父親が亡くなって、まもなく5年になる。
私が、事務所として使い始めた、かつて父親が暮らしていたこの家。
時々、思い出したように、父親あての郵便物が届く。
必要な方面へ、連絡は済ませてある。
それでも届く手紙は、通信販売の案内などの、義理のないものだけのはず。
ただ、少し、気になるものもあった。
それは、ユニセフ募金の案内、なのである。
生前、父親から、募金している、という話しを聞いたことはない。
どの程度の頻度で、どれくらいの金額を募金していたのか。
もはや、知る術(すべ)はない。
その封筒には、CMでよく見かける、痩せた黒人の子供の写真がプリントしてあり、中には、募金を促す案内とともに、必ず、父親の名前が印刷済みの、振込用紙が同封してあった。
その青い封筒。
ポストの中に、見かけるたびに、決まって古い思い出が、ひとつ蘇った。
それは、私が、中学生時代の話し。
当時、高校受験に向けて、長期休みの期間だけ、街中の学習塾の講習会に参加していた。
学習塾の講義であるから、基本、講師が脱線することはない。
ところが、ある時、一人の先生が、雑談をはさんだ。
校長まで務めて、定年退職した人だった。
元気に話す、落語家のような、はげ頭の、小柄な先生。
テンポ良く、こんなことを話した。
自分は、定年後、充実して生きている。それには、幾つかポイントがある。
まずは、こうして社会の中で時々働いてお金を稼ぐこと。二つ目は趣味を楽しむこと。
そして、もう一つは、募金をすること、なのだ。
募金すると、定期的に報告書が届く。目を通すと、世界の子供達のために自分のお金が役にたったんだな、ということが良くわかる。そうやって、世界のことに心を馳せ、心豊かに過ごしている。と、そういうわけです。
滑舌よく、そんなふうに短く話しをまとめ、直ぐに講義にもどった。
何故だか、印象に残り、こうして40数年を経ても、その声の調子までも、思い出すことが出来る。
そうか、あの校長先生が話していたのは、このユニセフ募金のこと、だったんだな。
因みにユニセフ(United Nations Children’s Fund、略称UNICEF)は、日本語では『国際連合児童基金』。戦争や内戦で被害を受けた、子供の支援を中心に活動を続けている。
戦後は、日本も支援を受ける側だった。
ある日の午後。
銀行などを回り、用足しをしていた。必要なものがあって、一旦、自宅のマンションへ戻った。
直ぐまた、郵便局などを回るつもりだった。
部屋で、テレビを付けて、探し物をした。
BSでは、昔流行った映画「ゴースト/ニューヨークの幻」をやっていた。
この頃のデミー・ムーアは、ショートカットで可愛かったんだよな、とつい目がいく。
黒人女優のウーピー・ゴールドバーグ。インチキ霊媒師役で出ている。
彼女が、幽霊となった主人公に言われる通りに銀行で立ち回り、ついに400万ドル(日本円で数億円)の小切手を手に入れる、というくだりをやっていた。
まんまと銀行を出て、有頂天のウーピー。
しかし、主人公は、その小切手は、自分を殺した悪人を懲らしめるために引き出したもの。君の物ではない。そこの路上で募金を呼びかけている慈善団体へ、裏書きして寄付しろ、と促す。
なに馬鹿なこといってんのと、騒ぎ立てるウーピー。
主人公の姿も声も、他の人には分からない街の中で。
結局、しぶしぶ年配のシスターへ小切手を渡すことになる。
主人公に悪態をつきながら、人混みの中へ消えていくウーピー。
その後ろ姿を見送り、やれやれ、と手元の小切手に目を落とす、心優しきシスター。
あまりの金額に、目を回し、隣の若いシスターに倒れかかる。
1990年(平成2年)の映画である。
主人公を演じたパトリック・スウェイジは、2009年(平成21年)に57歳の若さで、がんのために、亡くなっている。
テーマソングは、Unchained Melody(アンチェインド・メロディ)。
使われたのは、1965年のライチャス・ブラザーズのバージョンである。
そもそもは、日本未公開の映画「アンチェインド」の主題歌としてつくられた曲らしい。
この1955年(昭和30年)の映画は、刑務所から逃走して妻や家族のところへ戻ることを願う男性の物語。そのため、歌詞には、実はUnchained(鎖から解放されるの意)という単語は登場しないのだ。
ついつい、最後まで見てしまった。
恋人を守りきり、主人公が、天国へと去って行くラストシーン。
何度か見た映画だが、はて、最後は、どんな台詞だったろう。
自分のことは気にせず、幸せになってくれ、とかだったかな?
そんなことを考えながら見ていると、主人公は、恋人にこう言って、上って行った。
「今分かった、愛は永遠だ。じゃあ、また。」
ところで、ユニセフの募金。
後日、父親の名前の用紙をそのまま使って、寄付することにした。1万円程を。
これまでかかった郵送料や手間暇の人件費などの負担。その実費補填のつもり、だった。
悪戯心、も少しあった。
暫く音沙汰無かったけど、やっぱり、この人まだ生きてたんだ・・・
ユニセフの手紙の中には、必要なら、名前などを訂正して、そのまま用紙を使って構わない、とう注意書きもあった。
しかし、私自身、まだ踏ん切りが付かなかった。
父親の例を見れば分かるとおり、一度寄付をすると、何年でも、恐縮するような、丁寧な愛の手紙が届き続けることになってしまうのだ。
これまで行ったことがない、近所の、小さな郵便局で、振込手続を済ませた。
少し気恥ずかしさもあったからだ。
数日後、活動報告という名目で、早速また手紙が届いた。
折りたたみ式の、印刷物が入っていた。
コンパクトながら、よく情報が盛り込まれている。
これだけ巨大な組織ともなると、優秀なスタッフが、専門で広報活動を行っているのだろう。
いくつかの事例が、成果として、小さな写真付きで紹介してあった。
そのうちの一つ。
中東の国。7歳の頃、おもちゃの箱かと思って近付いた不発弾で片腕を無くし、その後、何年も、心を閉ざしていた男の子。1年前に訪れた、ユニセフの移動教育チームの下で学び始め、その喜びに力を取り戻している。昼学んだ後、毎夜、家で弟たちに文字を教えてあげているという。
もともと賢い、優しい子供だったのだろう。希望に続く道の上に、ようやく戻ってこれたのだ。
手紙には、また振込用紙も入っていた。
父親の名前が、印刷されて。
エンドレスだな。さて、どうしたものか。
見ると、領収書も同封されている。1万円の寄付を確かに受領した、とある。
考えてみれば、この領収書が、今回の手紙の一番の趣旨なのだろう。
今、私は、初めての確定申告に向けて、そわそわしているところである。
この領収書で、税額控除が受けられるらしい。
寄付をして、どこかの国の子供の未来のためにお金が使われて、最後に、税金をまけてもらう手続きをする。この循環。悪くないかもしれない。
こんなおまけは、個人事業主ならでは、かもしれない。
名義が違うので、今回の申告で使うつもりはない。
でも。
そろそろ名前を変更して、ちゃんと募金してみようかな。
なにより、自分の心の健康のために。
そんなことを考えながら、整理を始めたファイルに、とりあえず一式、綴り込んだ。
2025年12月某日
