日曜の午後。
早めにカレー作りを始めた。
朝食作りや弁当作りなどのプレッシャーに加え、月曜の朝は、自分の出勤の憂鬱も加わる。
早め早めに家事を進め、体の負担を減らし、その後のストレスに耐えられるようにしなければ。
日曜日の夕飯作りに早く取り掛かるようになったのは、妻が亡くなり、ワンオペとなった後の、私の習い癖である。
今夜のメニューをカレーにしようと思ったのは、昨夜のテレビのバラエティーの影響。
人気の番組MCが、いくつかの種類のルーを混ぜると美味しいよね、といったコメントをしていたからである。つられて、暫くぶりに食べたくなったのだ。
ジャガイモ、ニンジン、タマネギの定番の野菜に加え、ゴボウとシメジを入れるのが、私が母から受け継いだレシピ。
そこに豚肉と鶏肉を半々で作るアレンジを加え、今は、私の味になっている。
料理音痴を自認していた母であった。
味付けには自信が無いらしく、あまり料理を教えてくれたことはない。
感覚的に作っていて、教えたくても説明出来ない。
そんな事情もあったかもしれない。
ある時、ジャガイモの煮え具合の確かめ方は教えてくれた。
菜箸で、トントンつついて見ると良い。手応えで分かるという説明だった。
記憶には残ったものの、その感覚は理解できず、長らく使うことのなかった知識。
今、カレー作りの時、必ずこの技が役に立つ。
私の場合、おたまを使う。
柄をなるべく長く持って、スナップを効かせて、おたまの先端で、茹でているジャガイモを軽くトントンと叩く。ニンジンも同じ。
まだ煮えていなければ、カンカンと響く手応えなのだが、食べ頃まで火が通るとそれが鈍くなる。
母は、毎度、まったく同じやり方でカレーを作った。
同じ鍋、同じ手順で同じ量。
鍋ぱんぱんに、具材が詰まった、どろりと濃いカレー。
味は良かった。
「美味しかったのに、温め直しているうちに、ジャガイモが崩れて見えなくなったのよ。」
よほど悔しいのか、カレーを作った後、毎度、母が繰り返して言うフレーズだった。
今にして思えば、せっかく美味しく煮えたジャガイモ。私達に食べさせたいのに見つからない。
むしろ探して鍋をかき混ぜれば混ぜるほど、消えていく。
そんな気持ちだったのだと思う。
私も、暫くジャガイモ消滅問題から抜け出せなかった。
煮え崩れしにくいというメイクイーンを選んでみたりもしたが、結局は溶けていく。
ある時、ポイントはカレーのルーを入れるタイミングであることに気が付いた。
普通に美味しく煮えてからルーを投入すると、その後、どんなに静かにかき混ぜようとも、ジャガイモは姿を消していく。
しかし「おたまコンコン」で確かめつつ、少しだけ硬さの残るタイミングで、火を止め、ルーを入れると、その後、ジャガイモはずっと形を残すのだ。
因みに、余りに早すぎると、芯が残ったままとなるから、そこは注意が必要だ。
一旦、ルーを入れてしまうと、鍋が焦げ付かないように弱火で加熱するしかなくなるから、ニンジンもジャガイモもその後、火を通すのは難しいのである。
ニンジンの方は、煮崩れしない。
煮え具合を測るタイミング。
ジャガイモに集中するためには、ニンジンに先行して火を加えればよい。
どうするかと言えば、まずタマネギをじっくり炒め、次に肉も加えて炒めるという定番の工程。
ここで、ある程度、ニンジンも一緒に炒めて火を通すのだ。
次に、水を加えてジャガイモ(及びささがきゴボウやシメジ)を投入。
こうして、ジャガイモの煮え具合に合わせて、ルーを投入する段取りが可能になる。
もう一つ、地味だが、味の決め手として大切なのは、箱に書いてある水の量を守ることである。
これも、気が付いたのは、ごく最近になってのこと。
隠し味に、チョコを入れたり、インスタントコーヒーを加えたり。複数のルーを混ぜてみたり。
おすすめの情報は氾濫している。
我が家の子供達も、そのうち家族のためにカレーを作るようになり、色々試したくもなるだろう。
しかし、まずはそのルーが想定している水の量を、大まかでもよいから守ることが大事なのだ。
そうしないと、意図せず、永遠とシャバシャバしたカレーを作り続けることになったりもする。
標準のバランスを何度か実際に確かめてから、自分の好みの方へ寄せていけばよい。
使う素材はこれで、調味料はこの比率。最後の隠し味はこれ。
料理を覚えるということは、そういうことだと頭で理解しがちである。
しかし、案外と、違う角度のところに本質があったりするものだ。
私自身、カレーを作る際、長年、入れた具材と鍋の大きさから、水の量が適当に決まっていた。
カレーのルーの箱の裏側には、水は○㏄入れて下さいと、必ず書いてあるにもかかわらず。
視野に入っているはずなのに、中々気付くことができない大事な事。ものごとの真理。
それは料理以外でも、たぶん同じなのだ。
2024年11月某日