慌ただしく、秋が通り過ぎようとしている。
車中泊も使いながら、自分の住むまちから、段々遠くまで足を伸ばそうという私の作戦。
夏の間は暑すぎて、車の中で寝るのは無理だろうと、あきらめてきた。
それでも、ビジネスホテルに泊まったりしながら動き、公共建築などを紹介する記事を、もう一つのブログの方で書き続けてはいる。
相変わらず、広告掲載の申請を出しても「有用なコンテンツではありません」と、却下される日々が続いてはいるものの。
長野県の北の外れにある信濃町。
そこに、黒姫童話館という町立の文学館がある。
「モモ」の作者、ミヒャエル・エンデから寄贈を受けた、貴重な原稿などを展示した施設である。
数か月前に、そのブログの方で、童話館を取り上げて、記事を書いた。
早く、広告掲載の申請を出したくて、最低限の体裁を整えるため、どうにか書いた記事の一つ。
写真は、フリーのサイトから探し出した一枚だけ。
車中泊の取材のサイクルが上手く回り出せば、行動範囲が広がるだろう。
そうしたら、実際に取材して、自分で撮った写真に差し替えればよい。
そんな作戦を考えていた。
しかし、世の中、思い通りには進まない。
旅費の足しにしようと目論む広告料も入らない。車中泊の実験も夏の暑さに阻まれる。
しかし、冬に入ると、今度は雪と寒さで動きがとれなくなる。
チャンスは、この短い秋に限られる。
10月の平日、無理を承知で、二泊三日の行程を組んだ。
あれこれ悩みながら、固めた作戦。
初日に、その目的の童話館の近くまで、行けるところまで行く。そして、車中泊。
可能ならその日の夕方、だめなら翌朝、建物の写真を撮る。
その後、自宅へ戻る方向の、別のルート上の都市まで移動して、ビジネスホテルに泊まり、疲れを取る。そして、無理のない範囲で、周辺の建築物の写真を撮りながら、戻ってくる。
建物の写真は、なんといっても青空が「七難」を隠してくれると思う。
天気の状況を優先し、行程を組み立てる。ネットの予報をにらみながら。
少なくとも二日目は晴れが必須。運転の負担を考えれば、本降りも避けたい。出来れば行きと、帰りは違うルートで。
様々な都合を組み合わせ、出来た行程。
高速道路を辿るとはいえ、初日の移動距離がおよそ600㎞となる計画となってしまった。
私にとっては経験のない一日の運転距離。大丈夫なのだろうか・・・
不安を抱えつつ、その朝、とにかく車を出した。時折、小雨が混じる空模様の中。
少なくとも2時間おき、若しくは県境を越えたら、まずは休憩。
リズムを心がけ、先へ先へと進む。
県をまたぐ運転は、その地元のラジオ番組を聞きながら、というのが面白い。
明るい女性アナウンサーの声は、どの地域も魅力的で、元気が出てくる。
リスナーの投稿を読みながらの、その土地ならではの話題も興味深い。
見渡す風景にもシンクロしてくる。
いくつかの県を越えた頃。
坂口安吾の生誕祭を、今年もまもなく開催する、という話題が聞こえてきた。
そうか、ここが、坂口安吾の生まれた土地だったのか。
坂口安吾は、太宰治のとても近いところにいた作家である。
「不良少年とキリスト」を読むと、坂口安吾なりに、太宰治の自殺をなげく気持ちが伝わってくる。当時の、彼らの日常の様子も、良く見えてくる。
坂口安吾の代表作は、評論の「堕落論」。
文庫本には、堕落論のほか、何編か、短い随筆や評論などが収められるのが通例になっている。
相当に癖のある坂口安吾を、今の時代、どんな切り口で、シンポジウムにするのだろう。
惹かれるが、タイミングを合わせて、またこの土地までやってくるのは難しいだろう・・・
暗くなって、ようやく北側から長野県に入る。
相変わらずの雨。淋しい雰囲気。今日、写真を撮ったりするのは、もはや無理。
車中泊を予定していた道の駅に、そのまま向かう。
少し早いが、夕飯を食べてしまおうと考えて、施設の中へ入る。
しかし。
食事は、午後4時で終了。今はドリンクだけ、との表示。
それどころか、店全体が、閉店に向かう、気配まんまん。
早速、ピンチ。
急に、疲れを思い出す。
レジに立つ若い女性に、くだけて「近くでどこか食事が出来そうな店はあるの」と、聞いて見ようかと頭をよぎるが、直ぐに諦める。元気が出ない。
まずはトイレだけでも、と外へ。
トイレの入り口の、すぐ脇に、地面に座り込む、髭面(ひげづら)の若い男性がひとり。
巨大なリュックによりかかり、ぼんやりスマホを見ている。降りしきる雨をさけ、庇の下で。
彼も、何か予定が狂ったのだろうか。
深夜、トイレに起きたとき、この男性が、このまま座っていたら。
想像すると、ちょっと怖い。
人の心配をしている場合ではない。
コンビニも、近くにある気配が、まるでしないのだ。
スマホでおすすめの食堂を調べ、カーナビに設定し、車を出す。
カーナビ無しでは、直ぐにでも方向感覚がなくなりそうな、ざわざわとした、山の気配。
