№79 繰り出し位牌(釈徹宗『法然親鸞一遍』に想う)

のりプロ

母親の49日の法要を終え、1週間ほどが過ぎた。
午後、一人、墓へ向かった。
そのとき供えた、花の様子が気になったからだ。

案の定、数日前の大雨の名残で、ステンレス製の花立ては、濁った水で一杯になっていた。
強い日差しの中、花も既に、茶色く痛んでいた。もう片付けるしかない。

まずは、墓掃除。
お寺の桶とひしゃくで、墓石に水をかけながら、雑巾で、拭き掃除する。
その雑巾は、お墓の下側のくぼみに、小さくして置きっぱなしのもの。
10数年前、お墓を造ってすぐ、そんな風に、私の母親が置いてくれたのだ。

その後、ずっと使っている。昔の布きれは丈夫で助かる。

ぽたぽたと、汗が滴る。
まだ、熱中症も侮れない。手早く済ませないと。

いつものルーティン。
掃除を終え、線香を上げて拝んだ後、本堂そばの位牌堂へと向かう。
預けてある、我が家の位牌を拝むために・・・

位牌堂にあるなら、それ一つで良さそうなものなのだが、家の仏壇にも、別に、日々拝むための位牌がある。

妻が亡くなり、お墓や仏壇を、急に一揃い用意するはめになった時、葬儀会社の担当者から、家用と、お寺用、二つ必要です、と選択の余地なく、促されたのだ。

位牌一つ一つが、数万円はする。良いものだと10万円を超える。

仏壇は、平均的なものでも数十万円。
豪華なものになると、値段はどこまでも上がる。

仏間(ぶつま)が無い、マンションに置くということもあり、仏壇は、値段もほどほどの、シンプルなタイプを選んだ。

一方、位牌は、多少、お金がかかっても、良いものを選びたい、と考えた。

家に置く位牌は、紫檀(したん)で造った、ワインレッドのものにした。
桜の蒔絵も入った、丸みを帯びた形。
若くして亡くなった妻に相応しく思われた。

位牌堂に置く方は、形が決まっている、と葬儀会社の担当から教えられた。
小さな観音開きの扉がついた、閉じたり、開けたりできるタイプ。
上に小さな屋根が乗った、昔ながらの黒塗りの、金色の装飾が施された位牌。

いわゆる、繰り出し位牌という形である。

小さな屋根を外すと、中に、きっちりと、何枚もの板が収まっている。
この板一つ一つが、本当の位牌なのである。
誰かが亡くなったら、後ろに格納してある、新しい板に戒名を刻み、一番前にもってくる。繰り出す位牌、ということなのだろう。

家の紫檀の位牌の方も、この繰り出し位牌の構造になっている。
毎年、お盆の期間だけ、後ろに隠れている、位牌を外に出して、盆棚にお祀りするのである。

日々、多くの人の目に触れる、位牌堂には、質の良いものを置きたいと思った。
金色に、派手派手しく輝くものよりも、落ち着いた色調のものにしたい。

幾つかの選択肢を組み合わせると、値段は高くついた。
それでも、漆塗りが施され、落ち着いた金色にしあがった位牌には、満足できた。
位牌堂の中に、ずらりと並ぶ同じ形の位牌の中でも、品のある、高級なものだと、分かる人には分かるだろう。そんなふうに想像し、ひとり悦に入っていた。

扉の内側は、金粉(きんぷん)という加工です。くれぐれも擦らないように。
当時、そんなふうに担当者に言われた。
今、こうして文章にまとめている時点では、思い出している。

しかし。
先般、やらかしてしまったのだ。

法事の翌日、遠くから親戚が、夫婦で、母親を拝みたいと訪ねてきた。
古い付き合いの二人である。

広い墓地の中の、私の家の、お墓の場所を案内し、線香を上げてもらった。
位牌堂へも連れて行き、我が家の位牌の位置を教えた。

位牌堂の中央には、ご本尊がお祀りされている。その前に、賽銭箱が置いてある。
小銭を入れて、そちらも拝むというのが「おやくそく」だった。

関東から来た、その夫婦には、馴染みがない様子。
位牌堂そのものが、雪に閉ざされる、北国に多い仕組みらしい。

いつも、墓参りの際、一円玉や五円玉などを貯めた、小さながま口を持って行く。
二人に小銭を手渡して、ご本尊にも手を合わせてもらった。

「田舎の風習。拝んだ気分になるでしょう。」

汗をかきながら先導し、ようやく、二人の車を見送る。
その後、私は、また位牌堂へと戻った。

49日も終え、これで少し一段落となる。
法要のたびに持ち出してきた、その位牌。もしかしたら指紋などが付いているかもしれない。
一度、拭き取って、掃除しておこう。
ふと、そう、思ったのだ。

位牌堂には、誰もいなかった。
手を伸ばし、飾ってある段の上から、位牌を慎重に取り出す。
そして、近くの作業用の棚に置く。

まず、三角の屋根の部分を外して、ペーパータオルで、ごしごしと拭いた。
きっと汚れているだろうと思い込んでいた。
その調子で、観音扉の内側も拭いてしまった。左、右、と。

