朝、カーテンを開けると、雪景色だった。
白い街並みに変わっていた。
子供の頃。
胸騒ぎを感じて、カーテンを開けると、一面の銀世界。
時々、そんな、冬の朝があった。
目が覚めて、瞬間、何を感じていたのか。
それは「奇妙な静けさ」なのだ。
音がしない、という不思議な気付き。
メルヘンな思い出かと思いきや、実は、科学的な理屈がある。
雪は、音の振動を吸収するのである。
空気を多く含む、ふわふわとした新雪が特に。
雪に覆われた街並みを眺めながら、記憶を辿る、そんな詩的な気分。
しかし、それは、直ぐに覚めた。
昨夜、長女から、天候が悪そうだから、大学まで送ってほしい。
そう、頼まれていたことを思い出したからだ。
こんな本格的な雪になるとは思っていなかった。大変だ。急いで準備しないと。
長男と二男は、今年、家から出て、一人暮らしをはじめた。
それぞれに、自動車で通勤している。
先般、ようやく冬タイヤに交換した、という話しは聞いた。
雪になる前に、もう少し、教えてあげたいことがあった。悔やまれる。
雪国に暮らす我々にとっても、シーズン最初の積雪の運転は、やはり緊張する。
そのため、朝、往々にして大渋滞となる。
数日もすれば、みんな毎年のカンを取り戻し、再び流れはムーズになるのだが。
雪道の運転にも、いくつかコツがある。
直進しているうちは、基本、滑らない。
多少滑ったとしても、車間距離を取っていれば、直ぐに止まるから大丈夫。
危険なのは、慌ててハンドルを切り、車体が斜めになることなのだ。
角度がついて滑り出すと、とたんに制御が効かなくなる。
滑りはじめた方と、逆にハンドルを切って立て直すという方法はあるが、これは最後の手段。
思えば、積雪初日の朝の混乱は、亡くなった母親が、よく言っていた話しだった。
だから、早く家を出なさいね、と。
雪道の運転の仕方は、父親が教えてくれた理屈である。
私からも、一つ、息子達に教えたい話しがあった。
仕事を終え、車で家にもどった夜。これからは、ワイパーを立てて、車を離れる癖をつけるべき。
そうしないと、翌朝、ワイパーが凍ってくっついて、中々出発できない事態に陥るのだ。
簡単な朝食を、長女と食べ、とにかく家を出た。
家の前の道路から、既に、渋滞が始っていた。
しかし、少しずつ進んではいる様子。
とろとろと運転しながら、長女に、シーズン始めは、皆慣れずに混むという、おばあちゃん譲りの話しをした。ついでに、私みたいな親バカが増えて、ますます道が混雑するようになった、との理屈も付け加えた。長女も笑って、聞いていた。
そんな、話しをしながらも。
ワイパーの事にしても、一度自分で痛い目を見ないと、本気にならないかもな、とも思った。
必要な情報が、子供の記憶に残るかは、結局、タイミング次第、なのかもしれない。
先日、車で長女と二人、遠出をしていたとき。
長女が話す、友達とのエピソードを聞いているうちに、ふと、長女は、他人の心の動きを理解する、ということが出来ているのだろうか、と気になりだした。
古典文学などを、ちゃんと読み取れているかどうかで、それが測れるのではないか。
運転しながら、国語の教科書にあった、小説や詩などで、心をうごかされたり、記憶に残っているものはないか、と聞いて見た。
すると、「詩は、大嫌い」という答えだけ。
長女は、韓国の男性アイドルや、メッセージ性の強い、日本の女性ダンスグループなどが好きで、熱心に聞いている。動画などもよく見ている。
アイドルはともかくとしても、個性的なガールズグループに夢中なのは、歌詞や、そのパフォーマンスが発信している、メッセージに共感しているからなのではないか。
メロディーやリズムの有無という違いはある。
しかし、有名な詩や、文学、或いは絵画などの芸術が、長く愛されてきたのは、その強いメッセージが多くの人の心に刺さったから。本質的には同じこと。
と、私は長女に、そんな理屈を説明した。
反発はなかったが、長女は、いまひとつピンときていない様子だった。
翌日の夕飯の後。
私は、皿洗いをしていた。
長女は、テレビの歌番組を見ていた。
今年、活躍したミュージシャンが紹介されていた。
HANA(ハナ)という女性グループのデビュー曲、ROSE(ローズ)。
その曲にのせて、彼女達が表現しようとしている世界が、短く説明されていた。
挫折や悩みを抱えた彼女達。一人一人は完璧ではない。
しかし、それぞれが自分の強みを武器に、今、花開こうとしている。
ほら、お父さんが、昨日、言いたかったことは、こういうこと。
伝えたいことがあって、皆がそれを受け取ってるでしょ。
台所から声をかけた。長女は、昨日よりは、少し得心した様子だった。
「はは。遅刻しないで、着いてしまった。」
長女が、少しほっとして、言った。
大学まで、混雑は続いていたが、結局、遅れることなく到着できた。
私が仕事をしていた頃は、完全ワンオペの我が家であるから、雨の日雪の日、三人の子供達は、自力で登校するしかなかった。
その時々で、やれることもあれば、無理なこともある。
子供達が困らないように、可能な限りアドバイスしておきたい。
しかし、一度にあれこれ言われても嫌だろう。記憶にも残るまい。
そんなことを考えて、こうしてブログを書き始めた。
子供達が、その気になったら、読めるようにと。
ネットという、全世界を経由した、最も、遠回りの手紙にして。
僅か数秒で届いているはずなのに、気が付かなければ、或いは、読む気にならなければ、いつまでたっても届かない、不思議な手紙にして。
「じゃ、いってきます。」
青空に光る、雪景色のまち。
車を降り、学校へ向かう長女の姿がバックミラーに映った。
足の裏全体を地面に付けて、膝に、遊びをもたせるペンギン歩き。
思えば、私が教えた歩き方だ。多少滑ったとしても、転びはしない歩き方。
上手に、白い道路をわたっていった。
2025年12月某日
