33年間勤めた職場。
最後の一日が始まった。
午前中から、断続的にセレモニーが続く。
私の職場では、定年年齢が見直されている途中。
暫く、隔年で退職者が多い年と、極端に少ない年とが繰り返す。
昨年、定年が一年延びた人達を含め、今年は退職者の多い年。
近くの文化会館の大きなホールを会場に、感謝状贈呈式が行われた。
私も、馴染みの先輩方に混じって、席に着く。
周りは、先輩や、かつての上司など。
これからどうするつもりなの?、と小声で聞かれたりする。
そんなやり取りに気を使い、湿った感傷に浸るひまがない。
それはそれで、丁度よいことではあるけれど。
式が始まる。
トップからの労いの挨拶。続いて、それに対する先輩の謝辞。
間近で見ていた先輩の謝辞は、味わい深かった。
バブルの頃に学生時代を過ごし、引く手あまたの就職活動を経て、仕事を始めた世代。
楽しいことが続く。なんとかなるという気持ちがベースにあった。
自分達は、前向きな姿を世の中に示すという役割を、十分、果たせたのではないか。
そんなスピーチだった。
その下の世代となる私。
就職したのは、既にはじけているバブルを、世の中が、まだ受け入れたくないような、そんな雰囲気の頃だった。
後から振り返れば、すでにバブルは崩壊していたのだ。
それなのに、私が大学4年のその当時。
企業からの求人の郵便物が、一人暮らしのアパートにも、実家にも、連日大量に届いていた。
働き始めて、数年後。
1995年(平成7年)1月、阪神・淡路大震災。
同年3月、地下鉄サリン事件を経て、山梨県のオウム真理教の活動拠点の強制捜査。
早朝からのニュースの映像は、「世紀末」という言葉を、否が応でも連想させるものだった。
小学生の頃から、テレビの特集などで何度も見かけ、心がざわついた「ノストラダムスの大予言」。
しかし、人類が滅亡することはなく、「世紀末」は、いつのまにやら乗り越えた。
ただし、この2000年前後は、様々に、世の中の仕組みが見直される節目でもあった。
今につながる影響を考えると、それは興味深い、一つの時代だったと思う。
例えば、それまでの制度の破綻を受けて導入された、『介護保険法』。
1997年(平成9年)に公布され、施行は2000年(平成11年)。
国と自治体との関係を根本から見直す『地方分権一括法』。
こちらは、1999年(平成11年)に公布され、翌2000年(平成11年)施行。
日本における、ジェンダー問題の基本法である『男女共同参画社会基本法』が公布、施行されたのも1999年(平成11年)のことである。
小泉内閣が強引に成立させた『郵政民営化法』は、2005年(平成17年)に公布、翌2006年施行。
「小泉構造改革」は、2006年(平成18年)に、安倍内閣へと引き継がれることになる。
そして、2011年(平成23年)東日本大震災。
私の家庭では、その1年程前に、妻のガンが分かるという、大きすぎる節目を迎えていた。
当時、私は、組織の財政を管轄する職場で働いていた。
残業も多かった。
職人のような働き方を求めるその職場で、私はまだ数年、貢献することが期待されていた。
大変さの一方で、私にとって、それは栄誉なことでもあった。
治療が続く妻のフォローのため、定期人事異動を前に、私は上司に、異動を願い出た。
上司は、私の希望を受け止めて、内々動いてくれた。
2011年3月11日。
午前中、私は希望通り、異動の内示を受け取った。
午後、感傷的な気持ちを噛みしめていたその矢先。
14時46分。巨大地震。
平時であれば、残業も無く余裕を持って働けるはずの、上司が骨を折ってくれた私の次の勤務先。
地震の後においては、最前線の働きが求められる職場の一つとなった。
震災後、1年の節目となる直前、2012年2月28日、妻は逝った。
震災の前後1年ずつ。
それは、私の人生においても、もっとも過酷な月日となった。
文化ホールでのセレモニーを終え、会場を移し、昼食会となる。
その後、それぞれのセクションに分かれて、各エレベーターホールで離任式が行われた。
午後4時過ぎ、用意されたセレモニーも一通り終わり、私は、自分の職場のデスクに落ち着いた。
机周りも片付いた。もはや、やることは無い。
そろそろ。
部下に挨拶し、職場を出ることにした。
最後の最後。もうラフな一言で十分。
私は、こんな話し方をした。
「言うべきことは、都度、言ってきたつもりです。
最後は、こんな挨拶がかっこよいのではないか、と考えていた組み立てがあります。
それを説明します。
みなさん、窓の外をみてください。
実際は、ブラインドが微妙に閉じているし、窓から遠い席の人も多い。そこは、気にしないで。
何が、見えますか?(と、こういう話しのパターンなんです。)
建築物が見えますね。街並みが広がっています。
この景色、この街並み、どんな未来へ導いたらよいか。
政策として考える役割を持っているのは、あなた方だけなのです。
どうか、頑張ってください。
みなさんの活躍を祈念しています。
どうですか、こんな挨拶。」
と、そこまで話して、挨拶を締めた。
そうして、そのまま職場を後にした。
そんなふうな話し方にしないと、感極まりそう、と思ったからでもある。
職場を後にして、少し離れた駐車場に止めてある、自家用車へと向かった。
私の街は、中心部を川が流れている。歩けば、すぐに幾つもの古い橋がかかる川にでる。
天気も良い。暑くも無く、寒くも無く。
後から思い出して、少し不思議に思ったことがある。
その時、私は、1度も、職場の入り口も、建物も振り返ることがなかったのだ。
もらった大きな花束が気になっていたからだろか。
それもある。
しかし、きっとそれは、夕方の街並みが、穏やかで美しかったからなのだ。
この街のなかで、まだ、自分にもやるべき事がある。果たすべき役割がある。
そんなことを、ぼんやりと考えていたから、なのだと思っている。
2025年3月某日