すると、金色の扉の内側に、左右それぞれ、まっすぐ縦に、黒い線が入ってしまったのだ。
慌てた。やばい。まずい。

私はてっきり、ペーパータオルについたほこりで、黒く汚れたのだと、思い込んだ。
紙が汚れていないことを確認し、再び擦る。しかし、落ちない。

すっかりパニックの私。
ゴワゴワした紙質が良くないのだろうと、ポケットから綿のハンカチを取り出し再び、ゴシゴシ。

右側の扉。
平仮名の「う」を長く伸ばしたような黒い線が、こすれて一部、横に広がってしまったのだ。

その段になって、ようやく、それは汚れではなく、金粉の装飾に、傷が付いたのだ、ということに気が付いた。

他の人が聞けば、「ばかだな」というだけの話しだろう。
しかし、その時の私にとっては、大変なショック。まるで交通事故でも起した気分。

諦めて、位牌をもとの場所へ戻し、どうにか家に戻った。
しかし、その失敗が、何度も、フラッシュバックのように蘇って、頭から離れない。

10数年、大事にしてきたのだ。
位牌堂へ行く度に、周りの、金ピカの位牌と見比べて、うちの方が上等だと、毎度一人、いい気にもなっていた。

ある時点まで、しっかり頭に入っていたはずの、擦っちゃ駄目ですよ、という注意が、その時、頭に蘇らなかったという事実にも、気が滅入った。

つまりは、記憶装置も確実に劣化している、ということなのだ。
何日か、うなされるような気分が続いた。

丁度その頃、家の本棚から、ある「新書」を見つけた。

帯が着いたままの状態で。
昔、妻が、こんな本を買ってみたのよ、と言っていたのを思い出した。
広告なども挟まったまま。結局、妻は、読まずに終わったと思う。

それは、宗教学者であり、浄土真宗のお寺の住職でもある釈徹宗(しゃくてっしゅう)氏が書いた、「法然親鸞一遍」という本。

新書は、案外、読みやすい。
「位牌傷つけ事件」で傷心の私は、何となく、現実逃避のような勢いで、数日、つらつらと目を通した。

日本で浄土仏教を広めた、法然(ほうねん)。その弟子、親鸞(しんらん)。法然門下の系統に位置する一遍(いっぺん)。

高校まで学んだ日本史の、丸暗記の知識が、ようやく立体的になった感覚。

因みに、私のお寺は曹洞宗。開祖は道元(どうげん)。東北に多い宗派である。座禅に打ち込むべしという、いわゆる只管打坐(しかんたざ)の宗派である・・・

位牌堂へ続く、階段を上る。気が重い。
あれから、位牌を見るのは始めて。どうなっているだろう。

いつも通り、入ってすぐ右の壁の、段の中程にある、我が家の位牌へ向かう。

恐る恐る、位牌の扉の傷へ目をやる。まず見えてくる、向かって左側の扉。
一本傷が入ったはずだが、光の具合で、ほとんど分からないほど。

正面に立ち、見上げる。
問題の右扉の傷。こすって本格的に傷がひろがった方。
はっきり、それと分かる。目立つ。

しかし、しかたがない、と受け入れざるを得ない程度の傷にも、見えてくる。
段々、気持ちが、落ち着いてくる。

今回、焦って調べてみた。
位牌を修理するとなると、それは途方もない段取りになる。

まずは、「魂抜き」が必要。
つまり、お寺に頼んで拝んでもらわねばならない。ここで、おそらく拝み代に数万円。
それから、業者に預けて修理。
再び、魂入れのため、拝んでもらって、ようやく元の場所に戻せるのだ。

自分で買った位牌なのに、ちょっとメンテナンスしたいから持って行きます、では済まない。
もどかしい話しだ。

まず一つ、子孫への、分かりやすい教訓は、こうだろう。
暑い日に、無理して作業を続けるな。ちゃんと休憩を取るべし。

もう少し、高尚な教訓もある。
それは、執着を捨てるべし、ということだろう。
ある種、仏教の本質、でもある。

不安定な、維持するのが難しい金粉の装飾を選んで、いい気になっていた。
私自身が、永遠に手入れを続けられるわけでもないのに。

いつか誰かが、傷をつけて、周りから怒られる可能性もあったのだ。
それを思えば、いっそ、私がやらかしてしまった方が、良かったともいえる。

私達の家族の形が、この先、どうなっていくかは分からない。

しかし、今後、ここでこうして、位牌を見上げ、誰かが手を合わせてくれることはあるだろう。
私の三人の子供達。その連れ添い。或いは、その先の子孫たち。

2025年、令和7年の夏、じいさんがハンカチで擦って、傷をつけちゃったんだって。

パートナーへの、あるいは子孫への、笑い話しのネタとしてほしい。
案外、大事な寓意もある。一言でいえば、こんなことだろう。

家訓。
「執着」し過ぎると、ろくなことはない。日々、軽やかに、過ごすべし。

2025年9月某日

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