その日、私は、一人、車でM市へ向かった。
ずっと気になっていた、宿題が二つあったからだ。
M市は、海に面した港町。
若い頃、三年ほど働いた町。
そして、亡くなった妻と、出会った町である。
今、妻の実家の一軒家には、まもなく九十になる義父が一人、暮らしている。
義父の日常も、いよいよ、のっぴきならないものになっている。
とっくに介護保険を使って、施設に移るべきステージに入っている。
しかし、独特の頑固さがあって、周りの勧めを受け入れず、無理な生活を続けている。
私の妻は、三人兄妹の末っ子だった。一番上の長男、真ん中の長女、そして妻。
真ん中の、義姉は、二十年ほど前に、事故で亡くなってしまっている。
その数年後、義母がガンで亡くなり、まもなく私の妻も逝った。
三人兄妹のうち、一人残った義兄は、今、遠い街に、家族と一緒に住んでいる。
心優しい義兄である。
実家で一人暮らす、父親を、心から案じている。
しかし、義父の頑固さと、自分の仕事と、そして奥さんとの関係性の中で、現状を動かすことが出来ずにいる。
同居が無理なら、義父を説得して、施設に移るようにすべきではないか。
私も含め、端(はた)からは、そう見えている。
私と子供達は、妻が亡くなった後も、年に数回、義父のところに顔を出してきた。
義父は、子供好き。私の子供達もよくなついている。
訪ねる時は、義父に負担をかけないように、必ず近くに宿を取った。
夕方会って、市内の寿司屋で、義父に寿司をごちそうになる、というのが恒例だった。
私と義父は酒を飲み、子供達は、海の町のネタの良い寿司に、いつも皆、喜んだ。
そんな形になったのは、一人暮らしで掃除が行き届かない家の様子を、私に、とくに孫達に見せたくないという、義父の気持ちを察したからだった。
義父の家は、坂の上にある。
数年が過ぎ、義父が、まちの寿司屋まで、歩いて降りてくる、ということも難しくなった。
いつしか、義父の家への訪問は、我々が車で、坂の上まで行って、窓越しに立ち話をし、日帰りする、というスタイルになった。
日中、不意に訪ねると、小さな庭に面した居間で、義父は、いつもテレビを見ていた。
スポーツ観戦が、何より好きなのだ。
窓の外から声をかけると、義父は、座っていたイスから、何とか立ち上がって、サッシの鍵を開けてくれた。そして、子供達と順に立ち話しをした。
確実に、状況は悪くなっていった。
介護保険で、ヘルパーさんに、週に何度か来てもらっている、ということは聞いていた。
しかし、どうにも義父の話だけでは、はっきりしない。
地元の社協(社会福祉協議会)に寄って、直接、話しを聞いて見た方が良いだろうか。
時間がかかることを覚悟して、子供を連れず、私一人で、訪問してみるべき。
そんな、気がかりを、ずっと抱えてきたのだ。
もう一つ、まったく別の、M市での目的もあった。
それは、昔馴染みの、Tさんと夜、飲むことだった。
Tさんは、今、私も昔務めていた、その地方事務所で管理職として働いている。
私と同世代。単身赴任中。
昔、ある職場で、数年一緒に働いた。
社内ベンチャーの可能性などを、語り合った思い出もある。
私の早期退職の経緯と、今後のプランを、Tさんには、一度ゆっくり説明してみたい。
退職後、なるべく早くその機会を作ろう。
そんな自分への宿題を抱えたまま、いつしか半年が過ぎていたのだった。
午後、一時過ぎ、M市、着。
迷う気持ちを抱えつつ、とにかく義父のところへ向かう。
昔のように、宿を予約してある。
明日も、動く時間がある。状況を確認してから、何をすべきか考えよう。
急な坂を上り、共用の空き地に車を停め、義父の家へ向かう。
路地を入っていくと、直ぐ、小さな庭に面した、居間が見えてくる。
ガラス窓越しに、イスに座ってテレビを見ている義父の姿が見える。
変わらぬ様子を確認し、ようやくホッとする、というのが常(つね)だった。
しかし。
今日は、窓の向こうに、姿がない。どうしたのだろう。
玄関の前に、白い発泡スチロールの箱が置いたままになっている。
