№50 指輪と七雪(新沼謙治『津軽恋女』に想う)

ちえプロ

その日、家を出るのが、少し遅くなってしまった。
ちらちらと雪が舞っている、肌寒い朝。

急ぎ足でいつものバス停へと向かう。

歩きながら、財布をもって出たか、ハンカチはあるか。
半ば無意識にポケットの上から触って確かめる。
右手の手袋をはめ、次に左手をはめながら。その一瞬。

左手の親指の先で、左手の薬指の内側をなぞる動き。
つい、またやってしまった。
それは、第二関節にかろうじてひっかかっている、緩い指輪を指の根元へ引き上げる動作なのだ。

もっとも、指輪は、10年以上前に外してしまっている。
昔、馴染んでいた癖が、急いだ時などに、無意識に、未だに時々出てしまうのだ。

妻と結婚する前、二人で指輪を選んだ、そのときに。
むくんで外れなくなったりするのが嫌で、つい、大きいサイズを選んでしまった私。

結婚後、少し、太りもしたが、指輪は緩いままだった。
冬、手袋をするようになったときが、特に心細かった。
指輪は、直ぐにどこかに行きそうになった。
左手の親指で、第二関節から、指の根元まで、引き上げる動きが必要になった。
それは、日常の、私の癖になった。

何かの拍子に、今でも、左手の親指がそう動いてしまうのだ。

いつもの、通勤のバスが来る。
一番、後ろの席に落ち着いてから、当時のことを、また思い出す。

妻と一緒に、結婚指輪を選んでいた時のこと。
大きくウェーブのかかったセミロングの髪の、いかにもという感じの宝石店の女性店員さん。
ショーケースの向こうから、私たちの指輪選びに対応してくれた。

シンプルなデザインを選び、サイズなどをあわせた後。
みなさん、指輪の内側に、何か、刻印を入れますよ、との話しになった。

多いのは、日付や、イニシャルである。

或いは、「○○to△△」、一人は逆に「△△to○○」とお互いに刻印を入れ替える方法もある。
そうすれば、一方は「○○から△△へ」他方は「△△から○○へ」と贈りあう意味になる、との説明だった。

私も妻も、名前に「とも」が付いた。

では、こうしよう。
私の指輪と妻の指輪、双方ともに、結婚式の日付と「tomo to tomo」と同じ文字を入れることではどうか。そう、私が提案した。

「まあ、すてき。」

すかさず言った、その店員さんの声のトーン。その、微かな、わざとらしさ。
妻も同じように感じたはず。

それでも。
私の提案に、直ぐに同意した妻にも、きっと小さな喜びがあったのだ。

その帰り道のこと。
どのような話しの流れだったか忘れたが、私は、結婚指輪は普段は付けないで、しまっておくつもりだということを説明した。深い意図は何もなかった。

その瞬間。
妻は、心底意外だという表情。
「えっ。付けてくれないの」と悲しそうな顔でまじまじと私を見つめてきた。
ぽろりと一粒、涙までこぼして。

よく変な冗談を言って、大きく笑ったり、時には怒ったり。
普段、元気な妻だったから、そんなしおらしく悲しそうな顔付きは、後にも先にもあの時意外、記憶にはない。

ちょっと慌てた私。
指輪が納品された後、その緩い指輪を、ずっと付け続けることとなった。

一方、妻はと言えば、たびたび自分の指輪をどこかになくしてしまったのだ。
一度などは、とうとう見つからず、くだんの宝石店へ、再び二人で出かけて、同じ物を買い直すことともなった。

看護師だった妻であるから、本当は勤務中は外さなければならなかったらしい。指輪をつけたまま勤務して、よくどこかへやってしまったようだ。

それでも妻は、わるびれることもなく、けろりとしていた。
私も、特に嫌な気持ちにもならなかった。買い直した指輪のお金も私が出した。

ゆるい指輪を10数年、たくし上げ続けた私。
指輪を外した朝の、その瞬間のことを、今でも鮮明に覚えている。

妻が亡くなり、一日目の慌ただしい段取りを終え、ようやくセレモニーホールに落ち着いた。
その翌朝。

子供達は、近くの私の親の家に泊まらせていた。
私だけ、その施設の宿泊スペースで夜を明かした。
新しい施設。ベッドも綺麗だった。

数時間だけだったが、一瞬ぐっすりと寝た。
目を覚ますと、左手の大きな窓から明るい日差しが注いでいた。
早速、色々とやらなければならないことが、頭に浮かんだ。

その頃の、私の起きがけの癖。
寝ている間に、緩い指輪がどこかに行ってはいまいか。
目覚めるとすぐ、親指でたくし上げる動き。

しかし、これは、もう外してしまわねば。
直ぐにそう思い至った。
いつ、はずそうかと、その後に、迷うタイミング。想像しただけで、気が滅入ったから。

ベッドから降りて、明るい窓に向かいながら、指輪を外した。
そして、無くさないように、財布にしまった。

曇りガラスの窓を、開けてみると、外は、青空だった。

建物の屋根に、溶けずに残っている雪がきらきらと輝いていた。

その後、一週間ほど、本当に不思議な位に青空が続いたのだ。
あの青空の光。
その後も、時々思い出す。そして感謝の気持ちが起こる。

新沼謙治さんの「津軽恋女」という曲がある。1987年の曲である。

降り積もる雪 雪 また雪よ
津軽には七つの 雪が降るとか
こな雪 つぶ雪 わた雪 ざらめ雪
みず雪 かた雪 春待つ氷雪

太宰治の「津軽」を基に作った歌詞だという。

「津軽」の冒頭は、そんな始まりだったろうか。
その後、気になって確認してみると、本文の「序編」に入る前に、確かに、こんな記述がある。

津軽の雪
こな雪 つぶ雪 わた雪 みず雪 かた雪 ざらめ雪 こおり雪
(東奥年鑑より)

ネットで暫く調べていると、気象台の方の文章に行きついた。
冬になると、青森の気象台には「七つの雪ってどんな雪ですか」と、問い合わせが多いという。

太宰の「津軽」の出典となった1941年の東奥年鑑についても記載してくれている。
どうやら七つの雪は、積雪、つまり、つもった雪の区分のことだったらしい。

私が指輪を外した、あの朝の、あの雪。

屋根の上で輝いていたのは、きっと、「春待つ氷雪」だったのだ。

2025年1月某日

 

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