№84 雪道の歩き方(HANA『ROSE』に想う)

ちちプロ

朝、カーテンを開けると、雪景色だった。
白い街並みに変わっていた。

子供の頃。
胸騒ぎを感じて、カーテンを開けると、一面の銀世界。
時々、そんな、冬の朝があった。

目が覚めて、瞬間、何を感じていたのか。

それは「奇妙な静けさ」なのだ。
音がしない、という不思議な気付き。

メルヘンな思い出かと思いきや、実は、科学的な理屈がある。

雪は、音の振動を吸収するのである。
空気を多く含む、ふわふわとした新雪が特に。

雪に覆われた街並みを眺めながら、記憶を辿る、そんな詩的な気分。
しかし、それは、直ぐに覚めた。

昨夜、長女から、天候が悪そうだから、大学まで送ってほしい。
そう、頼まれていたことを思い出したからだ。

こんな本格的な雪になるとは思っていなかった。大変だ。急いで準備しないと。

長男と二男は、今年、家から出て、一人暮らしをはじめた。
それぞれに、自動車で通勤している。
先般、ようやく冬タイヤに交換した、という話しは聞いた。

雪になる前に、もう少し、教えてあげたいことがあった。悔やまれる。

雪国に暮らす我々にとっても、シーズン最初の積雪の運転は、やはり緊張する。
そのため、朝、往々にして大渋滞となる。
数日もすれば、みんな毎年のカンを取り戻し、再び流れはムーズになるのだが。

雪道の運転にも、いくつかコツがある。
直進しているうちは、基本、滑らない。
多少滑ったとしても、車間距離を取っていれば、直ぐに止まるから大丈夫。

危険なのは、慌ててハンドルを切り、車体が斜めになることなのだ。
角度がついて滑り出すと、とたんに制御が効かなくなる。
滑りはじめた方と、逆にハンドルを切って立て直すという方法はあるが、これは最後の手段。

思えば、積雪初日の朝の混乱は、亡くなった母親が、よく言っていた話しだった。
だから、早く家を出なさいね、と。
雪道の運転の仕方は、父親が教えてくれた理屈である。

私からも、一つ、息子達に教えたい話しがあった。
仕事を終え、車で家にもどった夜。これからは、ワイパーを立てて、車を離れる癖をつけるべき。
そうしないと、翌朝、ワイパーが凍ってくっついて、中々出発できない事態に陥るのだ。

簡単な朝食を、長女と食べ、とにかく家を出た。

家の前の道路から、既に、渋滞が始っていた。
しかし、少しずつ進んではいる様子。

とろとろと運転しながら、長女に、シーズン始めは、皆慣れずに混むという、おばあちゃん譲りの話しをした。ついでに、私みたいな親バカが増えて、ますます道が混雑するようになった、との理屈も付け加えた。長女も笑って、聞いていた。

そんな、話しをしながらも。
ワイパーの事にしても、一度自分で痛い目を見ないと、本気にならないかもな、とも思った。

必要な情報が、子供の記憶に残るかは、結局、タイミング次第、なのかもしれない。

先日、車で長女と二人、遠出をしていたとき。
長女が話す、友達とのエピソードを聞いているうちに、ふと、長女は、他人の心の動きを理解する、ということが出来ているのだろうか、と気になりだした。

古典文学などを、ちゃんと読み取れているかどうかで、それが測れるのではないか。

運転しながら、国語の教科書にあった、小説や詩などで、心をうごかされたり、記憶に残っているものはないか、と聞いて見た。

すると、「詩は、大嫌い」という答えだけ。

長女は、韓国の男性アイドルや、メッセージ性の強い、日本の女性ダンスグループなどが好きで、熱心に聞いている。動画などもよく見ている。

アイドルはともかくとしても、個性的なガールズグループに夢中なのは、歌詞や、そのパフォーマンスが発信している、メッセージに共感しているからなのではないか。

メロディーやリズムの有無という違いはある。
しかし、有名な詩や、文学、或いは絵画などの芸術が、長く愛されてきたのは、その強いメッセージが多くの人の心に刺さったから。本質的には同じこと。
と、私は長女に、そんな理屈を説明した。

反発はなかったが、長女は、いまひとつピンときていない様子だった。

翌日の夕飯の後。
私は、皿洗いをしていた。

長女は、テレビの歌番組を見ていた。
今年、活躍したミュージシャンが紹介されていた。

HANA(ハナ)という女性グループのデビュー曲、ROSE(ローズ)。
その曲にのせて、彼女達が表現しようとしている世界が、短く説明されていた。

挫折や悩みを抱えた彼女達。一人一人は完璧ではない。
しかし、それぞれが自分の強みを武器に、今、花開こうとしている。

ほら、お父さんが、昨日、言いたかったことは、こういうこと。
伝えたいことがあって、皆がそれを受け取ってるでしょ。

台所から声をかけた。長女は、昨日よりは、少し得心した様子だった。

「はは。遅刻しないで、着いてしまった。」

長女が、少しほっとして、言った。
大学まで、混雑は続いていたが、結局、遅れることなく到着できた。

私が仕事をしていた頃は、完全ワンオペの我が家であるから、雨の日雪の日、三人の子供達は、自力で登校するしかなかった。

その時々で、やれることもあれば、無理なこともある。

子供達が困らないように、可能な限りアドバイスしておきたい。
しかし、一度にあれこれ言われても嫌だろう。記憶にも残るまい。

そんなことを考えて、こうしてブログを書き始めた。
子供達が、その気になったら、読めるようにと。

ネットという、全世界を経由した、最も、遠回りの手紙にして。
僅か数秒で届いているはずなのに、気が付かなければ、或いは、読む気にならなければ、いつまでたっても届かない、不思議な手紙にして。

「じゃ、いってきます。」

青空に光る、雪景色のまち。
車を降り、学校へ向かう長女の姿がバックミラーに映った。

足の裏全体を地面に付けて、膝に、遊びをもたせるペンギン歩き。
思えば、私が教えた歩き方だ。多少滑ったとしても、転びはしない歩き方。

上手に、白い道路をわたっていった。

2025年12月某日

 

 

アーカイブ
ちちプロ