おそらく、日々、宅配で届けてもらっているという、一食分の弁当だろう。
病院へ行ったのか。或いは、嫌っていたデイケアに、いよいよ行くことになったのか。
迷いつつ、車の方へ、引き返しかけた。
すると、細い路地を、こちらへ向かってくる、女の人に気が付いた。
四十代位だろうか。ころりとした体型。朝ドラの「あんぱん」で、その頃、さかんに登場していた、初代の「アンパンマン」。人間の顔をした、そのイラストが、ふと頭に浮んだ。
失礼ながら、ちょっと、似ているかも。
いや、いや。そんなことは、ともかく。
「あれ?、もしかして、社協の方ですか?」
一生懸命に話しかけ、私が、怪しいものではないことを了解してもらう。
案の定、義父のところへ向かう、ヘルパーの人だった。
勝手に鍵を使って中に入り、仕事を始めるルールになっているという。
いつも通り、進めてもらうよう促して、私は外から、様子をうかがう。
義父は、居間の隣の部屋に、最近ようやく導入したという、ベッドに横になっていた。
開け放たれた窓から、枕元の、つけっぱなしのラジオが聞こえてきた。
中で、ヘルパーさんが、息子さんが来ているよ、と義父の耳元で話したりしている。
義父は、えっ、誰?、何で入ってこないの?、と何だかわーわーやっている。
義兄と勘違いしているのだろう。
しかたがない。
入りますよ、こんにちは、と大きな声を出し、私も敷居をまたいだ。
中に入るのは、実に、十数年ぶり。
玄関を入ってすぐの、二階の、妻の部屋に向かう階段を見上げると、上のほうまで物が積み重なり、蜘蛛の巣がはっていた。
昔はいつも、妻と子供達と泊まっていた、その部屋。
二階に行かなくなって、どのくらいの時間が経つのだろう。
ベッドに寝たままの義父と話す。
義父は、私に向かって、手を合わせて申し訳ない、と話し出した。
何かと思えば、先般、私の母親が亡くなったことを知っていて、香典も出せずに悪かった、ということらしい。毎日、目を通す、新聞で気付いていたというのだ。
その辺りは、いつもの義父。
言葉を選びながら、施設に移ることを促す。
いつもは手応えがないのだが、今日は素直に聞く気配。
車椅子で、部屋の中を、動き回る導線を確保できた方がよい。トイレだって、ぐっと楽になる。
そんな意見に、明らかに、耳を傾けている。
弱っているのだ。
そう気付くと、何だか、急に胸が詰まった。
ヘルパーさんに話しを振って、どうにか平静を装った。
実際、ヘルパーさんから、聞き出したいことがあった。
市内の施設の様子、混み具合はどうなのか等々。
しかし、限られた時間の中で、こなすべき段取りが多いらしく、忙しそう。
代打で来ただけで、この家のことは良く分からない、というような口ぶり。
義父にも声をかけ、その場は引き上げることにした。
また、来るからね。
宿にチェックインする。小さな町である。
Tさんの勤務する地方事務所や、飲み屋街も、すべて歩いて動ける範囲なのだ。
部屋で一息つき、考える。
義兄に動いてもらうしかない。
昼から寝ていたのは、今日が初めてらしい。しかし、このまま、ベッドから起き上がる気力を無くしたらどうなるのか。間違いなく、急激に衰えるだろう。
そうなれば、一日、一時間半程度の介助で済むわけがない。
玄関前に届いた弁当さへ、取りに出るのが難しくなっているのだ。
義兄に、メールする。
ギリギリの状態。施設に移るよう説得すべき。私からも話したが、今日は、やけに素直だった。
逆に、なんだか泣けてきた、と。
私では無く、私の中に残る、体の中にしみ込んだ、妻が残した原子や、分子のかけらが心配して、泣いているのではないか。そんな想像が、ますます胸を詰まらせた。
勤務時間の終了を見計らい、Tさんと合流する。
Tさんの行きつけの店で、二人で、飲んだ。
開店の時間から、とうとう閉店の時間までいたことになる。
ビールのあと、お勧めの「赤武」という日本酒を飲んだ。評判通り、確かに旨い。
他の日本酒に移りもしたが、結局、何度も、その酒に戻った。
津波を乗り越えた、ドラマのある、酒蔵のお酒である。
