遂に、この朝がきた。
退職の日の、朝が。
出かけようとする私のことを、長女が、玄関先まで見送りに出てきてくれた。
ただし、これは、いつもの習慣。
家族の誰かが出かけるときは、玄関で見送るという、家族の中のしきたり。
亡くなった妻が、定着させたルールである。
妻の実家でも、妻が小さかった頃、必ずそうしていたらしい。
仕事に出る義父のことを、義母と子供達とで朝、きまって送り出すセレモニー。
専業主婦だった義母が、そうしていたのは、働く義父に気を使ってのことだろう。少し悪く言えば、昔ながらの男尊女卑のなごり。はじめ、私はそんなふうに、軽く考えていた。
しかし、あるとき妻から聞いた義母の気持ちは、ずっと深いものだった。
繰り返し津波の悲劇に見舞われた、その土地だからこその、素朴に根付いた哲学・・・だったのかもしれない。
義母は、こんな言い方で、その意味するところを、よく妻に説明していたらしい。
「だって、それでお別れになるかもしれないのよ。」
子供達が小さかった頃、妻は三人の子供を促して、朝、玄関先に出てきて、必ず私を送り出した。
一人一人と軽くハグもして、私は職場へと向かった。
妻の体調が急に下がっていた、ある朝。
私の右頬に伝わった、妻の右頬の氷のような冷たさ。
はっと、胸を刺したその感触。
今でもときどき思い出す。
妻が亡くなった後も、その家族のルールだけは残った。
毎朝、一足早く、職場へ向かう私のことを、三人の子供達が、玄関先で見送ってくれた。
反抗期もあったはずだが、長男や二男も、その習慣を崩すことはなかった。
もっとも、大学生になって、朝食を抜く、気ままな生活が始ってからは、流石に、見送りのためだけに起きてくる、ということはなくなったのだが。
今、私の朝の見送りは、長女だけの役割になっている。
そして、今日。
私が、出ようとすると。
長女が、えへへ、一つお願いがあるんだけど、と話しかけてきた。
これから通う大学には、学食がない。近くに、お店自体は沢山ある。
しかし、高い。友達はお弁当を持ってくるつもり、と言っている。
申し訳ないんだけど、4月からも、また作ってもらえないだろうか、と。
なに。
つい、このあいだ、これで弁当作りから解放されるのか。と、そんな感慨にふけりながら、高校の登校日に、最後の弁当を持たせてあげたところだったのに。
切らさないようにと買い続けてきた、弁当用のギザギザカップのアルミホイル。
こちらも、もう不要だろうと、普段の料理で使って、残りの処分を始めていたところだったのに。
そうか、まだ使うのか。
長男、二男、長女と、それぞれ中学から、弁当が必要になった。
私の仕事が集中して、どうにもきつくなる期間だけ、菓子パン二つに紙パックの野菜ジュースという弁当にさせてもらえないだろうか。と、そんなことを、私から、子供達に提案したことがあった。
長男は、それでもいいよと受け入れてくれた。
しかし「食」にこだわりのある、二男はどうしても米が食べたいと主張した。
長女は周りの目が気になるので、パンは恥ずかしい、と訴えた。
思えば、弁当作りにさへ、越えてきた小さな山が、幾つもあった。
「気きをつけて」
玄関先で、長女がニコリと、手を振った。
妻が作ってくれた、家族の習慣。
おかげで、ここまでやってこれた。
少しずつエネルギーを分けてもらって、何とか日々を乗り越えてきた。
そうして、どうにかこうにか、この朝まで漕ぎ着けることができたのだ。
仕事の方は卒業だ。
そうか。しかし、弁当作りは、まだ続くのか。
そんなことを考えながら、最後の職場の一日へと向かった。
2025年3月某日
