その日は朝から雨だった。
平日に取った休みの一日。
普段は自転車で通学している娘を、たまには、と車で高校まで送り届けた。
車なら10分程度。近い。
ワンオペの我が家であるから、雨の日雪の日、急に車を出してあげるというわけにはいかない。
あくまでも私の仕事が優先だ。
子供達には、自力で通える学校を、それぞれ選択してもらってきている。
ワイシャツに汗がしみるのを気にする娘は私がたまに車で送ることが出来る朝を素直に喜ぶ。
思春期のギスギスしたやり取りを経ないで済むのは、それだけでありがたいことかもしれない。
娘を送り届け、私はそのまま近くにある市役所の出張所へと向かう。
私が今後、早期退職したとして、その後、どうなるのか不安なことが幾つかある。
メンタル的なこと、日々の心の持ちようはどうなるのだろうか、ということもあるが、税金や社会保険料など、制度的な話しからくる経済的な不安も多い。
その一つが国民健康保険。
一度、市役所の窓口で聞いてみるほうが良い。
地元の出張所が混雑も少なくて、ゆっくり聞けるのではないか。
そう考えて、前々から機会をうかがっていたものである。
こぢんまりとした建物に入る。
何を、どう聞くか。
不意に不安がよぎって、取り敢えずトイレに向かう。
鏡の中の、くたびれた私服姿の自分が目に入る。
休職中の人。所属を失った人。
社会の中で、演ずべき役割をなくした人。
そんなフレーズが頭をよぎる。
やはり、早期退職は、間違いなのだろうか。
休日だった昨日、妹と喧嘩してしまった。
喧嘩というより、こちらが腹を立て、近所の妹の家から急に帰ってきてしまったものである。
せっかくの花見の時期の恒例の、妹の家での食事会だったのに。
数年前、妹夫婦が戸建ての新居を構えた年から始まった行事。
はじめの数年は、妹夫婦と、我々の両親、そして私と私の子供三人がメンバーだった。
広めに作った二階のベランダで、バーベキューなどをしてきた。
すぐ隣の公園の、満開の桜を眺める時期に。
今、父は亡くなり、母は施設へと去った。
私の子供達も、それぞれ予定が合わないことが多くなった。
今年は、私と長女の二人での参加。
休日の昼下がり、妹夫婦が用意してくれた料理をご馳走になった。
私が持ち込んだビールと一緒に。
酒好きの妹も、大分酔いがまわった頃、なぜ早期退職なのか、という話しになった。
次第に妹の言葉も遠慮が無くなった。
あと数年頑張って、60歳で辞めてからでは何故だめなの?
「辞める、辞める詐欺」じゃないでしょうね。
昔、蓮舫さんがスーパーコンピューター「京(けい)」の開発計画に対して叫んだ質問、なぜ世界第二位では駄目なんですか、を彷彿とさせる。
突き詰めれば、答えはそれだけ今の生活がしんどいから、ということかもしれない。
楽しくて、ばりばり働けているなら、早期退職を思うはずはない。
そもそもは、妻が亡くなった後、どうか、静かにぼんやり「悲しませて」欲しい。
そう、ずっと思い続けてきた。
しかし、それは叶わなかった。
全力で走り続けざるを得なかった。
他に生活を支える手段が思いつかなかったから。
見えてきた幹部の中のポジション争いの窮屈さという事情もある。
来年また異動のタイミングとなる。
次の人事でも本部に残れば、新たに覚えなければならない過酷な仕事がまっている。
一方で、同じ世代に大勢人が詰まってもいる。
本流のラインから外れる可能性も高い。
プレッシャーは減るがそれで良いのか。
複雑な気持ちは否めない。
妻の死後、心と体を休めたい、疲れた、と単純に考える一方で、退職後、一人になる自分の人生をどう、まっとうしたらよいだろうか。いかにデザインすべきか。
そういう問いも、自分の中に常にあった。
投資と副業の組み合わせの中に、ようやく一つの答えが見つかりかけている。
人生や働くことに、諦めかけていた「楽しさ」に対する期待もある。
試してみたい。
こんな、長い月日の中で堆積した思い。
その時、とても順序立てて妹に説明する気持ちにはなれず、つい腹を立て、口をついて出た言葉が、我ながら幼稚にも「もう帰る」だったのだ。
宴席もそろそろ潮時で、妹も、飲んで出来上がってきていたから、帰る頃合いではあった。
ただ、急に家を出て歩き出してしまった私を、あわてて追いかけてきた長女には悪いことをした。
人がカッとなるのは、自分でも薄々思っていることを言われたとき。
或いは、無意識の期待が裏切られたとき。
今回は、多分両方だったと思う。
60歳を区切りにすべきか、とは私自身、散々迷っていることである。
シングルファザーとして、これまで良く頑張った。もう十分。
そう言ってもらいたかったのかもしれない。
「小さな村の物語イタリア」というテレビ番組がある。
私はと言えば、年に一度の、妹宅での会食すら後味の悪いものにしてしまった。
しかし、番組の中では、必ず、家族や親族で楽しく食卓を囲むシーンが出てくる。
歴史を経つつも、リフォームしながら使い続ける、芸術品のような美しい街並み。
お互いのつながりの中で暮らす人々。家族。
長い歴史の末にたどり着いた「幸福の法則」のようなものがあるのではないかと感じている。
少し迷ってから、市役所の窓口に向かう。
若い男性の職員が対応に出てくる。
少し込み入った質問になると、ここは受け付けだけなので、そのあたりは本庁舎の方の専門の窓口で聞いて欲しい、となる。
しかし、基本的には丁寧な受け答え。
背伸びした感じが微笑ましくもある。
我が家の長男も、職場できっとこんな調子なんだろうな、とふと思う。
社会の中で求められるキャラクターを一生懸命に演じているはず。
パンフレットもくれた。ありがたい。
余裕もないからだろうが、会社を辞めようというおじさんを相手に胡散臭がるような素振りは見せない。
何となく、少しほっとする。
違う世界、新しいこと。
悪くないかもしれない。
お礼を伝え、窓口を後にする。
「もう三年頑張ったら」
どこからか妹の声が聞こえてくるようだ。
妹には申し訳ないが、取り敢えずここでまとめるとすれば、こうなるだろう。
「それは余計なお世話!」
2024年4月某日
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