№88 新年会(『瞬間接着剤』に想う)

ちえプロ

昨年、早期退職し、新しい生活をはじめた。
勤めていた頃、年末年始のこの時期は、大小様々な単位で、忘年会があり、新年会があった。

しがらみから自由になるために、個人事業主、という立場に移った私ではある。
しかし、忘年会まで、まったく無いというのも、少し淋しい。

そんなことを考えていたら、年末、今の仕事の団体から、誘いがあった。
午後、研修会を行い、夜に、忘年会を行うというものだった。

一人で始めたビジネスではあるが、同じ立場の人達の横の繋がりが強い。
年明け早々には、地元の宮司さんの講演を聴くという、正月らしい新年の会もあった。

1月中旬、もう少し小さな、地区単位の同業者による、集まりがあった。
午後、講師を招いて、相続税の基礎を学び、夜に、懇親会を行うというもの。

数年前、父親が亡くなり、私も、相続税の問題に直面した。
悩みながらも、一人で、何とか調べて対応した。
苦労もしたが、同時に、ネットや動画で調べれば、どうにかなるという経験にもなった。

その日の午後、複合ビルの一室で、数時間、集中して相続税の話しを聞いた。
予定したプログラムが終了。

事務局から、懇親会に参加する人は、この後、隣のビルの4階にある会場まで移動して欲しい、とアナウンスがあった。開会は、数十分後。

荷物をカバンに片付けていると、ふと、左足に奇妙な違和感を感じた。
正確には、足の裏に。

何か、つま先が、床にひっかかる。
見ると、革靴の底が、前から半分、はがれていた。

ぱかぱかして、どうにも心細い。

あれ。困ったな。
どうしよう。

靴屋に行くまでの、時間はない。
そうだ。このビルの1階にコンビニがある。

靴の色と同じ、黒いゴムバンドでもあれば、足先を、固定できるのではないか。
少し、格好は悪いが、懇親会がはじまれば、笑い話になる程度だろう。

微妙に足を引きずりながら、エレベーターまで移動し、コンビニにたどり着いた。

しかし、イメージした、ゴムは無かった。
使えそうな紐も見当たらない。

黒い靴下なら、売っていた。
靴下を、左足だけ、靴の上からはいて歩こうか。

いやいや。
流石に、そこまでいくと、痛々しい。
外を歩けば、雪で、直ぐにぐちゃぐちゃになるだろう。
そんな絵面(えづら)では、酒が入っても、笑えない。

困っていると、接着剤に目がとまった。
そうだ、くっつけてしまう方法がある。

外は、午後から、大雪になっていた。
雪で濡れて、はがれてしまう、悪いイメージが浮んだ。
過去、瞬間接着剤に期待して、結局上手くいかずにがっかりした、多くの経験が、頭をよぎった。

しかし、それ以上の妙案もなかった。

急いで会計を済ませ、近くのトイレへ向かった。
パッケージをよく見ると、靴底の応急修理にも使えます、と表示されていた。
案外、同じ状況になる人は、多いのかもしれない。

