№28 AIと音声アプリ(フジファブリック『若者のすべて』)

雑文

高校生の長女が、私がブログで何を書いているのか、少し気にしている。
自分達の日常が、話しのタネにされていると知ったら、どう思うだろう。
もしかしたら、書かれたくない話もあるのだろうか。
そもそも彼女たちの話題を持ち出してまで組み立てようとする私の文章に、世の中的に、どれ程の価値があるのだろう。
迷いは尽きない。

フジファブリックというバンドの「若者のすべて」という曲がある。
数年前、YouTubeで見かけた際に、長男に、有名だよと教えられて、その時初めて知った曲。
気に入って、その後もよく聞いている。
自分を元気にしたい時などに。

真夏のピークが去った。
天気予報士がテレビで言ってた。

歌詞を追っていっても、強いメッセージにたどり着く訳では無い。
どうして毎度、私が元気付けられるような気分になるのか、ずっと、よく分からないままだった。

ある朝のテレビのニュース。
NHK熊本放送局が取材した、難病の若者の話題に目が留まった。

大学生でもある彼女は、まもなく病気で声を失う可能性が高いという。
自分の声を残したいと望む彼女のために、支援者や企業などが協力して、自身の声で会話ができるAIを使った音声アプリを開発した。
そんな話題だった。

確かに、最近、NHKでも一部のニュースをAIの音声でアナウンスしはじめている。
きっとその試みは、違和感の無い高いレベルで実現されたのだと思う。

「若者の想い」と「テクノロジー」という組み合わせ。

何も関係の無い私であるが、不思議と勇気がわいてきた。

「若者のすべて」のことを少し調べてみると、歌詞を解説してくれているブログに行き着いた。
どうやら、もともと、最後には、会いたかった彼女に再会できた、という前向きなストーリーだったようだ。

情緒の先の、明るい未来の可能性。

考えてみれば「若者のすべて」とは「迷い」とその先にある「可能性」そのものの事なのかもしれない。

私の書く文章を読んで、どこかの誰かが元気付けられることだって、そのうちきっとある。

可能性は常に広がっている。

その朝のニュースは、迷ってばかりの私の背中を、少しだけ前に押してくれるものだった。

2024年8月某日

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