№59 退職①(『お弁当作り』に想う)

ねこプロ

遂に、この朝がきた。
退職の日。

出かけようとする私のことを、長女が、玄関先まで見送りに出てくる。
ただし、これは、いつもの習慣。
家族の誰かが出かけるとき、玄関で見送る家族のしきたり。

亡くなった妻が定着させたルールである。

妻の実家でも、妻が小さかった頃、必ずそうしていたらしい。
仕事に出る義父のことを、義母と子供達とで朝、送り出すセレモニー。

義母がそうしていたのは、働く義父のことを立てるためなんだろう、義父の威厳を尊重してのこと。少し悪く言えば、昔ながらの男尊女卑のなごり。はじめ、私はそんなふうに軽く考えていた。

しかし、あるとき妻から聞いた義母の口癖。その思想は、ずっと深いものだった。
それは、繰り返し津波の悲劇に見舞われた、その土地だからこその、素朴に根付いた哲学からくるものなのかもしれない。

「だって、それでお別れになるかもしれないんだよ。」

子供達が小さかった頃、妻は三人の子供を促して、朝、玄関先で私を見送ってくれた。
一人一人と軽くハグもして、私は職場へと向かった。

妻の体調が急に下がっていた、ある朝。

私の右頬に伝わった、妻の右頬の氷のような冷たさ。
はっと、胸を刺したその感触。
今でもときどき思い出す。

妻が亡くなった後も、長男、二男、長女と三人で、私を送り出してくれた。
反抗期もあっただろうが、長男や二男も、そのルールを崩すことはなかった。

さすがに大学生になり、朝、早起きする必要がなくなった後からは、私の朝の見送りは、長女だけの役割になっている。

出がけに。
長女が、えへへ、一つお願いがあるんだけど、と話しかけてきた。

これから通う大学には、学食がない。近くに、お店自体は沢山ある。
しかし、高い。
友達はお弁当を持ってくるつもり、といっている。
申し訳ないんだけど、4月からも、またお弁当を作ってもらえないだろうか。

なに。
つい、このあいだ、これで弁当作りから解放されるのか。
そんな感慨にふけりながら、高校の登校日、最後の弁当を持たせてあげたところだったのに。
切らさないようにと買い続けてきた、お弁当用のギザギザカップのアルミホイル。
こちらも、もう不要だろうと、普段の料理で使って、残りの処分を始めていたところだったのに。

そうか、まだ使うのか。

長男、二男、長女と、それぞれ中学から、弁当が必要になった。

私の仕事が忙しい期間だけでも、菓子パン二つに紙パックの野菜ジュースという弁当にさせてもらえないか。
長男は、それでもいいよと受け入れてくれた。
しかし、二男はどうしても米が食べたいと主張し、長女は周りの目が気になるので、パンは恥ずかしいと訴えた。

乗り越えてきた、家族の中の小さな山。
弁当作りにさへ、幾つもあったのだ。

「気きをつけて」
玄関先で、長女がニコリと、手を振る。

妻が作ってくれた、家族の習慣。
おかげで、ここまでやってこれた。
少しずつエネルギーを分けてもらって、何とか日々を乗り越えてきた。
そうして、どうにかこうにか、この朝まで漕ぎ着けることができたのだ。

仕事の方は卒業だ。
そうか。しかし、弁当作りは、留年か。

そんなことを考えながら、最後の職場の一日へと向かった。

2025年3月某日

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