№65 コンサート(エリック・クラプトン『Tears in Heaven』)

ちえプロ

日曜日。
長女が、服を買ってほしいという。

大学の実習で、シンプルな白いシャツが必要になる。
遊び着ではないので、買ってもらえないか、との理屈。

午後、車で、郊外のファストフアッションの店へと向かった。
そこなら、それらしいものがきっとあるだろう。

FMラジオを聞きながらの運転。
その時間帯、長女は、ヒット曲のカウントダウン番組を聞きたがる。

番組の途中、男性DJが、あるコンサートを見てきた、と話し始めた。
それは、数年ぶりのエリック・クラプトンの日本武道館での公演。
国内を移動することはなく、武道館でだけ、数日間、連続して行うスタイル。

先般、私も、東京まで出かけて、そのコンサートを見てきた。
洋楽好きの従兄弟がチケットを押さえてくれて、遊びに来いと、さそってくれたのだ。

ほどなくファストフアッションの店まで、着いてしまった。
長女には悪いが、駐車場に車を止め、区切りが付くまで、ラジオを聞かせてもらうことにした。
それは、ある『因縁』に、そろそろ観念して向き合おう。
そんな気持ちから、だったのだ。

そのDJは、コンサートの様子を簡潔に、そして上手に説明していた。
ヤードバーズ時代の、古い曲から始めたこと。
やはりブルースが多かったこと。
途中、一旦、アコースティックなセッティングに模様替えしたこと。
その中で、ティアーズ・イン・ヘヴンを演奏したこと。

続けて、ティアーズ・イン・へヴンの説明に移った。
40代の頃、4歳の長男が高層マンションから転落死した。
この悲しみを乗り越えるため作った曲。
公表するかどうか迷いつつ世に出した。
結果、自身の癒やしにもなり、最大のヒット曲ともなった。
80歳となった今、また違う思いもあるのではないか。
オリジナルよりテンポの速いアレンジだったが、深い気持ちが伝わってきた。

そして、ラジオではティアーズ・イン・ヘヴンが流れた。

私には、この曲に、長い間、胸につかえてきた、一つの思い出があるのだ。
それは、間抜けで、少しかっこ悪い話し、なのである。

私が、亡くなった妻と出会ったのは、沿岸部の、小さな都市だった。
付き合い始めてすぐ、初めてのドライブにでかけた。
海沿いの道路を、どんどん南下することにした。天気の良い一日だった。

まだ、お互いに相手をよく知らず、探り探りのころのこと。
付き合いが深まるかどうか、まだ分からないというような段階だった。

ドライブでかけるのは、当たり障りのない曲がよいだろう。
私は、そんなことを考えて、手元にあった、エリック・クラプトンのCDを選んだ。
それが「アンプラグド」だった。

エリック・クラプトンに詳しいわけでもなかった。
当時流行っていたこともあり、なんとなく買ったCDだったが、ティアーズ・イン・ヘヴンは気に入って、よく何度も聞いていた。

どちらが先に言い出したか忘れたが、ティアーズ・イン・ヘヴンが流れた時、私もこの曲好きなのよ、と彼女と意見が一致したのだ。

その瞬間、運転しながら、彼女の方をちょっと見た。
その向こうで輝く青い海と一緒に、映像として、今も記憶に残っている。

結婚式の準備を進めていたころ、私が配属されていたのは、連日、残業が続く職場だった。
休日出勤も普通にあって、式場との打ち合わせも、ままならなかった。

何点か、早く決めなければならないポイントがあった。
その一つが、披露宴での新郎新婦の入場曲をどうするか、だった。

司会を頼んだフリーの女性アナウンサーから、二人の思い出の曲を選んで欲しい。そんなオーダーを受けていた。

何とか時間をあわせて、直接打ち合わせを行った際、私は、二人の思い出と言えばティアーズ・イン・ヘヴンであることを説明した。

同時に、二人ともクラプトンに詳しい訳でもなく、英語の意味も良くわからない。ティアーズ(涙)だ、ヘヴン(天国)だでは、どうにも縁起の悪い歌詞なのではないか、気になって、不安である。
と、率直にそんな気持ちも伝えた。

しかし、そこは百戦錬磨のベテラン女性アナ。
二人の思い出が大事です、後で確認もしておくけど、気にしなくて大丈夫よ、と話しを進めてくれたのである。
引き出物など、他にも、決めるべき事が、まだまだ沢山あったのだ。

式の後少しして、偶然、地元のラジオ番組から流れる、ティアーズ・イン・ヘヴンを耳にした。
それは、私達が式を挙げたホテルが、提供しているラジオ番組だった。
式が行われたことの紹介とともに、新郎新婦入場の曲をかけるというコーナーだった。

私達二人の名前がラジオでながれ、ティアーズ・イン・ヘヴンがかかった。

よくこんな縁起でも無い曲をえらんだものだ。歌詞の意味を知らなかったのではないか。
ラジオを聞いて、眉をひそめた人もいるのではないか。
そんな想像をして、恥ずかしかった。やっちゃったかも、と。

妻が亡くなり、何年かたって、ようやくコナー君の転落死の経緯を知った。

曲ができた背景などを、二人で十分に納得して、披露宴の曲として選んだのならまだしも。
気になりつつ、それでも歌詞の意味をよく調べもせず、門出の曲に選んでしまって。
そんなことだから、後々、家族の不幸を引き寄せることにもつながったのだ。

信心深い、親戚の年寄り達なら、或いは、そう思う人もいるのではないか。
よく、そんなことも考えた。

もっとも、クラプトンに詳しそうな、じいさんやばあさんは、周りには、一人もいなかったのだけれど。

武道館のコンサート。
この曲がはじまったら、号泣してしまうのではないか。少し心配していた。

しかし、拍子抜けするくらい、テンポの速い、明るいアレンジだった。

その後、日本のテレビのインタビューで、クラプトンが、息子を忘れないためにこの曲を歌っているのだと、ごくあっさり答えている場面を見かけた。

少し、わかるような気もした。

私もこうして、引きずってきた思い出を、軽い文章にして、こっそり吐き出そうとしている。
それは時間がたったからなのだ。同時に、時間がたっても忘れたくないからなのだ。

改めて歌詞を見ると、やはり因縁めいている。
どうして、結婚式の曲に選んでしまっただろう。
どうして、初めてのデートで、二人顔を見合わせる曲になったのだろう。

日本語に訳そうと、言葉を選んでいると、今の私の気持ちそのものに近付いてくる。
誰にでもあてはまる、亡くなった人を思う曲。
そういうことなのかもしれない。

Would you know my name・・・私の名前を覚えていてくれるだろうか、
If I saw you in heaven?  ・・・もし、私が君と天国で会えたなら。

Would it be the same ・・・昔のまま、変わらない姿なのだろうか、
If I saw you in heven? ・・・もし、私が君と天国で会えたなら。

Beyond the door,  ・・・このドアの向こう、
There’s peace I’m sure, ・・・平和な場所が、きっとある。
And I know there’ll be no more ・・・そして私は知っている。もう必要がないことを、
Tears in heaven.         ・・・涙は、この天国では。

どこかへ昇っていく、この感じ。
一言でおきかえるなら、きっとそれは「昇華」という言葉になるのだと思う。

2025年5月某日

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