トイレの個室に入り、時計を見る。懇親会まで、もう10分ほど。
大丈夫。急げば、まだ間に合う。落ち着いて。

ぱっくり開いた靴底に、たっぷりと、接着液を捻り出す。

再び靴を履き、ゆっくり体重をかけてみる。
良さげな感じではある。

ビルの外に出れば、雪で濡れるから、馴染むまで、本当は待ちたかった。
しかし、タイムリミット。ぐずぐずしてはいられない。

急いで、トイレのドアに、手をかけようとした、丁度そのとき。
表の道路を通る、救急車のサイレンの音が聞こえてきた。

かすかな胸騒ぎ。
時間は無い。一瞬、迷う。

しかし。
思い直して、トイレの中で、急いで、スマホを取り出した。
メールが入っていた。

M市に住み、親類の立場で、義父の日常の世話をしてきた、Nさんからのものだった。
考える間もなく目を通すと、それは、こんな内容だった。

夕方、義父が入院している病院から電話があった。
状態が悪化した。意識があるうちに、会いに来るように、とのことだった。

嗚呼、いよいよ、この段階になったか。

義父は、年末、病院に移った。
その後の様子は、近くに住む、親類のTさんからも、直接、連絡を受けていた。

肺に水がたまっているのが見つかった。日々、急激に落ちている。病院からは、何があってもおかしくない状況だから、覚悟するように、とまで言われている。

加えて、悪いことに、院内でコロナ患者が出て、Tさんや、Nさんすら面会が認めらない状況にもなっている、という話しだった。

これまでの私の経験上、いよいよの時には、病院側としても、その前に、親類へ面会を促すはず。

逆に言えば、面会させないと言っているからには、まだ、その段階ではないのだろう。
と、その瞬間までは、考えていた。

チャンスを見つけて、また義父に会いに行くつもりでいた。
なにより、孫の顔を、見せに行かないと。
そう、思い続けてきたのに・・・

ビルを出て、懇親会場へ向かった。
ふわふわと、大きな雪が、舞っていた。

懇親会場の、席につく。
乾杯は、ウーロン茶を頼んだ。
主要なメンバーが到着していないらしく、時間を過ぎても、中々開会とならない。

落ち着かず、何度も、大きな窓の外に目をやる。
近くのビルの光と交じり合い、紫色に光る夜空を、雪が、わんわんと舞っている。

手持ち無沙汰で、皆が、開会を待っていた。
今年、知り合いになった隣の席の同業者に、当方の、今の、事情を説明した。
場合によっては、これからM市まで、車で、行こうかと迷っている、と。

すると、M市にたどり着くまでの、途中にある、峠のライブ映像を、検索して、見せてくれた。
こんな雪の降り方になっていますよ、今夜の移動は、やめた方がよい、と。

会費は、既に、研修がはじまる前に、受付で出していた。
料理に手を付ける気には、なれなかった。
乾杯だけ参加して、主催者にも事情を話し、会場を後にした。

家に向かう、バスに乗る。
まだ、除雪が進まない雪道は、バスでも持て余すような、劣悪な状態。
がたがた揺れるバスの中で、考えた。

大学の講義を終え、長女も家に戻っているはず。
できれば、長女だけも連れて、車で、M市まで行きたい。
しかし、宿のあてはない。最悪、車中泊、ということもありうる。

そうだとすれば、長女にまで、無理はさせられない。行くなら、私一人でだろう。
しかし、そもそも義父が待っているのは、むしろ長女を含めた、三人の孫達のはず・・・

ぐるぐる迷って、まとまらない。
バスの中から、もう少し、状況を教えて欲しいとNさんに返信した。

病院は、NさんやTさんにだけ、面会に来るように言ってきたのか、それとも、私や私の子供達、それなりに人数が増えるが、それでも面会を認めてくれるのか。

ボールを投げて、少し、落ち着いた。
ふと、思い出した。

そういえば、靴は、ちゃんとくっついたな・・・

途中、コンビニで弁当を買い、家につく。
食べながら、Nさんからの返事を待った。
家にいた長女にも、状況を説明した。

Nさんからメールが入った。

Tさんが、代表で面会してきた。声をかけて頷く様子はあった。直ちに、とまでは見えなかったが、こればっかりは分からない。

そしてTさんも、家に戻ったらしい。
少なくとも、病院に親族が詰めて、待機して夜を明かす、という状況にはなっていないようだ。

私は、夜が明けてから、向かうことにしようと決めた。
Nさんに連絡し、そして、寝た。

深夜3時、目が覚めた。

静かな気持ちで、枕元の、スマホを手に取った。
Nさんからのメールが入っていた。

午前1時前、義父が、逝ったと、記してあった。

2026年1月某日

 

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