№17 株式投資と高齢社会(両@リベ大学長『お金の大学』)

ちちプロ

数年前、父が亡くなった後、いくばくかの株を相続した。
何も知識が無く、ゼロからのスタート。
勉強しながら何とか手続きを進めた。

勘所を聞こうと、長く父の元へ通っていたらしい、大手証券会社の女性営業員に電話で話を聞いたことがあった。

父が何か大事にしていた会社の株などがあるなら、それは売らないでおきたい。

私としては、そんな事を考えて、その女性営業員に、父は相談しながら購入する株の銘柄をきめていたのだろうか、と聞いてみた。
すると、いやいや、自分でネットのサイトを使って買っていましたよ、との説明。
なぜか、とぼけた感じが印象に残った。
話のどこかで、大変頭の良い人だった、というようなことも言っていた。
こちらは、ややしんみりとしたトーンで。
その時は、そんなものかと思った。

一方で、施設に移る直前、父が証券会社の営業員があれを買え、これを買えとうるさい、とこぼしていたことも覚えている。

その後、私なりに勉強し、投資についても段々、知識が深まった。
YouTubeのリベラルアーツ大学の動画などのおかげで、なんとか考え方の筋のようなものも分かってきた。

そうして、改めて父の投資資産の構成を眺めると、どうにも価値のなさそうな投資信託なども紛れていることに気付いた。

ある休日、私のチームが抱えている仕事上のトラブルについて、私は一人、あれこれと家で頭を悩ませていた。
今後の対応や、私の発言次第で、その問題がどう動いていくか。
そういった想像が頭から離れない。

そのうち、不意に、証券会社の女性営業員の言葉が蘇った。
妙に符合し、そして腑に落ちた。

そうか、あれは、あくまで父は自分の判断で投資していた、ということを強調したくて言っていたものだ。
余計なクレームを避けるために、無理に勧めた商品はない、ということを言いたくて。
さりげなく父は頭が良かった、という褒め言葉まで交えて。
私がその立場でも、いかにも選択しそうな話の運び方であるようにも思った。

もちろん、まったくの嘘では無いだろう。
実際、父は自分でよく考えて、そして選択する人だった。
しかし、それは病気で衰える前の話だ。

組織の中の人間は、組織の合理性で動く。
場合によっては圧力も相当に強い。
こうして私自身、ストレスが休日にまで押し寄せている。
そして組織の目線から、延々と考え続けたりしている。

長年、足を運んだ顧客が歳をとり、気力も頭の冴えも衰えてきた頃、果たして営業員はどんなことを思うのだろうか。
自分の組織に都合の良い、利益のあがる商品を売りつける、といった、営業員の本来の役割を、今更、ためらったりするものだろうか。
それは、ある種、抗いがたい資本主義のサガかもしれない。

今後、益々進む高齢社会。
人生100年時代は、多くの人が、体力だけでなく、思考力や気力も低下する長い時間との折り合いを工夫せざるを得ない、ということをも意味している。

思えば、父が株を残してくれたからこそ、私も研究をはじめた。
それは、資産形成という意味に止まらず、後半の人生をどう生きるか、そのデザインまで真剣に考えることにつながった。

後半の人生の活力を、どのように持続させていったらよいのか。

奇妙にループするような話になるが、資本主義社会を前提とする限り、結局その鍵は、小さくとも何か、自分自身のビジネスをもつことではないか。
今は、大真面目で、そんなことを考えている。

2024年1月某日

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