってもらえると有り難い。

そういえば、今回、もう一つ心配だったことがある。
この数日、風邪気味で、これまでに無い胸の痛くなる嫌な咳に悩まされていた。
夜中に自分の咳で目が覚めることもしばしばだった。

年齢的な体の劣化は否めない。
何があってもそう不思議はない。

長男の誕生日のお祝いなので、是非一緒に飲みたいと思う一方で、久しぶりに飲むビールに体がどう反応するだろうかと、不安でもあった。

しかし、こちらは杞憂。

子供達は、私が知らなかった焼肉の部位まで上手に選べるようになっていて、気を利かせて私の分まで注文してくれた。
いつの間に覚えたのやら。

美味しく食べ、そして飲んだ。
なるほど、私が衰える分、子供達は日々確実に世界を広げているのだ。

2024年2月某日