パット・メセニー・グループに「ついておいで」という曲がある。
原題は Aer You Going With Me?
この曲と共に、いったいどれだけの眠れない夜を越えてきたか数え切れない。
昂ぶった気持ちを落ち着かせるためであったり、痛みを耐えるためであったり、眠気を誘うためであったり、長い月日の中で、もはや理由は様々となっている。
ジャズのカテゴリーでグラミー賞を取ったオフ・ランプというアルバムの中の一曲。
同じアルバムに「Au Lait(オ・レ)」という曲もある。こちらも併せて聴いてきた。
この曲の邦題を長年「愛のカフェオレ」だと思いこんでいた。
大学のジャズ研でギターを弾いていた従兄弟のカセットテープのケースに、そう鉛筆で書いてあったからである。
私の大学浪人生活がスタートした時に貸してもらったカセットテープ。
もっとも、その後返した記憶はない。
CDレコーダーの時代となり、自分でCDのアルバムも買い、そして聴き続けた。
最近では、YouTubeを使って再び頻繁に聴くようになっている。
改めてネットで調べてみたところ、タイトルの経緯がはっきりした。
アルバムOfframpの日本での発売当時の邦題が「愛のカフェ・オーレ」だったらしい。
しかも「オーレ」と伸ばすとある。
昔の恥ずかしい邦題の例として、いじられている。
「Au Lait」という曲は、つくづく不思議な美しさのある曲である。
音楽好きの人にとっても少し意表を突かれるような展開なのではないか。
この曲に関してはジャズやフュージョンというジャンルに収まりきれないと思う。
誰かに「試しに聴いて見ませんか」と勧めたくなるような曲である。
同じアルバムの中にJamesという曲がある。
ジェームス・テイラーをイメージして作ったらしい。優しい曲である。
多くの人が素直に良い曲だと感じると思う。
このJamesには、一つ忘れられない妻との思い出がある。
長男、二男と二人の子供に恵まれて、新築のマンションで、私達家族が、新しい生活を始めた頃のことだった。
一番下の娘が生まれる、ほんとうに直前。
もしかしたら妻のお腹の中には、既に長女がいたかもしれない。
一番上の息子と二番目の息子の年齢は、1年半差。ほとんど年子のようだった。
日々じゃれ合いながら育っていた。
ある日、私は、せっせと撮りためた家族写真の整理をしていた。
当時書斎にしていた部屋に明るい日差しが注いでいたから、きっと休日の午前中だったと思う。
パソコンにデフォルトで写真の編集ソフトが入っていた。
試しに使ってみた。
取り込んだ写真と、曲も自動で選択されて、直ぐにスライドショーが出来上がった。
早速妻を呼んで見せた。得意満面で。
幾つかの写真の中に、我が家のちびっこ二人が、じゃれついて妻の背中にのしかかり、妻と子供達と、明るい三つの顔が、丁度こちらを向いて写真に収まったものがあった。
子供は二人とも悪戯なボーズあたま。
二人の子供の重みに耐えかねて、背を屈めた妻は吹き出す直前の笑顔。
きっと次の瞬間には、振り向いて「ちょっと、やめてよー」と間違いなく言っていそうな一瞬が切り取られている。
Jamesの冒頭のメロディーが流れる中で、その写真が写ったとき、妻がぽろっと涙をこぼした。
妻も自分で自分に驚いたふうで、
「はは、やだ。なんだろう」と照れ笑いして、直ぐに涙を拭いた。
それは不思議な涙であった。
しかし、その時の妻の気持ちは、私にも十分に伝わってきた。
ガンが分かる前の話しであるから、その時点では、まだ悲しみの涙ではない。
一方で、幸福に浸った涙かというと、それもまた少し違う。
それは、きっと一つの直感なのだ。
時空を超えた不思議な感情。
その数年のち、小さな子供達を残して、この世を去らねばならない彼女の運命を前提にした涙。
あなたのその瞬間は、本当にかけがえのないもの。一瞬で儚いもの。
でも、同時に永遠のもの。
漠然とではあったかもしれない。
しかし、妻は、写真の中の自分に対し、その時、そんなふうに呼びかけたい気持ちだったのではないか。
Jamesを聴くと、少しの悲しさと、それより遙かに多い、静かな気持ちとが、いつも決まって混じり合う。
ところで、現在、ほとんど毎夜、パット・メセニー・グループの「So May It Secretly Begin」という曲を聴きながら眠りについている。
YouTubeの関連動画で知って、ごく最近聴くようになった曲である。
題名の、日本語訳を調べて見たら、これがまた面白い。
私も昔から大好きなパウル・クレーの絵のタイトルから付けたものとある。
調べてくれた人が絵の写真をブログにのせている。
大作ではなさそうだが、いかにもクレーといった良い絵である。
タイトルの日本語訳はこう。
「こうしてそれはひそかに始まった」
クレーの絵には、不思議さの中に明るいリズムがある。
私のこれからの人生に、何か新しい事が起こりつつある伏線かもしれない。
そんな想像は、ちょっと楽しい。
2024年6月某日
|
|