日曜日。
長女が、服を買ってほしいという。
大学の実習で、シンプルな白いシャツが必要になる。
遊び着ではないので、買ってもらえないか、との理屈。
午後、車で、郊外のファストフアッションの店へと向かった。
そこなら、それらしいものがきっとあるだろう。
FMラジオを聞きながらの運転。
その時間帯、長女は、ヒット曲のカウントダウン番組を聞きたがる。
番組の途中、男性DJが、あるコンサートを見てきた、と話し始めた。
それは、数年ぶりのエリック・クラプトンの日本武道館での公演。
国内を移動することはなく、武道館でだけ、数日間、連続して行うスタイル。
先般、私も、東京まで出かけて、そのコンサートを見てきた。
洋楽好きの従兄弟がチケットを押さえてくれて、遊びに来いと、さそってくれたのだ。
ほどなくファストフアッションの店まで、着いてしまった。
長女には悪いが、駐車場に車を止め、区切りが付くまで、ラジオを聞かせてもらうことにした。
それは、ある『因縁』に、そろそろ観念して向き合おう。
そんな気持ちから、だったのだ。
そのDJは、コンサートの様子を簡潔に、そして上手に説明していた。
ヤードバーズ時代の、古い曲から始めたこと。
やはりブルースが多かったこと。
途中、一旦、アコースティックなセッティングに模様替えしたこと。
その中で、ティアーズ・イン・ヘヴンを演奏したこと。
続けて、ティアーズ・イン・へヴンの説明に移った。
40代の頃、4歳の長男が高層マンションから転落死した。
この悲しみを乗り越えるため作った曲。
公表するかどうか迷いつつ世に出した。
結果、自身の癒やしにもなり、最大のヒット曲ともなった。
80歳となった今、また違う思いもあるのではないか。
オリジナルよりテンポの速いアレンジだったが、深い気持ちが伝わってきた。
そして、ラジオではティアーズ・イン・ヘヴンが流れた。
私には、この曲に、長い間、胸につかえてきた、一つの思い出があるのだ。
それは、間抜けで、少しかっこ悪い話し、なのである。
私が、亡くなった妻と出会ったのは、沿岸部の、小さな都市だった。
付き合い始めてすぐ、初めてのドライブにでかけた。
海沿いの道路を、どんどん南下することにした。天気の良い一日だった。
まだ、お互いに相手をよく知らず、探り探りのころのこと。
付き合いが深まるかどうか、まだ分からないというような段階だった。
ドライブでかけるのは、当たり障りのない曲がよいだろう。
私は、そんなことを考えて、手元にあった、エリック・クラプトンのCDを選んだ。
それが「アンプラグド」だった。
エリック・クラプトンに詳しいわけでもなかった。
当時流行っていたこともあり、なんとなく買ったCDだったが、ティアーズ・イン・ヘヴンは気に入って、よく何度も聞いていた。
どちらが先に言い出したか忘れたが、ティアーズ・イン・ヘヴンが流れた時、私もこの曲好きなのよ、と彼女と意見が一致したのだ。
その瞬間、運転しながら、彼女の方をちょっと見た。
その向こうで輝く青い海と一緒に、映像として、今も記憶に残っている。
結婚式の準備を進めていたころ、私が配属されていたのは、連日、残業が続く職場だった。
休日出勤も普通にあって、式場との打ち合わせも、ままならなかった。
何点か、早く決めなければならないポイントがあった。
その一つが、披露宴での新郎新婦の入場曲をどうするか、だった。
司会を頼んだフリーの女性アナウンサーから、二人の思い出の曲を選んで欲しい。そんなオーダーを受けていた。
何とか時間をあわせて、直接打ち合わせを行った際、私は、二人の思い出と言えばティアーズ・イン・ヘヴンであることを説明した。
同時に、二人ともクラプトンに詳しい訳でもなく、英語の意味も良くわからない。ティアーズ(涙)だ、ヘヴン(天国)だでは、どうにも縁起の悪い歌詞なのではないか、気になって、不安である。
と、率直にそんな気持ちも伝えた。
しかし、そこは百戦錬磨のベテラン女性アナ。
二人の思い出が大事です、後で確認もしておくけど、気にしなくて大丈夫よ、と話しを進めてくれたのである。
引き出物など、他にも、決めるべき事が、まだまだ沢山あったのだ。
式の後少しして、偶然、地元のラジオ番組から流れる、ティアーズ・イン・ヘヴンを耳にした。
それは、私達が式を挙げたホテルが、提供しているラジオ番組だった。
式が行われたことの紹介とともに、新郎新婦入場の曲をかけるというコーナーだった。
私達二人の名前がラジオでながれ、ティアーズ・イン・ヘヴンがかかった。
よくこんな縁起でも無い曲をえらんだものだ。歌詞の意味を知らなかったのではないか。
ラジオを聞いて、眉をひそめた人もいるのではないか。
そんな想像をして、恥ずかしかった。やっちゃったかも、と。
妻が亡くなり、何年かたって、ようやくコナー君の転落死の経緯を知った。
曲ができた背景などを、二人で十分に納得して、披露宴の曲として選んだのならまだしも。
気になりつつ、それでも歌詞の意味をよく調べもせず、門出の曲に選んでしまって。
そんなことだから、後々、家族の不幸を引き寄せることにもつながったのだ。
信心深い、親戚の年寄り達なら、或いは、そう思う人もいるのではないか。
よく、そんなことも考えた。
もっとも、クラプトンに詳しそうな、じいさんやばあさんは、周りには、一人もいなかったのだけれど。
武道館のコンサート。
この曲がはじまったら、号泣してしまうのではないか。少し心配していた。
しかし、拍子抜けするくらい、テンポの速い、明るいアレンジだった。
その後、日本のテレビのインタビューで、クラプトンが、息子を忘れないためにこの曲を歌っているのだと、ごくあっさり答えている場面を見かけた。
少し、わかるような気もした。
私もこうして、引きずってきた思い出を、軽い文章にして、こっそり吐き出そうとしている。
それは時間がたったからなのだ。同時に、時間がたっても忘れたくないからなのだ。
改めて歌詞を見ると、やはり因縁めいている。
どうして、結婚式の曲に選んでしまっただろう。
どうして、初めてのデートで、二人顔を見合わせる曲になったのだろう。
日本語に訳そうと、言葉を選んでいると、今の私の気持ちそのものに近付いてくる。
誰にでもあてはまる、亡くなった人を思う曲。
そういうことなのかもしれない。
Would you know my name・・・私の名前を覚えていてくれるだろうか、
If I saw you in heaven? ・・・もし、私が君と天国で会えたなら。
Would it be the same ・・・昔のまま、変わらない姿なのだろうか、
If I saw you in heven? ・・・もし、私が君と天国で会えたなら。
There’s peace I’m sure, ・・・平和な場所が、きっとある。
And I know there’ll be no more ・・・そして私は知っている。もう必要がないことを、
Tears in heaven. ・・・涙は、この天国では。
どこかへ昇っていく、この感じ。
一言でおきかえるなら、きっとそれは「昇華」という言葉になるのだと思う。
2025年5月某日