音楽評論家の渋谷陽一さんが亡くなったのは、今年(2025年)の7月のことだ。
訃報を聞き、ノスタルジックのような、感慨深いような、何か不思議な気持ちが、その後もずっと残った。
この奇妙な気分の正体は、いったい何なのか。
自分でも、分からないままだった。
FMラジオから聞こえてくる、その声を意識しだしたのは、思えば40年以上も前のことだ。
既に洋楽にはまっていた、二歳年上の従兄弟から、この人はレッド・ツェッペリンをこよなく愛する、凄い評論家なのだ、とすり込まれた。
時々不意に、ラジオから流れてくる、その声を聞く度に。
「えー、こんばんは。渋谷陽一です」という、世の中を、微かに小馬鹿にしたような、鼻にかかった、その挨拶を聞く度に。
きっと気の利いた話しが聞けるだろうと、毎度、身を乗り出すような気分になったものだった。
ただ。
当時、どんなことを話していたんだっけ?
思い出そうにも、出てこない。
考えてみれば、評論家という仕事である。
過去を辿っていこうにも、そもそも作品というものは、ないのだ。
ASIAN KUNG-FU GENERATION(アジアン・カンフー・ジェネレーション)という、日本のロックバンドがある。通称は「アジカン」。
「鋼の錬金術師」というテレビアニメシリーズの主題歌の「リライト」という曲がヒットした。子供達も、私も、好きだった。アニメとともに、その曲にも、はまった。
今でも時々、聞きたくなる。
考えてみれば、「鋼の錬金術師」が流行ったのも、もう20年程前の話しになる。
そうすると、さらにその数年前。
アジカンが、メジャーデビューする直前、というようなタイミング。
FMラジオから、たまたま、渋谷陽一さんの声が聞こえてきた。
幾つか、デビュー前後のバンドを紹介していた。そのうちの一つが、「アジカン」だった。
渋谷さんが、「彼らの音にはメジャー感がある」と、一言だけ感想を話した。
前後のバンドの演奏と聞き比べて、私自身も、妙にしっくりときて、印象に残った。
ただ、今、思い出せるのは、これだけ・・・である。
私は現在、私が生きた痕跡を、どうにかこの世に残せないものかと、こんな文章を捻り出している。好きだった本の感想や、曲から受けた印象などを使って、自分の気持ちを表現し、一つの形にできないものか、と。
しかし、個人的なそんな評論もどきは、結局、あっというまに、風に吹かれて消えてしまうだけの運命なのかもしれない。渋谷さんが話していたことが、こうして、私の記憶から、抜け落ちてしまっているように。
と、そんな虚しさが、私のモヤモヤの正体だったのだろうと、今は考えている。
暫くして。
近所の図書館で、新聞に目を通してた時。
こんな記事に目がとまった。
ジブリ(株式会社スタジオジブリ)の経営者であり、プロデューサーの鈴木敏夫氏。
彼が、渋谷陽一さんを追悼する文章を書いていた。
不思議なつながりだな、と目を引いた。
渋谷さんが学生の頃から、縁があったという。
数年前、渋谷さんが、インタビュアーとなって、ジブリのこと、鈴木敏夫さんの仕事のことを辿った本を出したという。
どんな展開になっているのだろう。
その後、近くの大きな本屋を探してみたが、店頭には置いていなかった。
ネットで、書評を検索してみた。
結構な書き込みがある。ジブリ好きは沢山いるから、当然だろう。
多くは、もちろんジブリ目線からの感想。
少ないが、いくつか、渋谷さんに向けた感想もあった。
仮説を立てながら話しを進めていて、よく見かけるインタビューものとは違って、緊張感があってよかった。
中には、こんなコメントもあった。
「渋谷陽一が、うざおもしろかった。」
確かに、らしい、仕事をしたようだ。
何となく、もう十分。おなかいっぱい。
と、そんな気分になった。
2025年12月某日