翌日、午前中。
迷って、再び義父の家に向かった。とにかく、もう一度顔を見てから、家に戻ろう。
また、寝たままだったらどうするのか。自分は、何か、できるのか。
昨日の話だと、ヘルパーさんは午後の約束らしい。
そうなると、ヘルパーさんの到着まで、外で待つのか。
何も、答えが出ないまま、チェックアウトの後、とにかく向かった。
路地を入ると、誰かが、家の中ですでに掃除などの作業をしている気配が分かった。
ヘルパーさんが、今日は、午前中からきているらしい。
義父は、いつものイスに座って、食事を終えたところ。弁当が空になっている。
窓から声をかけると、奥の、台所の方から、ヘルパーさんも顔をだした。昨日とは違う人。
すらりとスタイルのよい、若い女性。
話しかけると、はきはきと、説明してくれる。
昨日の人と比べ、今日の彼女は、状況を把握している。よく来る人らしい。
その分、義父の難しさも、身に染みている気配。
義父も、昨日とはうってかわって、元気。
朝、義兄から電話もあったらしい。もう少し、頑張れと言われた、というような口ぶり。
義兄も動いてくれたようだ。
しかし、私の、施設の話題には、いつもの薄い反応。
若いヘルパーさんをつかまえて、ヤカンが欲しいと思っている、という話しをしたりしている。
元気なことはなにより。しかし、なんだか、振り出しに戻ったような気分。
忙しそうな台所の奥の、ヘルパーさんにも声をかけ、義父の家を後にした。
帰りの、車の中。
考え事をしながら、一人運転を続ける。
山に挟まれた空を、白く厚い曇がふたをしている。
モヤモヤとした気持ちがぶり返す。
妻の部屋に続く階段の、蜘蛛の巣の映像がフラッシュバックしたりする。
Tさんと飲めたことは良かった。
義父のことも話題にできた。Tさんにしても、数か月前、母親の葬式を出したばかり。
私のビジネスプランも、面白がってくれた。
慎重タイプの私より、自分が先に、何かやることになると思っていたのに、先を越された。
そんな受け止めだった。
一通り、吐き出せたはずなのに、気持ちが晴れない。
この気分の正体は何なのか。
きっと、義父の、この混乱が、どうにもやり切れないからなのだ。
しかし、それは義父への同情ということではなく、寧ろ、自分の問題として。
こうしてブログを書いてみたり、小さなビジネスで、やりがいを作ろうと試みたり。
私は、人生の後半を、何とか、価値のあるものにしようと、日々もがいている。
しかし、そもそも「人生の価値」っていったい何なのか。
人生の終盤を、充実したものにしようだなんて、土台無理な話なのだろうか・・・
運転を続けるうち、ふと、変なことに、気が付いた。
今日、義父はやけに元気だった。
思えば、今日のヘルパーさんは、ちょっと美人さんの、すらりとした若い女性だった。
義父は、親戚に、ヤカンを買ってくるよう伝えてほしい、というような話しを、キリリとした表情で振り向いて、彼女に頼んだりしていた。
昨日の、アンパンマン風の女性のときは、さっぱりやる気を見せなかったのに。
なんだ。そうか。そういうことか。
私も、人のことを、言えた義理では無い。
快活な返事に気分を良くして、ついついあれこれ、話しかけてしまった。
挙げ句に、ちょっと私、仕事があるので、とブツリと会話を中断されて、奥の台所にひっこまれてしまったほど。
昔から、お義父さんも、そうだったな。
寿司屋に、綺麗な感じの女将さんなんかがいると、必ず、粋な感じで、話しかけたりしていたな。
そうと気付くと、何だか少し、深刻ぶるのも、ばからしくなってきた。
騒いで、お義兄さんに、少し、悪いことをしちゃったかも。
見上げれば、ハンドルの向こうの雲間から、青空も見えていた。
或いは、そんなことが、正解なのかもしれない。
何とか、かんとか、ユーモアや、元気のタネを探して、ゴールテープまで走り続ける。
それしか、ないのかもしれない。
とにもかくにも。
ここでは、一言、このフレーズでまとめておこう。
「幾つになっても、男って。ばかだねぇ。」
2025年9月某日