№42 谷川俊太郎の宇宙(谷川俊太郎『旅』)

ちちプロ

その日の朝の新聞各紙。
不思議なくらいに沢山の、谷川俊太郎さんの記事で溢れていた。

朝日新聞の「天声人語」に目を通す。
案の定、谷川さんの話題である。

「天声人語」らしく、谷川さんと、詩人のねじめ正一さんが、即興漫才をしていたのを見たことがあるという、ちょっと意外な話題から説き起こしている。
三分の一ほど進んでから、ようやく享年92、と出てくる。

各紙のコラムは全てこの話題。
日経新聞までが、そうだった。

ただし、押し並べて冒頭、13日に亡くなった、との文章から始まっている。
そうしてみると、やはり「天声人語」は少し格調が高い。

谷川さんの追悼の文章である。
各紙のコラム担当者も、相当に気合いが入ったことだろう。
私のような知ったかぶりの読者も多いはず。
生半可では済まされまい。

日々、言葉を吟味している人達にとって、谷川俊太郎という存在は、きっと格別だったのだ。
その日の記事の多さや、コラムの文章に、ふとそんな事を思った。

私にとっては、どうか。
国民的詩人と言われる人の仕事である。
断片的に作品に触れる機会は多かった。
ずっと気になっていて、何か代表作を一冊、手元に置いておきたい。そう思い続けてもきた。

しかし、中々、その機会は訪れなかった。
仕事の全体像のようなものも、今ひとつピントこないままだった。

そもそも、代表作は何なのか。

例えば、中原中也なら。
「汚れちまった悲しみに」に一度出会うと、それは強烈に心を捉えて、暫く目をそらせない。
若いときほど多くの人が、きっとそんな気持ちもなったはず。

汚れちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れちまった悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

そんな出会いが、どうして谷川さんの仕事とは、中々巡ってこないのか。

これまでは、私の勉強不足のせいだろう、と思ってきた。
しかし、今般、大量に溢れた追悼の文章を眺めているうち、案外、そうでもなかったかも、と思い始めた。

かっぱかっぱらった
かっぱらっぱかっぱらった

ふと目にとまる、ことば遊び。
興味はそそられ、一瞬、頭に「はてな」と浮かぶ。

しかし、中原中也の詩のように、暗記して心に刻みつけたい、との切実な思いは起こらない。
きっと、その繰り返しだったのだ。

翌日の新聞に掲載された、詩人の高橋睦郎さんの文章を読んで、ようやく腑に落ちてきた。

若き日の谷川俊太郎さんが、画家の香月泰男さんと合作した、詩画集の「旅」という本が紹介されている。
その中から、高橋さんが、忘れがたいとして、引用しているのがこの三行。

本当の事を言おうか
詩人のふりはしているが
私は詩人ではない

東京の裕福なインテリ家庭で育ち、三度の結婚。国民詩人と称される存在までとなった。
ごく最近まで、カッコ良いなと見える姿で、テレビなどの映像にも登場していた。
それが、最後はすっと老衰で逝った。

嫉妬すら覚えるような経過かとも思いきや、仮に、そんな秘密を抱えたままの「孤独」だったとしたら、92年は随分と重い。

それにしても、ここで香月泰男さんの名前が出てきたのには驚いた。
本当にあの、「シベリア・シリーズ」の香月泰男さんのことなのだろうか。

「シベリア・シリーズ」は、自身のシベリア抑留経験を描いた連作である。
とてつもなく重いメッセージが詰まった、一連の絵画作品群。
いつか是非、本物を見に行きたいと思っている。

その香月泰男さんと、谷川俊太郎さんが、二人旅をして、その後、作り上げたのが「旅」という本らしい。
香月さんの絵に、谷川さんが詩を添える体裁のよう。

そんな本なら、手元に置きたい。
そう思って検索してみるものの、もはや古すぎて難しそうである。
古本も、かなり怪しいものしかない気配。

きっと図書館にならあるだろう。

昔から、図書館の大きな平テーブルで、静かに大判の絵画集を眺めるのが好きだった。

全国あちらこちらの図書館を巡って、それをブログの話題として書いていけないものだろうか。
個人的に、そんな作戦を練っているところでもある。

きっと、その本も多くの図書館で出会えるはず。

「旅」という詩画集をさがすたび。

谷川さんもどきの言葉遊び。
丁度よい活動の目的を、一つ見つけられた気分。

谷川さんの詩は、平易な言葉で語られていて、誰しも直ぐに分かったような気にもなるが、その実、その先を本当に理解できたと自信を持って言える人は、案外少ないのではないか。

谷川さんの、宇宙の意味を探す旅。
おそらくは答えの出ない、丁度良い旅の目的になりそうだ。

2024年11月某日

 

アーカイブ
ちちプロ