運転し始めて、まもなく。
それでも一軒、昭和のドライブインを思わせる店の前を通りかかった。
一瞬迷ったが、こういう時は、ネット情報を優先すべきだろう。
評判のよい店は、もう少し先だった。
スマホの画面上では、食事できる施設が、複数、集中しているエリアの中の一軒。
車で、十分程、移動しただろうか。
大きめの幹線道路を進んでいたのに、カーナビが、何故か細い道へ左折するよう促した。
きっと、近道を誘導してくれているのだろう。信じて進む。
しかし。
辿り着いたところは、山の中腹に、別荘風の建物が集中したエリアだった。
どの建物も、既に灯りが落ちている。
まだ、午後5時前のはず。街路灯もなく、一体が暗い。
まずい。
いよいよ、ピンチ。
さっきの、レトロなドライブインに戻るしかない。
ぐずぐずしていると、そこも閉まってしまうだろう。
きっと、この辺りはそういう土地柄なのだ。
道路の先に、その店の灯りが見えてくる。
よかった、まだ閉まってはいないようだ。
おそるおそる中へ。そもそも何屋さんなのだろう。
入るとそこには、20テーブル以上もある、大きな空間が広がっていた。
おじいさんと、おばあさんが、こちらに背中を向けて、座っている。二人だけで。
なぜか横にならんで、目の上の、大型のテレビを、ぼんやりと見上げている。
どうにも飲み食いの気配がない。店番の人なのだろうか。
おばあさんが、振り向いて、入ってきた私を、何時までも、まじまじと見てくる。
「もう終わりだよ」「ここはやってないよ」と、今にも言いそうな雰囲気。
たまらず私の方から、声をかけようと近づくと、不意に人の気配がした。
奥から出てきたらしい。エプロン姿の女性。
一人ですか、こちらの席にどうぞ、と促される。穏やかな笑顔。
おじいさんと、おばあさんは、やはりお客さんだった様子。
おすすめの、五目あんかけ焼きそばを注文する。
他に客の出入りもなく、奇妙な、広すぎる空間。
臨時で、開けているのだろうか。
外は、静かな雨。
おじいさんと、おばあさんの向こうの大型テレビが、私の位置からも、よく見えた。
地元のニュースや天気予報が面白い。天気図も、この土地ならではの見慣れない形。
どうやら、今いるエリアは、明日は、無事に晴れそうだ。
暫くして、中年の女性一人と若い男女、三人が、揃って店に入ってきた。
なぜか、若い男性が、まっすぐ、あばあさんのところへ向かい、肩に両手を置いて、しばらくぶり、と声をかけた。
そして、おじいさんとおばあさんの向かいの席に、三人並んで腰をおろした。
関係性はこうらしい。
おじいさん、おばあさんと、同居している娘。その息子(孫)が、遠くからガールフレンドを連れて遊びに帰って来たところ。
今日は善光寺まで行ってきたのよ、というお母さんの断片的な会話も聞こえてきた。
ようやく、これから、皆で夕飯らしい。
私の前に、五目焼きそばが出てくる。
とんでもない大盛り。コンビニで時々買うものと比べれば、大袈裟ではなく、およそ三倍はある。
食べきれるだろうか。
しかし、箸をつけると、以外にお腹におさまっていく。
間食することもなく、ここまで運転し通しだったな、と思い出す。
昔から、峠越えの旅人に、沢山食べろと、もてなす土地柄だったのかもしれない。
そういえば、山あいのまちに住んでいた、私の父方の祖母も、小学生の頃、訪ねると、必ずあれを食え、これを食えと責め立てたものだった。限界まで、お腹いっぱいだったのに。
帰りがけ、レジで、愛想良く対応してくれた、店の女性に声をかけてみる。
本当に一人前だったんですか。もしかして、普通は、みんなでシェアして食べる一皿?
すると、いやいや一人前。うちは盛りが多くて、との説明。
麺をひとたま、油であげると、広がるし、そこに餡をかけるから、大盛りになってしまって、となんだか、少し申し訳なさそうに説明してくれた。
道の駅に戻り、下見した場所に車を停める。周りが気にならず、裏側からトイレにも近い位置。
車内でぐるり、シェードを貼る。慣れてはきたが、それなりの一手間。
作業を終えると、なんだか満足して、そのまま寝袋に潜り込んだ。
雨の他に音はない。車の音も、ほぼ聞こえない。
他に何か飲み食いするわけでもなく、あんかけ焼きそばだけを、ひたすら食べた。
店の人と、たわいない会話もした。
随分と、シンプルだ。
しかし、一晩、眠るには、きっとこれで十分だ。
食堂を探して、車で動いていた時に、近くに小林一茶の記念館があるのを見つけた。
夜が明けたら、行ってみるつもりでいる。
一茶も、その前の時代の松尾芭蕉も、自分の足で歩く、長い長い旅をした。
旅先で、こんなふうに雨に降られた夜もあっただろう。
電気の光のない、雨音だけの夜。
なにを思って、横になったのだろう。
そんなことを考えながら、うとうとと、眠りに落ちた。
2025年11月某日
