№35 砥石とナマズ(高村光太郎『鯰』に想う)

ちえプロ

いつも使っている包丁の刃先に、小さな錆びが浮かぶようになった。
この夏も、随分と湿度が高かった。
そのせいもあったと思う。
ひどい時は、砥石で研いだ後、ちょっと目を離した小一時間くらいの間に、再び錆びが出ていることがあった。

暫く前。
父と母が、施設に移った直後のこと。
空き家となった実家の台所で、カウンターの上にポツンと置いたままの、年季の入った小さな包丁を見つけた。

何となく、見覚えがあった。
私が、まだ小学生の頃住んでいた団地の台所で、母がその包丁で料理をしていた姿を思い出した。

最近、あまり見かけなくなった木製の柄。
果物ナイフとして手に馴染みそうなサイズ感。

昔使っていたあの包丁を、父が研ぎ続けてきたのだろう。
こんなに小さくなるまで。
母のために。

チクリと心が痛んだ。

残業続きの私を気遣って、生前、私の妻は、家事の負担をすべて引き受けてくれた。
看護師として働きながら。
文句も言わず。

ただひとつだけ。
切れ味が落ちた包丁を研いで欲しい。
時折、私に訴えた。

義父も家事はしない人だったが、包丁研ぎだけは、役割としてこなしていたらしい。
だから、私にもそれだけはやって欲しい、と。

当時、我が家には砥石が無かった。

ぐずぐずしているうちに、妻は百円ショップで買ったシャープナーで、時折、しゅっしゅっとやるようになった。
しかし、ほとんど切れ味は戻らなかった。

とうとう、一度も研いであげることなく、逝かせてしまった。

その後、私が、家事一切を引き継いだ。

ほどなく、私自身、包丁の切れ味に困るようになった。
重い腰を上げ、ホームセンターで砥石を買い、ネットで研ぎ方の基本を調べた。

当時、父親にコツを聞いてみた。
明確な答えは無かったように思う。
「両面同じ回数、研げば良いんじゃないか。」
父は、体で馴染んでいて、もはや理屈は頭にない様子だった。

当時、私が頭を悩ませた問題。

右手で柄を握り、砥石に刃をのせ、左手の指をその上に添えた後。

向こうへ押し込むとき力を加えるべきか。
或いは手前に引くとき強くすべきなのか。

結局、向こうもこちらも同じ位。
ひっくり返して裏側も同じ位の回数を研ぐ。
しっくり来ないまま、暫く、そんな調子で続けた。

それでも毎度、百均のシャープナーよりは、遙かに切れ味が戻り、料理が楽になるのを実感した。

妻のために、早くやってあげればよかった。

もはや、その後悔の行き場はない。

先般、高村光太郎の「智恵子抄」を読み返した。
そして思った。
「今の私にとって、こんなにも重要な意味を持つ本だったのか。」

明日の小刀を瀏瀏(りゅうりゅう)と研ぐ。

「鯰」(なまず)という詩の一節である。
若い頃、心に残り、この部分だけ、ずっと記憶に残っていた。
暫くぶりに読み返して、そこに行き着いた。

力強いテイスト。
てっきり、他の詩集におさめられているものと思い込んできた。

同じ詩の中の、
「木を削るのは冬の夜の北風の為事(しごと)」
という一節も好きだった。

忘れていたが、改めて目を通すと、
「風が落ちて板の間に蘭の香ひがする。
智恵子は寝た。」
ともある。

「鯰」は、確かに「智恵子抄」の一部だったのだ。

包丁を研ぐときの力の入れ所。
私の結論はこうだ。

答えは両方。
右手に持った包丁を上から見て、右の面を研ぐとき。
この場合は、向こうへ押し込むときに力を込める。

反対に、左の面を研ぐとき。
こちらは手前に引くとき力を込める。

研ぎ返し。
即ち、研いだ後、刃先をちょんちょん触って見るとわかる研いだ方と逆の面に出来るひっかかり。

この「研ぎ返し」がどちらに出来ているかを確かめながら、押し込むときに力を加えるべき面と、引くときに力を強めるべき面を頭の中で想像するうち、自分の中で、次第にしっくりくるようになったのだ。

行ったり来たり、リズミカルに同じような調子でやっているように見える刃物研ぎ。

力を入れるべきは、押し込むときか、引くときか。

禅問答のようにも見えるこの問題。
しかし、答えはちゃんと、その向こうにあったのだ。

ところで、昔使っていた普通サイズの包丁が、本当にそこまで小さくなったのか、という問題。

今回、ここまでブログを書いた後、気になって、実家に寄って確認してみた。

柄の部分の古くなった感じは、確かにそれらしく見える。
記憶とも符合する。
決め手がなかなか見つからない。

しかし、ようやくある事に気が付いた。

重ねて比べて見れば、柄の部分が、明らかに、通常の包丁よりも一回り細い。

どうやら、何十年も研ぎ続けた結果、果物ナイフくらいまで、刃が小さくなったというのは、私の勘違いだったようだ。
きっと、もともと小ぶりの包丁だったのだ。

くだんの後悔が蘇るのが嫌で、最初に見つけた後、勘違いの思い込みをはさんで、直ぐにその包丁は、台所の奥にしまい込んでしまっていた。

今回、もし改めて考えてみなかったら、いつまでも勘違いのままだったと思う。
その点は、ちょっとだけ、すっきりとした。

「だからと言って、それでチャラになった訳じゃないからね。」

どこからか、妻の声が聞こえてきそうではあるものの。

2024年10月某日

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