№13 ジェンダーギャップと男性問題(濱口桂一郎『働く女子の運命』)

ちちプロ

「男女共同参画」の文脈の中で、「女性問題」という言葉も使われることがある。
この場合、芸能人のスキャンダルの話しなどではない。
社会の中で、長年、不平等な扱いを受けてきた女性の苦しみを表す一つの表現として。

近い将来、逆に「男性問題」という言葉が大きく取り上げられる時代が来るのでは無いかと、密かに案じている。

先日、大学三年生となり、就職活動を控える二男が、こんなことを言っていた。

ある公務員系の職場の採用者を調べてみたら、近年女性の採用が急増している。
グラフで見ると異常な伸び。直近では採用者の7割位が女性。
きっと女性登用の流れで採用方針をそうしているのだ。
狙っていたのだが、不利なのでそこはもう諦めたほうが良いと思っている。

つまり、二男は筆記試験あるいは面接で、女性に何らかの加点がなされている、と理解しているのである。
本当にそうなら大問題だが、公務員系の職種で、今どきそのような差別が許されるはずがない。
そんなケチな理屈をつけて早々に挑戦を諦めたりする感じが透けて見えるから、面接でも男子学生は評価されないのだ。
と、男子学生一般には大変に失礼な意見を、その時、私は二男についつい熱弁してしまった。

あとから考えると、確かにあからさまな加点は出来ないだろうが、裁量が許される最終段階では、果たしてどうだろうか。

以前、ある組織の事務局で人事採用担当をしていたことがある。
真面目に勉強して採用試験を受けに来る女の子たちは、筆記試験の点数も良く、面接の受けこたえもしっかりしている。
比べると男の子は敵わない。

急速にその組織は、毎年、どんどん男女比が狂い、女性の比率が高まっていた。
今思えば、ある種、時代の先取りのようなことが起こっていたのだ。
むしろ男性の採用をどうにか増やせないかと最終選考に残った数名を見比べる、というような状況になっていた。

確かに採用選考作業もそこまで来ると、一定のバイアスがかかることは考えられはする。
だからと言って、筆記試験も悪く、まして面接で不安定な面が見え隠れするような子を男性だからという理由だけで採用することは出来なかった。
結局は本人の実力次第だ。

社会進出における男女格差を示す、いわゆる「ジェンダーギャップ指数」。
日本が欧米諸国に比べ、いつまでたっても低位に止まっている理由は、決して欧米諸国の男性がもともと男女共同の考え方に先進的だったから、ということでは決して無く、実は雇用システムの違いにある。
濱口桂一郎著「働く女子の運命」では、そんなふうに分析している。
なるほど、と思う。

欧米諸国では、例えば管理職も一つのスキルであって、管理職という職務を出来る人を、適切な賃金で募集し、採用する。
能力が高ければ女性が採用され、ボスとなる、という。

一方、日本では、スキルに関係なく、大学を卒業した若者を、社員として迎え入れる。
そして、年功序列で育てていく。
転勤もいとわず組織に忠誠を尽くすメンバーとして、男性の方が都合が良かったのだ。
長年、そういう構造で組み立てられてきたのが、これまでの日本社会。

そういった論旨である。

今、その流れは、確実に変わりつつあるのだと思う。

もともとコミュニケーション能力が高く物怖じしない女性達。
今後、社会の様々な場面で、多数派にもなっていく可能性は大いにある。

長年、社会の中で少数派として、悔しい思いをしてきた女性達に対して使われてきた「女性問題」という表現。

遠からずその反対の「男性問題」という言葉が使われ始めるのではないか。

女性の上司と男性の部下。
ほとんど女性だけのチームとなった中での、男性メンバーの来し方行く末。

そこで起こってくる問題の深刻さを想像すると、そら恐ろしい。
果たして、倍返しくらいで済むのだろうか。

2023年11月某日