私の記憶には「旅をする『本』」としてインプットされているその文庫本の題名。
しかし、毎度よく見返せば、本当は「旅をする『木』」なのだ。
静かにファンの多い本だと思う。
この文庫本自体が、私の中で、ある種のスピリチュアルな存在となっている。
幾つかの不思議なエピソードがつながっている。
昨年、試しに一人で車中泊をしてみた。
その際、一冊だけ持って行ったのもこの文庫本。
車中泊は、これからの自分の人生を、何かしら楽しいものとして再構成するための一つのピースになるのではないかと考えて、研究しているところ。
既に読み終えているその本を、なぜ、持って行くことにしたのか。
それは、ある漫画の影響なのだ。
その漫画の主人公は、昔この「旅をする木」一冊を持って、世界を放浪していたという。
夜、宿で何度も読み返した。
ざわついた心が落ち着いて、自分に戻ってこれるような本だった・・・
確かに、一人の車中泊にはよく合いそうだ。そう思った次第。
その漫画というのは吉田覚さんの「働かない二人」。
小ずるそうにも見えるが、本当は心優しく賢い兄と、のんびりやで人見知りのとぼけた妹。
二人とも高校卒業後、就職せず、家でニート生活。
引きこもっているわけではなく、明るくオープンに、周りの人達と関わっている。
社会のサイクルの中で、日々疲弊している人々を、意図せずに癒してもいく。
漫画の本編と、単行本のおまけのようなコーナーで「旅をする木」の文庫本を介したエピソードが断続的に続いていく。
そもそも、その文庫本は、主人公が高校の先生から勧められて、借りたもの。
友達に又貸ししたりするうち、次第に多くの人の手を渡っていく。
カバーの裏に、読み終えた日と、感想を書くというようなルールもあったはず。
様々な人が読み、それぞれに何かを思う。
数年を経て、主人公の手から既に退職した、老教師のもとへと戻る。
そんな話し。
その文庫本は、私の家でも、暫く行方不明になっていた。
車中泊に持って行く少し前に、亡くなった父親の書斎の本棚で、ふと見つけたのである。
思い返せば、数年前、病気による衰えが急に目立ってきた父親に、少しでも気晴らしになれば、と私が貸したのだ。
両親が施設へ移った後、手元に戻しておきたくなって探してみた。
当時、実家の中は、母親の認知症の大混乱などもあり、乱雑な状況となっていた。
探すのは、諦めた。
当時の父の体調を考えれば、全部は、読んでいないと思う。
しかし、見つけてみれば、書斎の椅子から、手を伸ばせば届く書棚に、案外きっちり収まってもいたのである。
私がその文庫本を通して読んだのも、ふとしたきっかけから。
「働かない二人」を読み始める、少し前のこと。
ようやく妻の遺品を整理しはじめた頃。
当時、妻の残した本なども、少しずつ中古ショップに持って行きはじめた。
看護師の専門雑誌などにも、案外値が付いて、驚きもした。
誰かの役に立つのなら、そのほうが良い。
一見、装丁の地味な「旅をする木」の文庫本も、売ってしまうつもりで手に取った。
なんとなく頁を繰り始め、もう少し目を通してから売ることにしようか、と思い直したもの。
動物写真家の星野道夫さんが、アラスカでの厳しくも根源的な生活を静かに綴るエッセイだった。
最後の解説まで、何気なく読み進め、そして、衝撃を受けた。
星野道夫さんは、ヒグマに襲われて既に亡くなっている、というのだ。
本文の中で、結婚し、子供もできたと語られてもいたのに。
その段になって、ようやくあることを思い出した。
家の廊下の立ち話で、妻が、文庫分を手に持って、少し興奮気味に話していたことを。
「この本を買って読んだんだけどさ、最後まで読んでから、著者が亡くなっているって知ってびっくりしたのよ。内容は、アラスカの自然が描かれていて、良かったんだけどさ。」
妻の病気が分かった後のこと。既に私と妻との必死の生活は、始まっていた。
気楽に読んでみようか、という気持ちには、その時なれなかった。
タイトルを確認することもしなかった。
「本棚においておくから良かったら読んでみて。」
妻も、軽い笑顔のコメントのみ。
しかし、今にして思えば、きっと、その先の想いもあったのだ。
星野さんの本の良さは、「働かない二人」のエピソードが、上手に表現してくれている。
心が疲れた人、ざわつきが収まらない人。
多くの人の共通の財産なのだ。
「旅をする木」という題名の、人の手から手へ、心から心へと「旅をする『本』」。
内容を確認したくて、我が家の文庫本を探したが、またもや見つからなくなっている。
私の片付けが悪いせいもあるだろう。
しかし、直ぐ誰かに貸したくなったり、お守り代わりに旅行鞄に忍ばせたくなったり。
静かに本棚に収まってはいられない本なのだ。
星野さんは「イニュ二ック[生命]」という本も書いている。
こちらは不思議と、いつもの本棚にちゃんとある。
確か内容的に、重なっているエピソードもあったはず。
そう思って、つらつらと頁を手繰る。
添えられた、柳田邦男さんの解説がまた心に沁みる。
なるほど。
星野さんが様々な写真や文章で、繰り返し繰り返し表現していたもの。
つねに向き合っていた対象。
それは、きっと、この本のタイトルの通り、エスキモー語でいうところの「イニュ二ック」、即ち「生命」そのものなのだ。
私も、こうして、ささやかながら「旅をする木」の存在を文章にすることができた。
あの日、妻から手渡してもらった不思議な襷(たすき)。
どうやら次の人達へとつなぐ役割を、私も果たすことができそうだ。
2024年11月某日