車中泊の夜が明け、朝から活動を開始した。
まず、市内の古い図書館へ向かった。
歴史のある図書館だった。場所を変えながら、150年も続いているという。
もっとも、現在の建物自体は、数十年前に立てられたもの。
有名な建築家の作品である。
事件があった時などに、テレビのニュースで、映像として使われる警視庁本部庁舎ビル。
通称「桜田門」。こちらも同じ、建築家の作品なのだ。
無事、早朝、人通りの少ない時間帯に、図書館の周囲ぐるり、写真に収めることが出来た。
次は、少し郊外へ出て、博物館へ回る段取りにしていた。
前日、駅の構内で、偶然、ある像を見つけた。
駅の東西を結ぶ、自由通路。通りかかった際、直ぐに、そのデザインが目に留まった。
これ、これ。探していたやつ。
体育座りをしている人の像。子どもくらいの大きさ。
お祈りをするように、胸の前で、両手の指を組み合わせている。
アニメに出てきそうな体つき。ユーモラスなたらこくちびる。素っ頓狂な表情。
先日、その街の下調べをしていた際に、たまたまネットでその像の写真を見つけたのだ。
詳しい説明はなかった。
その時、私は、てっきり現代アートの芸術家が、それらしい意味を持たせて作ったのだろうくらいに理解した。
街角の彫刻として、ブログで紹介するには、少し前衛的過ぎるかも、と思ったほど。
それは、屋外の公園の写真だった。
今回は、遠すぎて立ち寄るのは難しいだろう、とあきらめてもいた。
外に設置されていたはずなのに、どうして、駅の中に、こんな無造作に置いてあるのだろう。
説明のプレートを読んで、全てが腑に落ちた。
復興を祈念して制作した像である。国宝の「合掌土偶(がっしょうどぐう)」のレプリカとして・・・
思えば、以前、ニュースで見たことがあった。両手を合わせ、お祈りしているような土偶が発見されて、そして国宝となっている。そんな内容のニュースを。
ネットで見かけた公園の像も、その駅の像も、レプリカだったのだ。アバンギャルドにも見えたそのデザイン。その実、3500年も前に作られたものだったのだ。
車中泊開けの、早朝、車の中。タブレットで続きを調べた。
縄文文化のアウトラインとともに、その「合掌土偶」の本物が、車で、そう遠くない博物館に展示されていることがわかった。そこだけは、ぜひとも今回行ってみたいと考えた。
重要文化財の中で、特に価値の高いものが、国宝に指定される。
土偶の中で、国宝となっているのは、全国に5体あるだけ。
「合掌土偶」はそのうちの、貴重な1体だったのだ。
博物館へ着く。入館料わずかに250円。しかも空いている。
国宝の「合掌土偶」以外にも、多くの重要文化財があり、目を引いた。
土偶の意味するところ。
実は、ほとんどのことが、よく分かっていないのだ。
ミニチュアの瓶(かめ)などもある。よく出来ている。
実用品の瓶や皿を、小さくして、一式揃っている。かわいい。
必ず、作者がいる。
いったい、どういうつもりで作ったのか。
儀式に使うため、だったのかもしれない。
しかし、作っているうちに、きっと「楽しさ」も感じたのではないか。
それは、今の私達と、そう変わらない感情だったのではないか。
国宝の「合掌土偶」だけは、一つ、専用の部屋が割り当てられ、学芸員の監視もある。
しかし、例えば東京の企画展などで、押し合いへし合いしながら、ちらりと眺めるだけ、というのとは違う。好きなだけ、いくらでも眺めていられる。しかも250円で。
レプリカは、大きく作ってある。しかし、実物は、高さ20㎝ほど。
暗い部屋。効果的なライティングで、荘厳な演出にもなっている。
しかし、サイズ感や演出を差し引いたとしても、その価値は、誰の心にも、十分に染みると思う。
それは、考古学的な貴重さなどに、止まらない価値。
外観を真似て、大きく作ったレプリカでさえ「芸術性」といった面でも、遠く及ばないと思う。
例えば、本物には、女性器まで表現されているのである。
息を詰めて、しばらく、居合わせた数名で眺めた。
一人のおばあさんが、誰に言うでも無く、つくづく「わたし、会いに来たの」とつぶやいた。
確かに、この空間では、その言葉が相応しい。
1階で休憩していると、実物大の合掌土偶のレプリカが置いてあるコーナーが目に留まった。
見学に来た小学生などに向け、さわって体感してみよう、という意図らしい。
周りには、誰もいない。
持ち上げてみる。
ダウンタウンの浜ちゃんの似顔絵のような、たらこくちびる。
作者は、何を思って、このデザインにしたのだろう。
根底にあったのは、敬虔な気持ちだったかもしれない。
一方で、もしかしたら、怖い女性リーダーを模して作り上げた後、同僚に見せたかもしれない。
同僚は、「ぷぷっ、にてる」と思わず笑ったかもしれない・・・
さわってみて、というレプリカの粘土人形。
多少乱暴に扱われることも想定されているはず。左腕を持って、上下に少し、ゆすってみる。
思ったより、ずしりとした手応え。
何か、とてつもない回線が、私にまで繋がっているような、そんな感覚。
3500年。
つくづく不思議な「時間」に思えた。
「長い」というだけでは、どうにも言い足りない。
なぜなら2階に本物がある、この土偶にとって、それは本当に、過ぎ去った時間、なのだから。
2025年6月某日