№63 虎と鱒(映画『男はつらいよ』に想う)

ねこプロ

月曜日、火曜日とそれなりに、朝から夕方まで、事務作業を進めた。
水曜日になり、一日、休みにしようと思い立った。

働いたといっても、9時から事務所に詰めて、4時を目処にあがる、というリズム。
水曜日も休むことにすれば、週休3日。夢のようなサイクルになる。

ただし、楽しいだけかというと、そうではない。
虚無的なメンタル不調に陥りはしまいかと、常に不安と背中合わせ。
こうして、一つ一つ、進めていること。
はたして形になるのだろうか。

水曜日の早朝。
気分を変えて、もう一つ、温めてきた作戦を実行することにした。

天気も良い。
少し車で遠出して、取材のようなことをしてみよう。
県境を超えた山あいにある、大きな湖。
湖畔に、有名な銅像がある。それを写真に収めてこよう。

数か月前、もう一つ、ブログを立ち上げた。

こちらは、ちゃんと収益が計算できるブログにしたいと目論んでいるのだが、未だに、肝心の広告掲載の許可がおりない。まずは、記事を増やす必要がある。

以前から考えていた、マイプロジェクト。
映画「男はつらいよ」の主人公、フーテンの寅さん。
「フーテンの寅さんプロジェクト」、略して「とらプロ」。

寅さんは、テキ屋をし、収入を得ながら、全国を旅する。
観光より深く、その土地や人々と関わるが、縛られることはない。

同じようなことを、自分もまね出来ないだろうか。ずっと、考えてきた。
ブログという手段を使えば、あるいは形になるのではないか。

訪れた土地のことを、深く理解し、読む人の興味をそそるような文章が書けたなら、広告収益を期待できるブログになりうるのではないか。

手頃な形で、成立しそうだと考えているのが、全国の街角や、公園に設置されている銅像を写真に収めて記事を書くことである。
自分で撮った写真なら、著作権の心配がない。なにより見学料もかからない。

実際、街角にある彫刻で、芸術的に優れているものは多いのだ。
しかし、その多くが、人口減少や、自治体の財政難の中で、メンテナンスが行き届かず、劣化が進むままとなっている・・・

しかし。
湖を目指し、車を走らせながら。
不安が、頭をよぎる。

「とらプロ」などとネーミングしてはみたものの、はたして社会的にどれほどの意味があるのか。
何かの価値を、生み出せるのか。

相変わらずの、ネガティブな気持ちが沸き起こる。

林を抜け、やがて、湖面が見える場所まで出る。
そこは、標高の高い位置にある、火山の噴火によって出来た、いわゆるカルデラ湖であった。

何度も来たことがある湖。観光地にもなっている。
しかし、平日の午前中。ほとんど人影はない。
賑わいは、もはや、過去のものなのだろうか。

湖面に、日差しがきらきらと輝き、周りを囲む山並みの残雪もまぶしい。
鮮やかな景色に、気持ちが落ちついていく。

目的の女性の銅像。ゆっくり鑑賞できた。

右から、左から。
近づいたり、少し離れたり。
思うまま、写真に収めることができた。
彫刻や絵画を、人の目を気にせず、自分のペースで眺められるのは、贅沢なことだと思う。

しばらくすると、外国人の団体が、バスでやってきた。
銅像の周りで、陽気に写真を撮り始めた。
なるほど。今は、インバウンドの目的地になっているのか。

目的を果たし、帰り支度。公園のトイレに立ち寄る。
しかし、冬期、閉鎖中との表示。
近くにはコンビニもない。ちょっと困ったことになった。
トイレを探し、湖畔に沿って、車で移動する。

ほどなく、小さな博物館を見つけた。
人影はない。ここも休みだろうか。そろそろ、やばいのだが。

近付くと、入館料500円との表示。開いてはいる様子。
トイレ代にしては少し高くつくが、しかたがない。折角だから見学もしよう。

そこは、かつてその湖の名物だった、鱒(ます)の固有種を展示した博物館だった。
淡水魚だけを扱った施設とは。はて?

入ると、やはりお客さんは誰もいない。
受け付けに女性が二人いて、その奥には、他の人影もある。

入館料を払う。
暫くぶりの客の雰囲気。歓迎されているだろうとの打算のもと、お釣りを財布にしまいながら、相手をしてくれた、若い女性に声をかけてみる。

「ここは、県の施設なんですか。」

すると、奥からすかさず、年配の男性が答えを引き取って、出てきた。
いや、市の施設なんですよ、と。

この施設の館長さんだろうか。他に客もいなくて、持て余し気味だった気配。

写真を撮ってもいいかと聞くと、ぜんぜん構わない、ただし、水槽の魚にストレスを与えないように、フラッシュは向けないで、とのこと。

続けて、ぽつりぽつりと説明してくれる。話し好きの様子。
私もつい、質問をする。

パンフレットも使った解説を聞いているうちに、ようやく、飲み込めてきた。
知らなかった。そうか、そんな重い歴史があったのか。

もともとその湖は、季節季節、様々な魚が捕れた。
湖岸では、多くの家族が漁業で生計を立てて、長年にわたり、暮らしてきた。
僅か数十年前まで、村の暮らしに根付いた、豊かな漁業文化が、確かに存在していたのだ。

戦時下の1940年(昭和15年)、国の食糧増産とエネルギー確保を目的とした水力発電事業。
その開発事業によって、その文化は、破壊されてしまったのだ。

近くを流れる、強酸性の川の水を、その湖に流し込み、希釈し、再び川に戻すことで、稲作のための農業用水とする。同時に、水の移動の落差を活かし、水力発電もする。

確かに、現在もその下流域は、豊かな田園地帯となっている。
しかし、強酸性の水を流し込んだ湖は、魚の住めない環境となった。
その湖にしかいなかった、貴重な固有種の「マス」も、一旦、完全に死滅した。

しかし過去、複数の他の湖へ、その「マス」の卵を提供し、放流したという記録が残されていた。
関係者の努力の結果、ある遠く離れた湖で、まだ生き残っていたその固有種の「マス」が、ついに発見されたのである。2010年(平成22年)のことだった。

このドラマのような展開を受けて、2017年(平成29年)にオープンしたのが、その施設だったのである。

館長さんの話は、まだまだ続きそうだったが、区切りを見つけて、声をかける。
「じゃ、トイレを借りてから、あと、中の展示を、見学させてもらいます。」
ずっと、我慢していたのだ。

施設の中で、大きく育った「マス」。
ゆらゆらと泳ぐ姿が可愛いらしい。いつまでも眺めていられる。

記録映像の中に、卵を分けた湖のどこかで、まだ「マス」が生き残っていると信じている。
そう語る、老人の姿があった。最後の漁師だったらしい。

子どもの頃の漁の記憶が忘れられない。
ずっと、先祖達に申し訳ないという気持ちを引きずってきた。
そんな話しもしていた。
その老人は、固有種が発見されたというニュースを聞く少し前に、亡くなってしまったのである。

帰途につく。
相変わらず天気がよい。
期待した以上に、得るものがあった。

近くて、馴染みもあったのに、県境を越えただけで知らなかった歴史。文化。
多くの人々の想い。ドラマ、そして悲哀。

館長さんの、おしゃべりを聞けて、私の小さな旅にも意味が出た。
歴史を語りたい人と、それを拾って文章にしたい私と。
案外、成立するのかも。

「どうにか、やっていけるかもしれないな。」

帰りの運転。ハンドルを握る手。
心なしか、いつもより力が入るような気がした。

2025年4月某日

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