№54 巣立ちの春(「おにぎり」に想う)

ちちプロ

日曜日の朝。
バナナを一本だけ食べて、直ぐに活動を開始した。

休日も、短時間だけ、きまって早朝、まだ誰もいない職場に行く。
管理職になってからの習慣となっている。

一つには、週明けからの仕事の段取りを確認するため。
また、一つには土日の新聞に目を通したいため。

自分が責任を持っている分野で、何か騒ぎや、問題が生じていないか。
月曜の朝から動かなければならない事態になってはいまいか。
そんな心配が、つきまとうからなのだ。

いつもはその後、家に戻り、長女の分と、自分の分の朝食を作る。
しかし、その日は、もう一つやってしまいたい用事があった。

職場を出て、車を出す前に、長女に、今日は自分で何か食べるようにとLINEする。そして、そのまま郊外のショッピングセンターへと向かう。

その日の夕方、家族で、長男の誕生会をしようと約束していたのだ。
恒例の行事となっている。
私が食事を作り、ケーキを食べ、家族でビンゴ大会をすることにしていた。

行きつけのショッピングセンターで、あれこれ買い、車に積み込んだりしているうちに、お昼近くになってしまった。
口にしたのは、朝から、バナナ一本だけ。
疲れとともに、急に空腹も感じ出した。

食材の買い物の途中、食料品コーナーで、おいしそうなおにぎりに目が留まる。
近年、おにぎりもちょっとしたブームになっている。充実した具材のものも増えた。
しかし、その分、高くもなっている。

最近、退職を前に、経済的なことが、時として急にリアルに、頭をよぎるようになった。
倹約が必要だ。こんな高いおにぎりは贅沢。
そのまま一旦、前を通り過ぎる。

しかし。
空腹と、疲労と、お金の不安と。
なんだか嫌な心の循環になっていることに気が付いた。まず、何か食べるべきだ。
思い直して、おにぎりも一つかごに入れ、会計を済ませ、外へと向かう。

出口付近で、高校生の一団が募金を呼びかけていた。
外国の大規模な火災に対してのもの。
そういえば数日前のニュースで、代表者がインタビューを受けていたのを見かけた。
こんな郊外まで出かけてきて、活動しているのか。

最近は、電子決済やカード払いが多くなり、私も、小銭はほとんど持ち歩かなくなった。
気は進まない。そのまま、一旦通り過ぎる。

しかし。
高校生の呼びかけの声が、耳に残った。
もやもやする位なら、募金しよう。思い直して引き返し、募金箱へと向かう。
それらしくチャリンとさせるため、しかたなく百円玉数枚を投入する。

明るい嬉しそうな表情を見られるかと思いきや、女子高生達は堅い表情のまま「ありがとうございます」と一言だけ。何だか、結局、もやもやが残ってしまった。

車に戻り、おにぎりを食べながら、思い返す。
考えてみれば、お腹をすかせていた私。きっと無愛想な顔付きだっと思う。無言で近付いた。
黒いダウンジャケット。着ぶくれて、必要以上に体格良くも見えたはず。

最近、若い子が犠牲になる、通り魔的な事件も多い。
もしかしたら、少し怖かったのかもしれない。

私の長女とほぼ同年代の子達である。
何か声でもかけてあげればよかった。そうすれば、きっと私もすっきりできたのだ。
食べるときに食べ、水分も摂り、休憩も入れる。そうして機嫌良く生きていくべきなのだ。

子供の誕生日や、クリスマスなどに、家族でよくビンゴ大会をしてきた。

景品は、基本的に、百円ショップで買ったもの。
子供達が小さかった頃、喜ばせたくて、私が思い付いたものである。
いつしか家族の、恒例の行事になった。

面白い小物やちょっとしたおもちゃ、駄菓子など「百均」で、余りお金をかけずに景品の数を増やす。シンプルな、茶色の数十枚入りの紙袋も「百均」で、一緒に買う。
この中に品物を入れて、中身の分からない紙袋入りの景品を、沢山用意するのである。

私や妻も、一緒にビンゴをしたが、三人の子供達が、何度も景品を選ぶことができるように権利をゆずったりした。私はお酒が飲めて、皆の喜ぶ顔が見られれば、それでなによりだった。

もちろん、「百均」の商品だけでなく、幾つか、目玉の景品も用意した。
子供達がゲーム機で遊ぶタイプのゲームに夢中だった頃は、ゲームソフトをメインにした。
数百円で買った中古のソフトなども入れておくと、なおさら子供達のテンションが上がった。

いつの頃からか、アマゾンのギフトカードが、一番喜ぶ景品になった。
つまりは、お小遣いを必要としているのだ。

私たちの親の世代は、兄妹が多かった。
私が小さかった頃、親戚のおじさん、おばさんなどから、盆に正月、沢山お小遣いをもらった。

その後、急速に少子化が進んでしまった。
私の三人の子供達が、定期的にお小遣いをもらえるような相手は、今や、ほぼいなくなっている。

二年前に社会人となった長男は、給料も入り、小遣いに困ることはなくなった。
しかし、大学生の二男と、高校生の長女にとっては、切実な問題だ。
二男は、バイトで補えたが、高校生の長女にとってはその方法も難しい。

