№53 茹で卵の作り方(『卵の薄皮』に想う)

ちちプロ

休日のお昼過ぎ。
たくさん茹でた卵。

殻をむきながら考えた。
こんなふうに、むつむつと文句も言わず、何年も家事を続けた主婦ほど、心の中で「熟年離婚」を考えたりしているのだろうな、と。

夫の方は、定年後、妻とゆっくり旅行でもしよう。そう、ぼんやり考えたりする。
例えば、当然の如く、妻にいれてもらった緑茶などを飲みながら。

一方、妻は、夫の定年退職のタイミングで決着を付けようと密かに算段したりしている。
四六時中、夫が家にいるようになって、一方的に、世話をし続けるとなったら耐えられない。
自分は召使いではない。離婚して自分の人生を取り戻すのだ。

自分の妻は、そんな不満な様子を見せたことはないから大丈夫。
そう考える、世のお父さん方も多いだろう。
しかし、文句が無いのではなく、文句を言えないように、封じ込めているだけなのではないか。

こんなことを、つらつらと考えられるのも、今日は段取りが良かったのか、上手く卵が茹であがったからである。ストレスなく、流れ作業で殻むきが進む。考え事をしながら。

暫く前、やはり卵をひとパックほど、一気に茹でたことがあった。
その時は、ことごとく薄皮が張り付いて、むく卵、むく卵、白身がボロボロになった。

近くにいた長男。
茹でた後、直ぐに冷水にさらさないからダメなのだ。温度差で縮んでむきやすくなるのだ、と何やら上から目線で言ってきた。

その物言い。ついムッときた。
しかし、そこは飲み込んで、「うん。そうなんだよね」とだけ、返すにとどめた。
それだけで済むなら苦労はない。冷水に浸してもダメなときはダメだったのだ。

手伝うわけでもなく、偉そうなことばかり言って。
そんな気持ちを飲み込む感じ。
まるで、日常的な夫への不満を押し込めて、熟年離婚を考える主婦のようではないか。
と、そんなことを思った次第。

考えてみれば。
私も昔、母親に対して、同じような態度をとっていたな、と思い出す。

私が、高校生頃のこと。
家事や炊事。まったく手伝わなかった私。

料理に甘みを加えるために、直接、砂糖を入れるのは邪道だと思い込んでいた。
それは、おそらくテレビからの知識。
甘みは、みりんかお酒で付けるもの。或いは、素材から自然と出てくるべきもの。

私が、一人暮らしを始めて、料理をするようになった後。
塩こしょうで味付けする、肉料理や炒め物などなら問題は無かった。

しかし、うどんの味付けなどは、いつも困った。
いくら出汁を強くしても思ったような味にならない。
当たり前である。私が作る醤油の汁物には、砂糖が入っていなかったのだから。

母親の料理に対する、私のこざかしい態度。
それでも母親は、気を悪くすることもなく、受け止めてくれた。
いや、右から左へと受け流していた。

妻が亡くなった後、母親の役割も含め、一人で二役をこなさねば。
そう決めた私。

しかし、母親の、大らかで、呑気な愛情の、その感じ。
その味わいだけは、どうにも出せなかったと思う。

多くの母親は、子供が生意気な文句を言おうが、ご飯を食べさせ、世話を焼き続ける。

しかし、男親の性(さが)。ついバーターや、交換条件。或いは、公平・不公平。
すぐに取引のような価値観が、頭の中に渦を巻く。

屁理屈ばかり言って。私のアドバイスを素直に聞けないのなら、もう勝手にすればよい。
自業自得。行き着く不利益は、自分自身で受け止めろ・・・

話しは変わるが、卵の殻をむきながら、こんなことにも考えが及んだ。

BS日テレの番組の「小さな村イタリア」で、よく見かける、ある場面。
キッチンで、お母さんが料理を作るシーン。
その周りで、高校生や大学生くらいの大きな子供達が、何か手伝う素振りでうろうろしている。

一方、我が家はどうか。
対面式のキッチンである。

新築のマンションで生活をはじめた頃、妻は対面式のキッチンを、とても喜んでくれた。
リビングで遊んでいる、小さな子供達の様子を見ながら、ご飯を作れる。
テレビを見ながら皿も洗える。

しかし。今、思えば。
狭いのである。

一人用の、作業スペースしかない。

イタリアの村のキッチンであれば、適当な距離からお母さんの様子を観察し、ほどよいタイミングで皿を出したり、出来た料理をテーブルへ運んだり。そんな、お手伝いが可能だ。
お母さんの背中越しに、料理の手順などを眺めることもできる。

しかし、日本の多くの対面式キッチンには、きっとそんなスペースは存在していない。

マンションで、対面式のキッチンを導入しはじめた頃の設計者にも、それこそアンコンシャスバイアス、即ち無意識の思い込みがあったのではないか。

台所仕事は、お母さんが一人でやるもの。
テレビでも見せておけば、きっと文句もないだろう・・・

今回、どうして卵が上手く茹で上がったのか。
暫く前から、茹でる前に、針で小さな穴を開けるようにしている。
百均で買った、ひよこ型の穴を開けるキッチン用品を使って。

これで、問題は全て解決、と思っていた。実際、上手くいくことも増えた。
しかし、何かのきっかけで、時として薄皮が張り付いて、むいた卵はボロボロになった。

穴を開ける位置。細い方の先端か、太い方の中央か、それも良く迷った。
両方開ければ、より効果的だろうと、しばらく二カ所開けて茹でてもみた。

それでも時々、薄皮がはりついた。
それどころか、穴から、白身が出てきて、鍋の中が白い糸でいっぱいになったりした。

最近読んだ文章に、卵の細い側に穴を開けてしまうと、茹でている最中に白身が出てくるので止めた方がよい、とあった。おかげでその点は、ようやく記憶に定着した。

茹で上がって殻をむいた卵には、太い側に、必ずへこみができている。
それは、空気溜まり、いわゆる「気室」があるからだ。

その気室へ針を刺すことで、白身も出ず、殻をむきやすいように適度に水が入るという理屈。
それは、良く分かる。

しかし、へこみの位置は、先端部分から微妙にずれていることも多い。
気室の位置にちょうど穴を開けられるかどうかは、運に左右される。
それでは結局、決め手にならないのではないか。

そんな、もやもやが残っていた。

考えてみれば、今回は、もう一つ手間をかけたのだ。
途中、菜箸で茹でていた卵をつまんで、しっかり動かしたのである。
穴を開けた方を上にして、ポコポコと小さな気泡が出てくるのを確認しながら。

スムーズな殻向き作業のためには、もしかしたら、この工程が重要なのかもしれない。
しっかり卵を動かすことで、気室が、本来の先端部分へ落ち着くのだとすれば。

そう考えると、それは、まるで手品のタネあかしのようでもある。

空気の溜まりを狙って穴を開けるのではなく、むしろ開けた穴の位置に、空気の方を寄せていく、という作業になるのだから。

加えて、今回、長男の言うとおり、茹で上がったあと、直ぐに冷水にさらしもした。
それぞれ上手くかみ合って、するすると殻がむけたのだ。

ところで、どうしてこんなに卵を茹でたのか。

それは、おでんを作るため。
この週末、少し早いが、家族で、長男の誕生会をすることにした。

その、お祝いの料理の一つ。
美味しそうな冬大根も手に入っている。

ゆで卵も、味の染みた大根も、子供達は、美味しいと言葉に出して、喜んでくれる。

こんな時、母親が感じるのであろう、ほっこりとしたその気持ち。
確かに私も、かみしめさせてもらっているのだ。

2025年2月某日

 

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