そもそも、年齢的な巡り合わせのせいで、長女の場合、四人のおじいちゃん、おばあちゃんから、お小遣いをもらったり、服を買ってもらったりする期間も、長男と二男に比べて極端に短くなってしまった。
そんな不憫さもある。

長女にとっては、たまのビンゴ大会が、大事な収入確保のチャンス、なのである。

思えば、バブル経済崩壊後の、失われた30年は、子育ての目線からも、不思議な巡り合わせだったように思う。

物価が上がらず、先々の計算が見通せて、楽だったのだ。
この時代を象徴するような、百円ショップにも、随分と助けられた。

流行のおもちゃやグッズなど、正規の商品を買わずとも、この「百均」で似たものがとりあえず手に入った。子供達に、安上がりで、満足感を与えることができた。

自分が、昔欲しかったおもちゃや、流行ったグッズなども同様に、百均で買い、ビンゴの景品にしてきた。これはこういう動きをするおもちゃだよ、と教えてあげることができた。
昔ながらのビー玉や、おはじきの遊び方も、そんな風に、私や妻が教えたのだ。

妻が亡くなった後、「百均」で買う景品に、少し違う意味が加わった。
台所周りの小物や、子供一人一人、色を変えたタオルや歯磨き用のコップ。
日用品を、定期的に、仕入れる場にもなった。
子供達には、はずれの、スリルとなった。「あっ、またお父さん用のやつだ。」

そして、今回。
用意した料理で、お腹が満たされた頃、ビンゴ大会になった。

いつものように、私が一人で買って、こっそり袋詰めした景品。
我慢仕切れずに、私は、用意した景品の傾向を、子供達に説明しはじめた。

今回だけはテーマがあるのだ。
それは「旅立ち」なのである。

二男が就職で、家を出ることは、数日前に確定していた。

実は、長男も、いよいよ独立するつもりだという。随分前から、自分で宣言していた。
どこまで本気だろうかと、半信半疑でもあった。
しかし、最近、何度か、アパートの下見にも動いている様子。
四月から、新しい生活を始めるつもりではいるようなのだ。

そんな事情もあり。
長男のお祝いとして、今回、焼肉か、回転寿司に出かけるのも良いなと思ったが、みんなで、時間をあわせられるのも、もしかしたら最後かもしれない、と思い直して、いつものビンゴ大会をすることにした。長男も、二男も、一人暮らしをするためには、様々な日用品が必要になる。鍋やお椀、例えば詰め切りなども、そう。今日の景品は、そんな方向で選んだのだ。

ビールを飲みながら、冒頭、私から、そんなことを話したのである。

はじまると、いつになく、長女の調子が良かった。
いつもは、二男がツイていることが多かった。よく一番の景品も引き当てた。

皆の目当てのギフトカード。今回、用意したのは三つ。
早々に、長女が一つ目を引き当てた。まもなく二つ目も。

二男がずるだ、と騒ぎ出した。どの袋に入っているか、事前に分かっていたのだろう。
そうこうしている内に、とうとう三つ目のギフトカードも、長女が選んでしまった。

これまた昔、「百均」で買った、ちゃちではあるが、しっかり役割を果たすビンゴ抽選器。
ガラガラやると、数字の入った小さな玉が出てくるタイプ。
回すのはいつも長女の役割だった。
床にぺたりと座って、番号を読み上げてゲームを進行していた長女。

二男の抗議に対し、違う、違う、と言いつつも、次第に目に、じんわり涙が湧いてきた。
なんか、涙が出てきた。べつに泣きたくないんだけど、と長女。

長男も、二男も、何だ、そんなに悲しかったのか、ハハハ、泣くなよ、とまた大騒ぎ。
かわるがわる、座っている長女のところへ行って、頭をぽんぽんとやったりして慰める。

二男の言い方が、きつかったわけではない。
長女にしても、後ろめたさや、悔しさを感じたわけでもないだろう。

こんなふうに家族四人でビンゴをして遊ぶのも、もしかしたら最後。
最後の最後に、急に自分に「つき」が回ってきたんだな。

そんな考えが、ふと頭をよぎったのではないか。
そんなつぶやきが、きっと自分で自分の心に響いたのだ。

その涙、心に刻んでおくとよい。

泣き笑いの思い出は、いつか必要になった時。
きっと心の力に変わるはず。

例えば、どうにも辛い、一人の夜。
切ないところを乗り越える、その力に変換されるはず。

例えば廉価な袋につめて、親がせっせと贈る物。
そんな時のための、時空を越えたエネルギーなのだ。

同時に、それは、私も同じ。
両親からだけでなく、おじいちゃんや、おばあちゃん。おじさんに、おばさん達。
上の世代から、我々自身、受け取ってきたものなのだ。

2025年2月某日

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